ー裁判の経過と組合員の思い7ー

内航組合員・竹中正陽

組合長当選無効裁判 高裁判決「当選は有効」
 昨年1月東京地裁は「藤澤組合長の当選無効」の判決を出したが、同9月27日、東京高裁は一転して「当選有効」と判定した。
 2010年11月の定期全国大会で、組合長に立候補しながら大会入場を阻止された北山元中執が訴えていたもので、一審の東京地裁は組合長の当選無効に加え、組合・藤澤組合長・大内副組合長の三者に対し金165万円の慰謝料等の支払いを命じていた。
 地裁判決は、北山氏に対する解雇の経緯、解雇無効の最高裁決定後も降格や自宅待機をさせたこと、前年松山大会の「腐ったリンゴ」発言、度重なる大会入場拒否など一連の差別行為を総合的に判断して「共同不法行為」と認定した。
 これに対し高裁判決は、大会入場拒否の件について、「民事手続上認められた法的利益を奪った違法なもの」として、藤澤・大内両氏の共同不法行為を認め、計110万円の支払いを命じた。
 しかし選挙の有効性については、「全国大会の出席と常任役員選挙の立候補及びその選挙活動とは関連するものではない」と判断し、「当選有効」と結論した。(詳細は昨年10月発行の本誌号外参照)。
 地裁判決が解雇以来数年の経過を詳細に分析し、総合的に判断して「当選無効」と結論したのに対し、高裁判決は大会当日の選挙関係に焦点を絞って規約の解釈を当てはめ、机上で判断したといえる。
その結果、「全国委員でない執行部員は、中央執行委員会が認めた場合、大会に出席し(中略)発言することができる」という規約の表現を最優先し、いわば入口で北山氏の請求を却下した。
 高裁判決は一言でいえば、「ひどいことをする。しかし選挙規約上違反があったとまでは言えない」と要約することができる。
 翌日、藤澤組合長や田川顧問弁護士は記者会見を開き、全面勝訴と豪語し、「入場拒否による100万円は織り込み済みだった」と発言したという。
 判決を「全面勝訴」と歪曲したばかりか、従業員(かつ組合員)に対して、「共同不法行為」による賠償金を支払うよう命じられたにもかかわらず、「織り込み済みだった」とは、組合の指導者としてなんと傲慢なことか。反省の意はひとかけらも感じられない。
 その後藤澤・大内両氏は高裁判決を受け入れたが、北山氏は上告し現在最高裁に係属中である。
 また、北山氏に対する「組合員権無期限停止」の統制処分は昨年8月22日、高裁でも組合が敗訴したことは前号で報告したが、その後組合が上告したため、同様に最高裁に係属中である。
 この件で組合は統制処分の無効だけでなく、船員しんぶん紙上への謝罪文掲載も命じられている。

組合大会の異変
 組合長の当選有効の高裁判決が出される直前の9月24日、業界紙ジャパンシッピングニュースは「田中副組合長が新たな常任役員体制案を明らかにした」と報じた。
 それによれば藤澤組合長を始め、田中・森田副組合長以下、新役員候補全員の実名を上げ、大内副組合長らの引退まで発表している。
 これは、組合長が8月末行なった記者会見(「今回は次期役員体制の事前発表はせず、自由立候補制でゆく」)と明らかに矛盾する。
 怒った組合長は9月27日、「一方的な報道に対して厳重な抗議を行った。今回は自由立候補制であることに変わりはないので誤解のないように留意されたい」との組合長通達を文書で発した。
 ところがその直後田中副組合長は、同27日臨時中央執行委員会を開いたとして、業界紙の報道内容は「特段問題ないと結論付けた」という文章を組織内に発した。
 相反する内容の文章が同じ日に発せられたことから、執行部員や職場委員に困惑が走ったという。
組合長と副組合長の「意見の違い」は、大会前日の執行部全体会議で両者の応酬となって現れ、ここに誰の目から見ても「分裂」が明らかとなった。
 その結果、大会の役員選挙においては、組合長の対立候補はいなかったため藤澤氏が4選されたが、副組合長2名に対し4名、中執5名に対し8名が立候補する選挙戦となった。
 副組合長選挙の結果は、田中172・森田161・池田102・上林95票。中執選挙は、平岡212・高橋209・松浦197・立川196・池谷193・谷村102・高見93・渡邊83票であった。
 結果は大会前の田中副組合長発表通りとなったが、対抗する形で立候補した人達が投票数の三分の一を獲得したことは注目に値する。
 これは現場代議員の中にある、「組合の現状をなんとかしなければ」という切実な気持ちの現れ以外の何ものでもない。記者会見を利用した事前の組閣発表という不公平なやり方に対し、勇気を持って立候補し落選したとしても、何ら恥じる必要はない。

人事は説明の必要ナシ?
 大会では根室事務所に飛ばされた上、何の理由説明もなく降格された渡邊執行部員が質問した。
本部役員が「事務職員と同じ仕事だけさせておけ。渡邊を根室から出すな」と支部長に指示を出したため、訪船も執行部会議にも出席させてもらえない状況が2年間続いているという。
 「事務所を開けておけ」という業務命令の結果、一人勤務のため根室から出ることができず、全国委員であるのに大会や各部委員会にも出席できないということだ。同君は何度も本部に手紙を出したが無視されてきたという。
 「誰が、どのような理由でそのような指示を出したのか?」の問い対し、田中副組合長は、「個人の希望をすべて聞くわけにはいかない」「人事は中央執行委員会の責任で決めている」と紋切り型の答弁を繰り返すばかりで、肝心な点は何も答えなかった。
 大内副組合長に至っては、「昇進も降格も、人事に関しては本人にも一切説明しないことにしている」と答弁。その理由は、昇進者は褒め、降格者はけなすことになるだけだから、とのことである。
 帝国海軍もかくあるまじき。「本人の納得」をハナから放棄しているとは、驚くべき答弁である。
 これが事実とすれば、組合内では何らかの失敗により降格させた場合でも、本人を戒め反省を促すための説明や教育を一切していないことになる。逆に、なぜ早く昇進したのか、本人も他の従業員も分からない「変な昇進」も有り得ることになる。
 なにより危険なのは、昇進も降格も理由は一切秘密、説明の必要もないとすれば、派閥争いや報復人事はもちろん、ゴマすり・選挙功労賞人事があっても真相は闇の中となり、幹部の思い違いや意思不疎通による初歩的なミスジャッジさえ生じかねない。
 言うまでもなく、人事は信賞必罰でなければならない。
 組合員の雇用・労働条件の向上、組合方針への貢献を唯一の基準として、褒めるべきは褒め、ミスをしたら正して後の戒めにする。本人が納得して次の目標に向かって邁進でき、かつ他の従業員も奮起できるよう透明かつ公明正大であってこそ組織に求心力が生まれる。
 このあたりまえのことが今の組合はできていない。
 そもそも、人事をめぐる裁判が起きること自体、「指導者」として失格と言われるが、そうした自覚はないのだろうか。
 また、「本人の納得」が重要だからこそ、組合従業員規定には苦情処理条項があり、誰でも苦情申立できるようになっている。
 従業員規定が死文化すれば、行き着くところ裁判しかなくなる。
 労働組合本来の活動とかけ離れた「無駄な争い」を避けるためにも、透明な人事が行われなければならないはずだ。組合員は監視の目をゆるめてはならないと思う。


組合長の危惧
 大会翌日の全国評議会で新人事が発表された後、例年通り執行部全体会議が開かれた。その席で藤澤組合長は次のように発言したという(要旨)。
 「非常に偏った組織運営が始まった。中央執行委員会が数の力で従来の規約解釈を変えてしまう。今日人事権の解釈について、全国評議会で侃々諤々論議したが数の力で押し切られてしまった。
 私は今後2年間組合長として皆さんの先頭に立つ所存だ。これからは私が皆さんを守る。家族の問題もあるので人事は数の力でやってはいけない。一方的な人事に対しては場合により弁護士を立ててでも闘うことが必要だ。何かあれば私に相談して頂きたい。」
 本組合の規約では組合長に独裁的な権力が集中し、近年降格や左遷人事が次々と出されてきた。
その様な人事を発令した当人の言葉とは思えないこの発言は、組合の実権が既に藤澤氏の手中にないことを余す所なく示している。
 大会前後の一連の動きを振り返ると、既に組合長は孤立し、大会中には心労が極限まで達していたことが容易に推察される。
 田中副組合長を始め現役員の多くが、熾烈を極めた役員選挙のあった2004年に藤澤関東地方支部長(当時)の部下として活動し、藤澤組合長下で役員の道を歩んできたことを思えばなおさらである。
 04年の組合長選挙は、井出本前組合長213、小堀前中執169票。副組合長選挙は、藤澤前関東支部長214、北山前中執175票だった。市池元沿海部長はわずか4票差で中執を落選した。
 「決して報復人事をしてはならない」(三浦正俊議員)という現場代議員の発言もむなしく、その後小堀氏は顧問にすら推薦されず、翌年広島大会の出席も拒否された。
 北山氏は外部出向の末08年4月に解雇され、その後も多数の有能な執行部や事務職員が退職していった。不慣れな現場作業の会社を再雇用先にされた元役員、病気や家庭の事情にもかかわらず遠方勤務を  再雇用先に指定された役職者など、多くの人が悔しい思いをして辞めていった。
 とりわけ10年の大会以後異常な人事が相次いだが、裁判になったのはそのごく一部にすぎない。
藤澤氏が心から反省し、執行部の家族にも思いを馳せ、正常な組合に戻そうとするなら、少なくとも06年11月以降の人事は他ならぬ藤澤氏自身の手で発令してきたことを肝に銘じなければならない。
 そして陰惨な歴史に終止符を打つため、最低限、非情な降格・左遷人事を元に戻し、係争中の裁判は英断をもって終結させて欲しい。
 仮に多勢に無勢で実行できないとしても、組合員に対し自らの意見を表明し真実を明らかにするのが責任ある指導者のはずである。

石川執行部員 解雇が撤回され復職
 既報のように、「パソコンの私的利用」を理由に昨年2月に懲戒解雇された石川整執行部員の、地位確認を求める裁判が東京地裁で行われてきた。ところが昨年11月13日、同君が12月1日より関西地方支部に先任事務職員として赴任する人事が突如発令された。
 懲戒解雇撤回の辞令はなく、組織内で何の説明もないという。
 しかし、直後の11月16日に開かれた岸本裁判の法廷で理由は明らかになった。懲戒解雇された執行部員の裁判は、組合側が請求内容を全て認めたため、終了したと組合側弁護士が表明した。
 裁判用語では、双方何らかの合意をする場合が「和解」、被告が請求内容を全て認めたことにより途中で裁判が終結する場合は、「認諾(にんだく)」というとのこと。
 端的に言えば、裁判の攻防が進む中で組合側が認諾(ギブアップ)して、石川執行部員の懲戒解雇理由が無かったことを自ら認めたことになる。その結果同君は11月8日をもって、晴れて執行部員として原職復帰することになった。
 ではなぜ先任事務職員なのか?
 先任事務職員は組合内の処遇が異なり、執行部活動ができない。これは、「組合員のため。船員のため」を志して執行部になった者にとって屈辱に違いない。
厳密に言えば、同君は一旦執行部員として原職復帰したが、わずか3週間後に先任事務職員に降格されたことになる。
 組合長の危惧する事態が早くも現出したのかも知れない。
 問題はこれだけではない。裁判を含め一連の事態が執行部員をはじめ組合員にほとんど知らされていない現実である。これは組合規約の第4条(目的と組合活動)だけでなく、第17条(組合員の権利)にも違反するものだ。

岸本恵美さん裁判
 岸本さんは藤澤組合長名で休職処分・解雇され、裁判の被告代表者も藤澤組合長であるため、組合長当選無効裁判の動向が訴訟の成立に大きく影響していた。
 しかし「当選有効」の高裁判決が出たため、10月5日の法廷で裁判長は、判決に向け裁判を粛々と進行する旨を表明し、組合側に対して二点を要求した。
 一点は、「震災や原発関連のニュースを見ていた時間は私的利用に当たらない」と組合が認めた以上、パソコンの不正使用時間記録を訂正すること。
 この結果11月16日の法廷で組合は訂正表を提出した。それによれば休職処分直前の11年3月に岸本さんが「パソコンを私的利用」した時間は、1日平均わずか12分01秒とのことだ。
 もう一点は「パソコンの私的利用で処分した前例二件」の内容を説明すること。
 組合の回答は、「パソコンの私的利用、無断欠勤等を理由として先任事務職員から事務職員に配転処分」した例は、「労働審判で和解したが、守秘義務がある。本人が明らかにして良いと言っても当方は断る」と法廷で表明した。
 昨年3月に退職した三宅事務職員は、不当な降格処分による退職として、給与・期末手当・退職金の差額、精神科への通院医療費、慰謝料等、計約210万円を求めていた。通常労働審判の和解は金銭解決が殆どなので、組合は相応の金額を払ったと推測できるが、明らかにしたくない模様だ。
 また、パソコンの私的利用を理由に懲戒解雇された執行部員の例は、前記のように、組合が「認諾」したことにより裁判が終了したことが明らかにされた。
 12月28日の法廷では、「証人申請を出す」はずの組合側が一転して証人申請なしと表明。
 岸本さん側が申請したJSSの上司であった宮脇元常務理事・福井現常務理事、岸本さん本人の三証人が認められた。証人尋問は4月12日一回で終了するとのこと。
 岸本さんの弁護士が「休職処分より重い懲戒解雇の裁判を認諾した以上、本件も認諾すべきでは?」と聞いたところ、組合側は「あちらはあちら、こちらはこちら」と認諾を拒否。その後裁判官が、「話し合いで解決する意向はありますか」と聞くと、組合側は「拒否するものではありません」と回答し、別室での協議に入った。
 裁判官は協議の場に傍聴者の同席を認め、処分には無理がある印象を示しながら処分を撤回した上での和解を勧めた。その結果、4月までの間、和解協議が行われることになった。
(12月31日)