組合員 竹中正陽(まさはる)

4.フィリピンルート
 報道は「森田氏はフィリピンで、船員向けの宿泊施設などを建設した際に、現地の業者からのリベートを自身の海外口座で受け取っていた」と記載するのみで、いつ、どの施設に絡んで、幾らリベートを貰ったのか書かれていないため我々は知りようがない。せめて背景を知ろうと、基金設立とフィリピンの施設建設状況を調べてみた。
 非居住特別組合員制度が作られたのは1986年の組合大会だった。なんと、日本人船員の大量首切りに向かう緊急雇用対策参加を決めたのと同じ大会である。
翌1987年より緊急雇用対策が実施され、パナマ等の子会社への売船→FOC化による外国人船員への切り替えが一気に進み、追い打ちを掛けるように日本籍船の混乗(新丸シップ混乗)が近海船から外航にも広がった。
 こうして非居住特別組合員が急増する中、1993年に組合が主導して船主団体との協議が行われ、翌94年に最初の基金である外国人船員福利基金が創設された。
同時にこの時期は、本部の中執ら役員数名が余剰資金(組合費)を勝手にワラント債などに投資し20数億円を損失させた時期でもある。この時は組合自ら発表し、職場委員も参加した委員会が作られて真相究明が行われた。しかし、刑事事件にされず、弁償もされなかった。

1986年:緊急雇用対策合意、非居住特別組合員制度創設
1987年:緊急雇用対策開始
1992年:組合資金運用で20億円以上損失し、関係役員辞任(財政不祥事)
1993年:外航新丸シップ混乗の開始
1994年:外国人船員福利基金創設
1996年:マニラコンドミニアム購入(研修用)
2005年:イロイロAMOSUP船員病院へ医療機器購入支援
2006年:マニラにマリナーズホーム竣工(主に宿泊用179床)。藤澤洋二組合長就任
2008年:バターン州にMAAP(アジア太平洋海事大学)JSU-IMAAJキャンパス新設(後に森田組合長らが卒業式あいさつ)
AMOSUPがダバオに病院を建設し、医療機器購入支援。森田保己氏がマニラ代表部代表に就任。田中伸一、大内教正氏が副組合長(組合長代行)就任
2009年:セブ島にJSU-PSUセーラーズホーム竣工(福利基金から最大2億円、CAトレーニング基金から最大80万ドル拠出)。ダバオのJSU-AMOSUPダバオオフィス建設支援
2010年:MAAP(アジア太平洋海事大学)のJSU-IMAAJキャンパスに追加支援。森田氏外航担当中執に就任
2011年:マニラにマリナーズホームアネックス竣工(宿泊用309床)
2012年:マニラにマリタイムミュージアム(展示館)とスポーツコンプレックス(プール・体育館)竣工。森田氏副組合長に就任
2013年:藤澤組合長が統制処分により解任、大内組合長就任
2014年:ミンダナオにAMOSUP-JSUマルチパーポス/アクティビティーセンター開業(チャペル、プールなど)。森田氏組合長に就任
2016年:マニラにマリナーズホームアネックス2竣工(宿泊用364床)
2018年:マニラにマリナーズホームアネックス3竣工(宿泊用520床+ミニシアタールーム80)
2019年:マリナーズホームアネックス4着工(2023年竣工予定)
2020年:マニラのマリナーズホームが改修され船員訓練センターとしてオープン(運営はIMMAJ、保守管理はJSU)
2020年:マリナーズホームアネックス5着工(2023年竣工予定)

 これを見ると2008年以降、フィリピンで建築ラッシュが続いていることが分かる。この時期は藤澤組合長、田中・大内副組合長らが組合内で権力を持ち、解雇を始め数々の不当人事・降格人事を行い、執行部員の大量退職に至った時期とピッタリ重なる。それは同時に、長期間同じ人間が役員を占め続ける現体制の開始でもあった。
 この点、新聞記事は組合の不法行為が相次ぎ、敗訴が続いたことにも一部触れている。
 ただ、フィリピンでの建設自体に問題があるわけではなく、非居住特別組合員の福利厚生を考えれば、むしろ遅きに失する。基金の大きさに比べ足りないくらいだ。やはり問題は、基金の使途や出金手続きが密室で行われ、組合員に秘密にされていることに尽きる。

マニラ日本大使館でのAMOSUPとPJMCCへの外務大臣表彰式に同席
する森田組合長(右から2人目。2019.10.3大使館のホームページより)

最近の正副組合長・中央執行委員一覧表

(続く)