知床遊覧船沈没事故、行政の責任3

高橋二朗(元船長、海事補佐人)

 沈没事故から1年後の今年6月下旬に国交省の運輸安全委員会が「事実調査に関する報告書案(意見聴取会用)」(以下、報告書案)を発表した。
 この報告書案によると「13時21分から5分間程度、自身の携帯電話で当該旅客の親族と会話をし、『海が荒れており、船首が浸水して船が沈みかかっている。浸水して足まで浸かっている。陸地まで1kmぐらいだが冷た過ぎて泳ぐことはできない。飛び込むこともできない。救命胴衣は全員着用している』などと話した。」(5頁)
 また、「本事故現場のような海面水温約4℃の海水(後記 2・4・6)に人が入ると、10分以内に偶発性低体温症となり、次のような経過をたどる。①意識を失い(昏睡状態)、息止めができない状態となる。②頭部(首)が支えられなくなる。意識を失い息止めができない状態で頭部が下になり顔が海面につき、意識がない状態で海水を飲んでしまうか、又は上を向いた状態で波をかぶって海水を飲んでしまう。」(21頁)
 このように、水温4℃の海水に足まで浸水した沈没寸前の旅客の悲痛な叫びに対して誰に責任があるのか。


一、沈没の直接原因
 この沈没の責任は船長にあるのか、知床遊覧船会社の社長(運航管理者)にあるのか、3日前の杜撰で違法な検査を実施した小型船舶検査機構(以下、JCI)を管轄する国にあるのか、今、問われてい る。
 確かに出航基準を超えて本船を出航させた船長は非難に値する。これに弁解の余地はない。
 また、安全統括管理者及び運航管理者として虚偽の申請で運航許可を得て、事故当日は法に違反して在社せず、安全に関し杜撰であった社長に責任があることは異論の余地はない。
 しかし、船長や運航管理者の社長が法に違反して沈没に関与はしているが、沈没の直接原因ではなかった。
 本船は航海中の気象・海象の予想基準(風速8mで波高1m)を無視して出港し、実際に基準を超えた状態で航行したが、沈没の直接原因でなかったことは、報告書案からも明らかである。
 沈没発生時の直近の原因はハッチ蓋の水密性の不良、つまり航行中の船舶として決定的に重要な堪航性の欠如によることが報告書案の記載内容から明確になった。
 そして、ハッチ蓋の水密性の不良(つまり堪航性の欠如)があったにもかかわらず、ハッチ蓋を良好とし、中間検査を合格させたのはJCIであった。
 なお、本船は沿岸小型船なので水密隔壁の設置の法的義務がなかった現状から、船首甲板上のハッチ蓋の水密性の重要性は更に高かった。

二、ハッチ蓋の作動状況
① 正常なハッチ蓋の動き

ハッチ蓋は船首部の甲板上にある。

甲板上から見たハッチ蓋(報告書案)

 ハッチ蓋外側の四隅のクリップ・ハンドル(取っ手 締付装置)と船倉内のハッチ蓋内側のクリップのツメとハンドルは同じ方向に取り付けられ、ハッチ蓋の外側と内側で連動し一体となって同じ方向に動く。
 また、ハッチコーミング内側の四隅に、クリップのツメを受けるためのプレート片のクリップ止め部が溶接されている。

船倉内から見たハッチ蓋(報告書案)


 船倉内のハッチ蓋の内側は、ハッチコーミング四隅のクリップ止め部の浅い側に軽く引っかかったクリップのツメが、その後約90度回転して、深い側のクリップ止め部の位置まで移動する。こうしてハッチ蓋は確実に閉まった状態となり水密性が確保される。
 このハッチ蓋の内側のクリップのツメの90度回転は、甲板上のハッチ蓋の外側からクリップ・ハンドルを素手で回転させて実施する。
その際に素手に大きな力がかかり、確かな手応えを感じるが、外観検査では全く分からない。
 なお、ハッチは舫ロープ等が格納されて始終人が出入りするが、一方,航海中のハッチ蓋の閉鎖時は海水を一切侵入させない構造となっている。
② 実際に閉まらないハッチ蓋
 報告書案によると、「クリップ止め部の取付位置には左右で差があり、右舷船首側及び左舷船尾側の2か所では、クリップ止め部の前後方向の長さが短いため、ハンドルを真横(「閉」位置)に向けると、クリップの ツメがクリップ止め部に掛からない状態であった。」(63頁)
このようにハッチ蓋の内側でクリップのツメがクリップ止め部に掛からない状態は外観検査では分からない。


三、ハッチ蓋の検査方法
① 開閉試験をすべき

 報告書案には、「沈没前年の定期検査と沈没3日前の中間検査時にハッチ蓋の改造がなかったことを検査員が確認した。その際、JCI細則に基づいてハッチ蓋の外観の現状が良好であったことから、開閉試験を省略した」旨が記載されている。(90頁)
 しかし、定期検査と中間検査時にハッチ蓋の改造が無かった事実とハッチ蓋の作動状態の良否とは全く無関係である。
 報告書案には、「経年変化により部品の損耗等が生じると、振動などによりクリップが回ってツメがクリップ止め部から外れる可能性がある。」と記載されている。(64頁)
従って、ハッチ蓋内側の作動状況が重要なことから、外観検査ではなく、開閉試験を実施すべきであった。
② 外観検査すら実施なしか
 報告書案には次のように記載されている。「同ハッチ蓋は、本来、閉鎖するとハッチコーミング下端まで覆いかぶさる形状であるが、本事故前の救命訓練の際には、同ハッチ蓋がハッチコーミング下端から約3cm浮いている状態であった。」(62頁)
 このように外観検査の翌日(沈没の2日前)の救命訓練の際には、既にハッチ蓋がハッチコーミング下端から約3cmも浮いていた状態であった。このことは、検査員が外観検査すら実施しなかった可能性が高い。


四、沈没事故の防止
 小型船舶の運航の安全は、JCIの定期や中間検査が適切に実施されていることを大前提に現場の船長や運航管理者が法を遵守して確保される。
 この中間検査で船首甲板上のハッチ蓋の作動不良により水密性が確保されず堪航性がないことが判明していたならば、検査員は中間検査を合格させなかったはずである。
 その場合、ハッチ蓋の修理が終了し再検査完了まで運航されることはなく、沈没事故は発生しなかった。
 以上のように、船長や運航管理者の社長は沈没に関与しているが、沈没事故の直接の責任は、ハッチ蓋の作動不良のまま検査を合格させたJCIにある。


(了)