ー 商船船員を魅力あるものにするために 22(最終回) ー 

雨宮洋司(富山商船高専名誉教授)

(最終章)

Ⅵ 新船員政策のために 

1.特殊性を克服する諸施策の基本
2.船員教育研究機関の再構築と船員の新役割
(1)再構築へ向けて
(2)アジアにおける〝共生〟の課題
①日本人船員の〝共生〟役割の重要性 
②富山でのアジア共生への挑戦 
 ○旧富山商船高専での取り組み
(以上前号まで)

○附属小学校での環日本海域授業交流の実践
 旧富山商船高専から富山大学教育学部(現人間発達科学部)へ筆者が転籍したあと、定年直前の4年間、同大学の附属小学校校長を兼任することになりました。
 せっかくの機会であったので、副校長の応援を得て、旧富山商船高専の国際流通学科の異文化体験学習を参考にして、環日本海域の大学附属小学校の教師間による出前授業交流という新事業に乗り出すことになりました。幸い、富山県や大学からの資金援助が3年間続けられたため、その事業は順調に進んでいきました。
 新事業の概要は次のようになります。まず、韓国ソウルの慶煕大学校附属小学校の校長と教員に富山大学の附属小学校に来てもらって、音楽の授業を行い、その後、こちらから相手の小学校の教室で図画工作の授業を行うことを皮切りに、翌年は中国・大連の海事大学附属小学校の校長と教員に来てもらって、図画工作の授業を行った後、こちらから音楽の教員が出向いて授業を実施しました。3年目は、ロシア・ウラジオストクのネヴェルスキー海事大学附属小学校の校長と教員がこちらの小学校で図画の授業を行い、その後、こちらの教員が出向いて音楽の授業を行ったわけです。
 やがて、授業内容は韓国との間では社会科の授業交流へ進み、中国との間では体育の授業実践もなされました。この交流授業は小学校の子ども達はもちろん、教員間、さらには保護者間の共生意識を深くすることにもなったようです(拙著『海を越えた心のキャッチボール~環日本海小学校授業交流への挑戦~』富山大学出版会2007年参照)。
 環日本海域における共生社会を目指した小学校教員の授業交流事業では、そのノウハウが蓄積されたとともに、日本海側にある富山大学附属小学校のイニシャチブがいかんなく発揮されました。この授業交流から学んだ諸点は次のようにまとめられます。
 第一に、教室で行われた双方の先生による授業の教科名やその内容は、それぞれの国の子ども達にフィットすることを唯一の条件にして、その先生が自由に決めて良いようにしました。その結果、各先生が工夫したことは、相手国の子ども達に理解が深まり、その先生自らの印象も良くなるような内容と授業方法に満ち溢れ、活気あるものになりました。
 政治的に微妙なことは双方とも避ける工夫をしたようです。例えば、韓国の社会科の先生は、朝鮮半島の伝統的な色を紹介して、まちなかや各家庭の中に、さりげなくその色合いが出ているのを探し当てる楽しい授業構成になっていました。日本の先生が韓国の小学校で行った社会科の授業は相撲の紹介であり、図画の授業を行った日本の先生は、互いの国の間に横たわる海を東海や日本海ではなく〝青い海〟と表現する配慮を見せて、水彩絵具のぼかし技法を教えました。そのようにすると、先生と子ども達の間はごく自然に、国籍を意識しない信頼感あふれる師弟関係が出来上がってくることが分かりました。
 第二に、共通語は英語としましたが、教師間や保護者との懇談会ではそれほど不自由さは感じませんでした。子ども達もかなり英語を学んでいたので、簡単な指示事項はそれでやれたのですが、より良い理解状態を作るために、私たちは富山大学に留学していた各国の学生に、1年前から附属小学校での異文化授業を行ってもらい、日本の小学校教員の仕事や子ども達の教室における日常の様子をその留学生に把握してもらいました。交流授業の当日は、その教室でそれぞれの国の先生方の授業の通訳をしてもらったわけです。
 その結果、日本の小学校における子ども達や教員の真の姿を相手方にありのままに伝えることができたようです。
 このような日本側の通訳態勢の取り組み方は相手方にも伝わり、同様の方法で小学校授業の真の国際理解になる通訳態勢が出来上がりました。その成果でしょうか、中国の校長先生は、日本の養護の先生が子ども達のために校内掲示していた〝子どもが生まれる過程〟の説明図や〝いじめ撲滅PR図〟、さらに子ども達が放課後、当番制で掃除を一生懸命行っている姿等々に感動して、早速自分の学校でもやってみたいと言い、その後その学校へ行ってみると、似たようなことが実践されておりました。国が違っても、体験して良いと感じたことは素直に受け入れて実践していくものだとつくづく感じた次第です。
 第三に、教材の準備過程で気づいたこともありました。最初は、先生の授業内容に沿った教材準備を相手国の先生方にお願いすることでスタートしたのですが、途中から、その先生が必要とする教材の1クラス分(20人~50人)をリュック等に入れて持参することになりました。その理由は、例えば、竹を使った音楽や工作の授業例が日本にはありますが、中国・大連の小学校にその準備をお願いしたところ、遠方まで竹を伐採に行かないと手に入らず、その太さや長さ、さらに葉がついているかどうかなどのやり取りも含めて、それは大変困難な作業であることが判明したのです。その後、教材は、それぞれの先生が持参していくことを原則にしました。
 ただし、音楽の授業の際に使用するピアノは持参するわけにはいかないので、その国の教室に置いてあるものを使うことになりますが、調律などがなされていることは珍しく、旋律を通した感性教育のレベルもさまざまになることも分かりました。要するに、教材や授業内容などはそれぞれの国の状況を加味したものになっていることがわかり、小学校の先生方にとっても教材づくりの原点をみる契機になりました。
 第四に、日本との歴史問題に直面することもありました。韓国や中国で授業回数が重ねられ、ホームステイなどを伴う交流活発化の段階に入ると、〝戦前、肉親が日本人にひどい目にあわされた〟といった内容に話が及ぶこともあります。そういったことを乗り越えた方法の一つは、村山談話や河野談話など歴代日本首脳陣による反省の弁を紹介することが大変有効であることに気づきました。
 極東ロシアの場合は、日露戦争での敗北のくやしさをネヴェルスキー海事大学の資料館で散見しましたが、ソ連崩壊後の極東ロシアにおける小中学校では、むしろ日本語の勉強が強化されているところも多く、ヨーロッパロシアの歩みとの違いが強く意識されていることも感じました。
 第五に、このような交流実践が可能になったのは、日本の地方空港・海港の充実であり、自治体が行う対外政策が重要であることも理解しました。富山県の場合、環日本海交流の活発化策が、当時の県知事によって展開され、ロシア・ウラジオストク、中国・大連、韓国・ソウルなどへ富山からの飛行機が定期就航し、伏木富山港とウラジオストク港間の貨客船の定期就航もなされていたため、環日本海域交流に際しても行き来が便利であり、一定の支援もなされる状況にあったことは幸いでした。改めて、地方分権と自治体外交の大切さを感じた次第です。
 第六に、双方の信頼関係の強化に役立ったこととして、旧富山商船高専の国際流通学科の学生や富山大学教育学部(当時)の学生たちが、環日本海域の当該大学や附属小学校へ教員が付き添わずに出向き、結果として相手大学の教員集団に、学生の指導をすべてお任せする研修を続けていたことは幸いでした。それは信頼関係の醸成が形成されていたことを意味しており、附属小学校教員の交流授業も順調に進む主要因になったと思います。国を越えた人々の信頼関係構築の方法に大きなヒントを与えてくれました。 
 第七に、当該大学(特に、ロシアと中国の場合)の責任者と附属学校長らには、1990年(ソ連崩壊)以降、学生・生徒の個を伸ばすという共通土俵がうまれてきたことは大きいと思います。それは、東西冷戦の終結で、ナショナリズム的人材育成面はなお残ってはいるものの、個を重視する教育関係法の改正が、中国とロシアで進んだということを意味しております。
 それと、国連主義を標榜している韓国の慶煕大学校(学園・思想・生活の民主化が校訓であり、その実践も行い、富山大学にも多くの留学生がいた)関係者にも共通していたものがありました。それはリアリズムを根底に、共生社会の理解、国際的感性、チャレンジ精神の三点(これらは現代シーマンシップの諸要素で、海洋市民的要素でもある)を互いに持ち合わせていた点です。

 以上、アジア共生社会実現のための小学校における取り組みとそこから得られる諸点をいくつか紹介しました。それらが寄って立つノウハウは、アジア船員との混乗の中で、日本人外航ベテラン船員が船上の仕事と生活を無事にこなしていったことがヒントになっており、上記(第一から第七まで)の諸点は海洋市民の概念構成の諸要素になると言っても良く、環日本海授業交流事業に関わった人たちには、そのような諸要素が備わっていたといえましょう。
 日本側でこの交流事業を企画して実践した関係者の資質形成の基礎は、もっぱら戦後の新教育理念の中で育まれたものであり、なかでも筆者の場合は、戦後再出発した旧商船大学(商船学部)の新制度のなかで形成されたものであると認識しており、副校長も旧師範学校時代の反省を踏まえた新大学の教育学部理念で育てられた者で、リーダー役の両者には類似したものが存在していたと思っております。
 ただし、筆者の場合、その諸要素が意識的にカリキュラム化されていたものを学んだというよりも、船舶運航の学術理論を旧商船大学で学んだことを土台にして、旧航海訓練所でのサンドイッチ実習(遠洋と近海の航海訓練)のなか、海という自然に囲まれ、自己完結的意識での仕事や船内生活を通して内面に形成された体験があったからだと思っています。
 しかも、就職した船社で、先輩船員たちによって育てられ、船上での資質育成がなされたことで一層の磨きがかけられたことには感謝しているところです。
 そういったことは、一般の日本人も、海とのかかわりで様々な体験(なかでも帆船等への乗船経験)を通して、その一端を体得することは可能であり、四面環海の日本での海洋市民教育展開の場合には、特に心得ておかなければならないことです。ただし、そのような海洋市民教育を実施すれば、日本人船員(職業)の確保育成に結びつくかといえば、そうとは言えません。あくまでそれは必要条件にすぎません。十分条件は、陸の職業との対比で船員(職業)になることの労働条件に象徴される魅力があるかどうかに関わります。

(3)海洋市民育成〟の必要性
 船員(職業)を含む海へ向かう人を増やすために、日本国民が四面環海という地理的条件のもとにあること、船員や港湾で働く人に代表される海やシーフロントでの海人の仕事にはその特殊性があること、これからの海人は共生の意識を強く持つ海洋市民であること等に理解を示す必要があります。
 そして、そのような理解につながる海洋教育と海洋体験活動は小学校や中学校の段階で必要であり、それが日本国民の基礎・基本の素養になっていくようにすることも重要です。したがって海洋法の批准以降、学習指導要領のなかに海洋教育・体験活動を挿入する動きには同意します。
 ただし、その内容には問題があります。戦後一貫して、文科省と国交省の商船船員教育機関を拠点に、海と人の問題に苦労して取り組んできた成果と失敗の経験を踏まえて展開することが大変重要なことであると思うのです。
 現行の海政策は、商船系諸機関とは別次元で考えられた海政策になっているのではないでしょうか。そのことは、海という自然と人間の長い関係史のなかで培われてきた商船船員や漁船員の近代化の実践史を軽視することであり、四面環海の日本・日本人の在り方に必要な現実的で夢のある展望が開かれることになるとは思えません。
 海洋・海底の資源獲得や領海・200海里の確保に傾注した海教育の学習指導要領への導入政策を、これまでの船員教育研究機関の実績と切り離して行うことは得策ではありません。
 国交省の海技教育機構の練習船利用に関しても、紆余曲折を経ながらも、市民へ開放する努力が、旧航海訓練所の下で少しずつ行われてきたことも知るべきでしょう。
 特に練習帆船の利用は、市民や若者が自由に参加して航海を楽しむようにする方法の模索もなされてきており、日本でもやがてヨーロッパでなされているような〝障がい者のための帆船実習訓練〟実施も視野に入れなければならないのです。
 初代日本丸や海王丸といった往時の練習帆船も、横浜港と富山新港で地方自治体による維持・保存がなされ、海辺の賑わいづくりの核として貢献しております。さらに、両船の総帆展帆(月1回)が一般の市民ボランテイアの手によって行われるなど、いわば市民の海人教育が自治体によって展開され、みなとまちづくりの主役も育っていることになります。
 各地の商船系大学・高専や水産系大学・高校で行われてきている校内練習船等の海洋施設を使った海に関わる知見の地元貢献の実践史は重要であり、現在も人員や予算が厳しいなかでも、努力して継続されていることには注目すべきでしょう。
 さらに、船や船員との関連で賑わった歴史を持っている日本のシーフロントに残る海人のセンスを大切にすること、つまり海との関わりの地域コミュニティーの歴史とその伝統を大切にすること、各地のシー(またはウオーター)フロントで取り組まれてきている諸事例(各地の新港づくり、東日本大震災後の気仙沼における若手漁船員の定着運動、琵琶湖で展開されている海洋実習等)を海人による郷土づくりの視点で再構成して、新旧みなとを合体したまちづくりへの現代的挑戦をしていくことが求められているのです。
 こうした〝みなと及びみなとまちづくり〟といった海との関連での地域づくりという息の長い戦略の先に見えてくるものが、国民の心に芽生える海・船に親しむ基礎・基本の形成であり、それが海という国際舞台を背景にした日本人の真のリーダーシップにつながっていくことになります。そのような人を海洋市民と呼ぶべきでしょう。
 小中学校の学習指導要領への海視点での教材導入はこのような海洋市民育みの一環として行われなければなりません。これはまた、商船学が持つ一要素の一般市民への適用になるのであり、いまこそ商船系大学・高専での〝海洋市民育成論〟の展開が必要な時であることを強調しておきます。

(4)再考
 ~船員と平和憲法の関係について~
 現憲法の前文と第9条に記されている、戦前の日本とは異なる平和主義の具体化を、船員の地位向上運動、海運経済活動、そして商船船員教育研究活動と関連付けて船員政策を展開していかなければならないという思いで述べてきました。それこそが、日本として誇るべき海政策の一環になると考えております。これまでの戦後の歩みをスクラップにして、異なる理念による海政策のビルドは誤りです。
 政府は、憲法の改正を避けて第9条の改憲解釈で集団的自衛権行使を可能にし、平和安全法という名の新安保法を策定して、いよいよ2016(平成28)年度予算では、商船船員の海上予備自衛官補任命とフェリー確保のための特殊会社設立に踏み切りました。
 それらは、アベノミクスという名の市場至上主義政策と合わせて、日本の行く末を危うくするものばかりです。
 いま私たちは、人間同士の争いは、動物のように力で決着していくものとは異なり、国家を背景にした組織的武力(軍事力)強化競争につながる抑止力論には組みしないでやっていくことが必要であることを再確認しなければなりません。抑止力論では、互いが疑心暗鬼になって軍事力増大の準備競争に陥り、互いの国民感情の憎悪をあおった末に、双方の防衛という名の軍事関連予算を増加させ、福祉や教育に回すお金(予算)を減少させていくことが、これまでの経験から明らかです。
 こうした抑止論と新アベノミクス(600兆円のGDP、介護職員離職ゼロ、出生率1・8)政策が同時並行して進むことなどは、低成長経済下ではあり得ないことで、「大砲かバターか」の文言は今日でも通じる名言だと思います。
 さらに考えるべきことがあります。最近の戦争実態は複雑で、破壊力も大きく、勝者はありえず、双方が多数の人命を失って、社会が荒廃するだけということは明らかです。さらに、華々しい戦争行為を行った後のアフガン、イラク、中東地域等の人々の動きでわかるように、圧倒的軍事力に晒された力の弱い側の抵抗は国民国家の枠を超えて、テロ行為のかたちでアメーバーの如く各国・各地域へ拡散していくという厄介な事態にもなっております。
 したがって、これからの国民国家は武力に頼らず、共生の概念を念頭に置いて、あくまで互いに個人を尊重することから湧き出る人間の英知によって、国際間の争いごとに決着をつける長期で忍耐強い姿勢が一層重要になります。その意味では、日本の平和憲法の下で実践してきたこれまでの様々な内容は、今こそ大切にされなければなりません。
 海事部門での例をあげれば、多国間の利害が絡むマラッカ海峡での海賊対策と船舶の安全運航の確立を国交省の警察力(海上保安庁)が中心になって行ってきた日本の貢献、さらに丸腰の外航日本船が日本人船員の英知によって築き上げてきた無防備の中での船舶の安全運航のノウハウ、海軍とは距離を置いた戦後の旧商船大学や商船高校(高専)の歩み、日本独特の軍事力抑制論の経緯等々がスクラップにされることは、非常にもったいないことです。
 むしろ、それらを貴重な礎にして、より平和的な構築物をその上に築いていく叡智こそ、今の日本人が持つべきことであり、日本の船員団体も率先して主張していかなければならないことでしょう。そのためには、日本の船員(職業)による〝共生社会づくり〟と、〝海洋市民〟の育みという役割が関係者によって認知・尊重され、海運・船員政策に生かされる必要があります。
 いうまでもなく、それらはあくまで、日本の平和憲法の存在が前提条件になっているわけで、憲法を守る民主的政権の存在、さらに海部門で率先して非民主性を正すべき立場にある船員団体(全日本海員組合等)の存在は大変重要で、そのような組織の出現が待たれるところです。
 そのもとでこそ、船員(職業)の特殊性軽減と船員の基本的人権の深化がなされ、商船学との関連での共生論と海洋市民論の充実・展開が図られることになるに違いありません。

あとがき
 戦後7070年以上を経た日本にふさわしい船員の確保・育成策と船員問題を考え、船舶運航学術の深化と広がりを願って、具体的な政策や海運企業のありかたを批判的に模索してきました。本論は、船員職業の特殊性に焦点を当て、論旨の展開に重きを置いて、それを論じたものです。
 最近の大学組織づくりの傾向としては、研究と教育を切り離して、大学教員は大学院に所属して研究環境を整える努力をし、教育面については、院生の指導と学部へ出かけての講義という仕組みが強化されております。世界の大学ランキング競争は主に前者の研究業績との関連で行われ、予算獲得との絡みでは次第に国や企業によるランキング重視の影響が強く反映していく傾向にあるといえましょう。
 日本の政治路線は国政選挙に見られるように、昔を懐かしむようなナショナリズム回帰の動きが鮮明になっているように思います。そうした路線のもとでの教育研究政策のなかで、船員(職業)のあり方を模索することになるので、大変難しい面があるといえます。
 しかし、本論は非人間的側面を持つ船員(職業)の特殊性を核にしているので、その打開策は超歴史的面が強く、いかなる政治路線のなかでも尊重されなければならないと考えております。この小論が、日本人船員はもちろん、外国人を含むグローバルな船員社会における地位向上に少しでも役立てられるならば幸いです。
 拙い私の主張に耳を傾けていただいた読者のみなさんと竹中正陽さんを始めとする『羅針盤』編集者の方々に心より感謝申し上げる次第です。

(完)

船員にこだわる物言い】感想文募集
 第15号より7年以上にわたる連載が今号で終了しました。雨宮先生ご苦労様でした。連載途中の2017年には単行本の出版、電子書籍化もされました。ついては、感想文を募集しますので奮ってお寄せ下さい。来年2月末の締め切り、次号に掲載。ペンネームや匿名可です。