大内要三(日本ジャーナリスト会議会員)

国に忖度した判決
「本件各控訴をいずれも棄却する。裁判費用は控訴人の負担とする。」
 判決主文を読み上げただけで判決要旨を述べることもせずに風のように扉の向こうに去って行く裁判長に、私は「不当判決!」と叫んだが、彼は痛みを感じることもなかっただろう。
 昨年12月22日、「おおすみ事件」広島高等裁判所での控訴審判決は、このように自衛隊=国に忖度し、免罪するものだった。釣船「とびうお」の被害者・遺族らの控訴人はこの判決を不服として12月25日、最高裁に上告した。
 「おおすみ事件」広島高裁判決について、全国紙の扱いは地方面の小さな記事にとどま
った。地元の『中国新聞』は社会面2段見出しで次のように報道した。
 「西井和徒裁判長は、…『釣り船がおおすみ側に右転しなければ衝突は生じなかった。釣り船が直進すれば衝突する危険があると誤認した可能性が否定できない』と判断。おおすみが釣り船を避ける海上衝突予防法上の注意義務を負っていたとは言えず、過失はないと結論付けた。」
 本誌33号に昨年3月の広島地裁判決(原判決)についての記事を掲載していただいた。本号では以後の経過と高裁判決について述べる。
 あらためて概説すれば、「おおすみ事件」とは、2014年1月に瀬戸内海で海上自衛隊の大型輸送艦「おおすみ」が、定員不足・技量不足のま
ま高速で釣船「とびうお」に後ろから近づき接触し、面舵一杯によるキックで跳ね飛ばして転覆させ、釣船に乗船していた2人を死亡させた事件である。

報告集会で発言する池上弁護士

 運輸安全委員会、検察、自衛隊事故調査委員会、広島地裁はいずれも「とびうお」が直前に右転したことが事故原因だと判断した。釣場に直進していた「とびうお」に右転の必然性はなく、GPS記録など右転の物証はなく、「とびうお」に乗船していて生還した2人が右転などしていないと証言したにもかかわらず。


高裁で争われたこと
 控訴状提出は2021年3月25日、第1回口頭弁論は9月15日だった。控訴人(「とびうお」側)は、控訴理由書、第1準備書面および意見陳述で、次のように主張した。

①「とびうお」転覆の原因は「おおすみ」左舷への接触後、「おおすみ」が面舵一杯を取
ったことにある


 原判決は、「おおすみ」の面舵一杯による艦尾の振り出し(キック)を「とびうお」転覆の一因とし、艦長は艦橋からは見えなくなった「とびうお」が、「おおすみ」の左舷後方に移動することを予見できなかったと判断した。
 しかし海上では衝突事故が発生すれば機関停止とするのが海技常識だ。実際に「とびうお」のクラッチレバーは中立、スロットルレバーは低速だった。「おおすみ」は減速しつつも17・4ノットだったので、当然「とびうお」は後ろに下がる。面舵一杯を命じた艦長はキックの危険性を予見できた。
 全長178mの「おおすみ」の転心点を艦首から3分の1のところとすると、接触から8秒後に「とびうお」が「おおすみ」の艦尾に至ったとき、「おおすみ」の艦尾の振り出しは35・8メートルに及ぶ。

②「とびうお」は右転していない

 原判決は、7時59分30秒頃に「とびうお」が右転して「おおすみ」の艦首方向に接近してきたことが衝突の原因と判断した。
 しかしこれより前に「おおすみ」の艦橋では「避けられん」「怖いよなあ」という発言が録音され、危険を認識していたことが明らかだが「おおすみ」はまだ回避動作をしていない。
 さらに、「おおすみ」乗員の証言はさまざまだが、誰も「とびうお」の右転の瞬間を目撃していない。
 また、59分30秒の「とびうお」の位置とされている所から「とびうお」が「おおすみ」の艦首に向かうには、針路をほぼUターンの方向に向けなければならず、あり得ない。

③「おおすみ」には海上衝突予防法上の航法違反および注意義務違反がある

「おおすみ」は追越し船であり予防法13条1項に違反する。57分02秒に左転して衝突の危険を生じせしめたのに、船員の常務による危険解消をしなかった39条違反がある。
 衝突直前には横切り船の航法が適用されるとしても、「おおすみ」には保持船としての最善の協力動作義務がある(17条3項違反)。
 最初の接触では「とびうお」転覆の危険はなく、「おおすみ」の面舵一杯が転覆の原因となったので、面舵一杯を指示した艦長に船員の常務の注意義務違反がある(39条)。


和解協議なしにすぐ判決
 被控訴人(「おおすみ」側)は答弁書を提出し、控訴人の主張は原審(地裁)での主張の繰り返しや、独自の原判決の解釈に基づいており、理由がない、と主張した。
 これで結審となり、判決は12月22日に指定された。こののち裁判長から和解協議の場を設けることが提案され、控訴人、被控訴人からそれぞれ別個に裁判官からの聴き取りを受けた。
 聴き取りの席で被控訴人はあくまで判決を求め、和解の席に着くかどうかを判断するには制度的な制約があるので判断に時間がかかると主張したという。制度的な問題とは、海上幕僚長の2020年3月5日付通達「見舞金の支払いについて」があることだ。
 賠償請求に応じずに見舞金で済ませるとしてもこの規定によらなければならず、該当するかどうかの判断は海上幕僚長が行う。これによると、「海上自衛隊が不法行為により他人に損害を与えた場合、当該事案の迅速かつ円満な解決を図るため必要に応じ見舞金を支払うことができる」「海上自衛隊の賠償責任が不明な場合であっても…特に必要であると認められる場合も同様」とされている。
 しかし被害者死亡でも基準額は1人当たり20万円とあまりにも少額で、今回の賠償請求が控訴人4人の総額5000万円を超えるのとでは桁がいくつも違う。なお、この海上幕僚長通達は「あたご事件」の遺族が見舞金(金額は明らかでない)を受け取り、損害賠償を請求しないことを決めて以後のものだった。
 和解期日は11月1日に指定されたが、のち被控訴人は和解の席に着かないと通告した。「おおすみ事件」では和解協議は行われないことになった。
 判決期日、12月22日。控訴人、弁護士、そして支援の「おおすみ事件真相究明会」メンバーは広島弁護士会館から隊列を組んで裁判所まで行進した。この裁判では地裁・高裁を通じて初めての傍聴券抽籤があり、コロナ禍のもと20名だけが法廷に入った。私は幸いに抽籤に当選して傍聴することができた。
 そして迎えた判決の読み上げは、本稿冒頭に書いたとおり、1分もかからなかった。控訴人完敗だった。

「おおすみ」に過失なしという判断
 判決は48ページにおよぶ長文だが、結論は裁判所が作成した判決要旨の「当裁判所の判断」に以下のようにある。
 「とびうおが衝突の直前、右転したとの事実を認め、おおすみの艦長らの操艦行為に過失がないと判断して、控訴人らの損害賠償請求をいずれも棄却した原審の判断を維持し、本件各訴訟にはいずれも理由がないと判断した。」
 以下、前記控訴人の主張3点に即して、判決理由を見る。

① 面舵一杯を取った「おおすみ」艦長の過失は

 「面舵一杯を指示した後、間もなく、とびうおがおおすみ艦橋からの死角に入ったという当時の視認の状況を前提にすれば、…右転してとびうおの針路を空け、あるいはおおすみ艦首ととびうおとの距離を少しでも離すことで、衝突を回避し、又は衝突の際の衝撃を軽減することを選択したことに十分な合理性が認められる。」
 「とびうおのようなほとんど同航の動力船は、障害物又は浮遊物と異なり、舷側に沿って方位を落とすのに時間を要することになるから、舵を取ってから実際に転舵し始めるまでの間にその動力船が転心よりも後方に移動することには必ずしもならない。」
 「控訴人らの主張は、面舵一杯の措置を取ったことが…とびうおの転覆を招いたという結果から遡って、いわば後付けで田中艦長の注意義務の内容を特定しようとするもの」。

②「とびうお」は右転したか。

 「各発言(「避けられん」「怖いよなあ」)の時点と午前7時59分30秒以降とでは、事態の緊急性において大きな差がある。…7時59分30秒よりも前の時点で既に衝突の危険が生じていたことの証左とすることはできない。」
 「控訴人らの主張については、とびうおの午前7時56分15秒以降の航跡について直接その航跡の特定する資料がない状況において、その航跡を推定する正確性を問題にするにすぎない」。
 「木村左見張員は、…急にとびうおの右舷の見える面積が増えたと証言しているのであり、まさに木村左見張員はとびうおの右転の瞬間を目撃していたといえる。」
 「各証言は、表現が異なるだけで、とびうおが右転したことをうかがわせる点においては一致しており、…いずれも信用できるというべきである。」
 「その(とびうお右転の)理由は、操船者である高森が死亡しているため判然としないが、とびうおをおおすみに接触させようと意図したというのは論外であるし、…いわゆるゲン担ぎで…おおすみの艦首直前を通過しようとして右転したとも考え難い。むしろ高森において、何らかの理由によりそのまま本件各船が直進すれば衝突の危険が生じると誤認し、…相対位置が避航船となるとびうおをおおすみの艦尾方向に迂回させて回避しようと試みた可能性の方が否定できない」

③「おおすみ」の航法上の過失は。

 「おおすみがとびうおより速い速度でとびうおに追い付き、その前方に出る状況にあったとはいえない。…おおすみは徐々に速力を落としており、とびうおを追い越す行動を取っていない」。
 「7時57分2秒頃の本件各船舶の距離は約670mであったのであるから、その頃に衝突の危険が生じていなかったことは明らか」
 「7時58分43秒頃の時点で、本件各船舶がそのまま直進すれば、おおすみの艦首から100m程度前方をとびうおが通過すると考え、衝突のおそれがないと判断した田中艦長の判断に誤りがあったとはいえない…この時点で、衝突のおそれが一旦解消したと評価でき…警告信号吹鳴義務違反及び最善の協力動作義務違反があったということはできない。」


これで良いわけがない
 この判決理由には納得がいかないので、少しだけコメントをしておきたい。

①面舵一杯について。

 両船は速度が異なり、「とびうお」は機関停止していたのに「ほとんど同航」とするのはおかしい。
 結果から原因を追及するのは当然であって、控訴人は面舵一杯で「とびうお」転覆の原因を作った艦長の責任を問うている。

②「とびうお」右転について。

 危険を感じることなく「避けられん」と言うはずはない。「おおすみ」は「事態の緊急性」が高まる以前に対処しなければならなかったはずだ。
 海上衝突事故では両船の航跡がいちばん問題になるので、航跡推定の正確性を争うのは当然だ。
 見張員のあやふやな証言から「まさに右転の瞬間を目撃していた」と認定するのは無理がある。この見張員は「とびうお」船長が「おおすみ」を視認しているか確認せよと命じられた際に14秒もかけた後に回答し、「とびうお」が接近してきたことを視認しても当直士官はすでに承知していると思って報告しなかった者だ。
 右転の理由をいろいろ検討し、故意に衝突させようとした、ゲン担ぎで艦首直前を横切ろうとした、などという説を否定したのは良いが、艦尾方向に迂回させようとしたという想定には無理がある。それこそUターンに近い転舵をしなければならないし、同乗者が気付かないはずがない。

③航法上の過失について。

 「おおすみ」が「とびうお」の後方から、より速い速度で来ていたのだから、670mの距離は次第に詰めていくことになるのは当然予測できる。「おおすみ」が速力を落としたのは、いかにも遅すぎた。
 運輸安全委員会は船舶事故報告書で「より速い段階での減速、より大幅な減速を行うなど、海上自衛隊通知文書に基づき、小型船との接近に対応し得る余裕のある航行をするか、航行指針に基づき、衝突予防の見地から注意喚起信号を活用していれば、本事故の発生を回避できた可能性がある」と指摘していた。まさに「船員の常務」の重要性を指摘していたことになる。高裁がこの指摘を一顧だにしなかったのは残念だ。

 見通しの良い海上での衝突事故について、自殺的飛び込みであるはずもないのに、一方にだけすべての責任を負わせる判決などあってはならない。これでは犠牲者が浮かばれず、慎重な操船者であったという「とびうお」船長の尊厳を冒涜するだけではない。
 このような判決がまかり通るなら、自衛艦の『そこのけ運航』を公認し、民間船は自衛艦を近くに見かけたら自衛のために逃げなければならないことになるのではないか。
 最高裁の公正な判断が問われている。
 (2022・2・1)