早く辞めて良かった!
      元外航甲板手(内航船長)インタビュー

 緊急雇用対策(緊雇対)から35年、旧外航労務協会に所属するT社を退職し、今も内航船長を続けるY氏(66歳)に聞いた。(編集部)

希望退職募集に即断
ー緊雇対当時の思い出を?
 昭和61年(1986年)の秋頃、瀬戸内のドックに入った時だと思う。本社から常務や部長が大挙してやってきて乗組員全員を集めて演説。いつもと雰囲気が違って、部長得意の軽口は出ず、いかにも深刻な様子だった。「このままでは危ない」「部員は外国人に替える」と言った言葉が頭に焼き付いて、今も記憶に残っている。
 出航すると割増退職金一覧表が船内に出回った。経験年数に関係なく、年齢毎に歳が上がるにつれて増え、50歳を超えると下がっていく。今だからこの割増金が出る、来年はどうなるか分からないということだった。
 それを見て即断、すぐ船長に「辞める」と言いに行った。港に着くと部長が来て、「君ら若い者は辞めなくて良かったんだけどな。50歳以上の年寄がターゲットなんだ」と言われた。その航海で手を挙げたのは30代前半の若手甲板手3人だけ。しかし、部長は「辞めるな」とは決して言わなかった。当時31歳、今考えると早く決断して良かったと思う。

ーすぐ手を挙げたのは何故?
 そろそろ船に飽きて来た時
だったし、少し前に結婚して子供ができた時で、女房からも船を辞めるよう言われていたので、ちょうど良い機会だった。
 緊雇対がなければもう少し長くいたかも知れないけど、いずれ辞めるつもりだった。

ー辞めて良かった理由は?
 今もこうして内航船の船長をずっとしていられるから。外航にしがみついていたら、こうはならなかった。
 うちら部員だし、3級免状取っても職員になれる見込みがなかった。苦労して残っても、せいぜいセカンド(2等航海士)止まり。外航には「やっぱり部員は部員」というような考えがあるじゃないですか。同じ島原半島出身の同年代もみんな辞めて内航に移つって行った。
 残った人や、内航の子会社に行った人の話を聞くと、部員出身で船長に成れた人は少ない。特に組合船では60歳前は給料やボーナスは良いけど、定年後も残って船機長をさせて貰っている人はいない。早くから年金生活になったりで。
 その点非組合船は、体が続く限りできる。こういう会社で良かったと思う。

ー外航に未練は無かった?
 外航に憧れて海員学校に入ったけど、卒業時は不況で求人がほとんどなかった。デッキ40数人のうち、外航のちゃんとした会社に就職できたのはせいぜい5~6人、最初はしょうがなく瀬戸内の警戒船に乗った。
 1年程してT社が雇っていると聞いて面接に行ったら、その場でOK。13年いて外地も色々な所に行ったし、外航というより、船そのものに未練はなかった。


ー船の雰囲気が良くなかった?
 その後の話は色々聞くけど、当時はまだどの船も雰囲気が良く、居心地は最高だった。和気あいあいで、人をクサしたりイジメたりするような人はいなかった。夕方に成れば自然と食堂に集まり、ワイワイ飲んでカラオケや麻雀をしたり。仕事は丁寧に教えてくれるし、失敗してもカバーしてくれる。外地で遊んで通船に乗り遅れても、誰かが荷   役当直をしていてくれて「良か、良か」と大目に見てくれた。
 仕事ができない人も何かしら良い所があって場をなごませたり。誰もが居場所があって、いい時代だった。
 今は内航も似て来て、ルールルールでうるさくなった。もうああいう時代は来ないのかも知れない。

外国人化が一番の問題
ー緊雇対の結果、今の船員の状態があるのでは?
 そうかも知れないけど、何と言っても外国人化が一番の問題。船乗り養成のコースがおかしくなってしまった。そのツケがどこも来ている。内航に外国人が来たらもっとひどくなる。外航、内航、漁船、全部関係している。
 昔は大学、高専、海員学校、水産学校と、外航から漁船まで、タイプに応じて船員になるレールが引かれていた。島原半島は船員の町で、船員は高収入で喰いはぐれがない職業、船員になればこれだけ良いことがあるよという希望があった。今は子供を船乗りにしようと思う家は少ない。
 何でもコストでせち辛い世の中になって行くのはご時世だからしょうがない面があるけど、根本的に見直さなければいけないと思う。今は明るい未来が見えない。

ーどうすれば良くなるか?
 結局、国が何とかしなければいけないのじゃないかな。海運業、水産業を国策として養成するやり方を。
 例えば 陸の人を大々的に船に呼ぶとか。ウソも方便でバラ色の夢で釣って陸の人を呼び寄せるしかない。年齢はバラバラで良いし、年寄でも構わない。そうしないと小さい会社は人間を確保できない。とにかく頭数を揃えないとどうしようもない。
 以前は外航を辞めた人が大勢内航に移った(一次)。そのあと漁船から二次が来た。大洋漁業や日本水産関係の九州組。千トン以下の底引き巻き網船から大勢移って来て、漁船に比べると収入が安定しているから仲間を呼ぶ。この会社にもそういう人が多い。
 そして10年くらい前にマグロ・カツオ船から来た三次。これは東北組が多い。今は外航から来た人ほとんどリタイヤ、補給源も枯渇状態だ。

退職後2人乗りの平水船へ
ー辞めた後は順調だった?
 順調に行った方だと思う。
 漠然と陸の仕事に着こうと思っただけで、これといったアテもなく辞めたから、最初の1年は陸の職安に登録して失業保険で飯を食った。失業保険は半年だけど、訓練校に行けば半年延長して貰えると聞き、偶然アキがあった電気工事士の学校に行った。一応まじめに通ったけど電気工事士になる気は全くなかった。
 地元では、退職金をすぐ使い果たしたり、仕事が上手く行かず奥さんと別れたり、色々話を聞くけど、退職金ですぐ中古の家を買ったのが良かったかな。本来の退職金は300万円位だったけど割増が600万円以上あった。

ー船に戻ったのは何故?
 訓練校の卒業近く、就職のアテもなく困っていたら、職安の人が「○○さん船の免許持っているんですよね。こんな求人に興味ありますか?」と聞いてきた。建設会社の求人票に、150トンの平水船の船長が混じっていたのだ。
日帰り船員、しかも地元なので家から通える。格好の仕事が見つかったとピンと来た。「俺は天に恵まれた。普段まじめにやっているから天は見放さなかった」と。陸の職安に船の募集があること自体が偶然だった。

ー苦労はなかった?
 元々家が漁師だったから船外機のボートは経験あったけど、作業船は初めて。しかもクレーン付きで最初は大変だった。1週間他の船を見習いで手伝っただけで、すぐ1隻の船を任された。相棒は年老いた機関長一人。最初は胸がドキドキ、膝がガクガクしたけど、一日仕事を終えて帰ると自信がついて、1年したらベテラン。
 平水は狭い川を上ったり下ったり、毎日離着岸するから感覚が自然と身に付く。その船で20年船長をして操船をマスターした。

52歳で会社倒産、内航へ
ー内航船での苦労は?
 550トンと船は少し大きくなったけど操船には自信があった。でも港や内航の習慣を知らないから最初は2/Oから始めて、C/O、1年後には船長代行になり、船長が休暇中は船長職を執った。今の会社は4つ目で、ずっと一人ワッチの船に乗って来た。
 いやな思いも沢山した。内航は人数が少なく、四六時中顔を合わせるから人間関係に気を遣う。自分の言うことを聞かないと気が済まない船長がいて、イエスマンで周りを固め、子分にならない人を降ろそう、降ろそうとする。みんな次々と辞めて行く中で、我慢に我慢を重ねたけど、ことあるごとにいびってくるので辞めたこともあった。内航にはそういう人が多い。狭い船内で四六時中顔を合わせるから、人の好き嫌いだけはどうにもならない。
 エンジントラブルで動かなくなり陸に流された時は肝を冷やした。夜中になっても治らないので最後は保安庁を呼んで曳航してもらい事なきを得たが、翌日の事情聴取が大変だった。機関長が保安庁の言い方に反発して言い合いを始めて、場を納めるのに苦労した。無理やり頭を下げさせて許して貰った。

ー内航の良さはどんなとこ?
 何と言っても乗船期間が短いこと。3カ月乗船で1カ月の休み、これが良かった。外航とは雲泥の差。人が集まらないから、今は2カ月乗って20日休みが多くなった。給料も、外航だと部員だけど内航に移れば職員で大して変わらないし、C/Oや船長に成れば高くなる。
 給料は相場があってどこもあまり変わらないから、休暇日数と船の種類で選ぶ。金が欲しい人はガス船。仮バースを許可されているのは丸亀くらいで、上陸出来ないから金がたまる。次がクリーニング手当が付くケミカルタンカー。クリーニングのない船でもタンカーは月3~5万円は高い。反対に金にはならないけど楽なのが鋼材などの製品船。シケで荷崩れしたら大変だから無理して走る必要がない。
 そろそろ疲れて来たので休暇要員(正船長が休暇の時だけ乗船)にして貰うつもり。内航は体が続く限り何歳になっても乗れるところもいい。

ー人不足と言われているが?
 大手は知らないけど、下請けの小さい会社は本当に大変。募集しても中々来ないし、たまに若い人が入って来ても、仕事を覚えた頃には良い所を探してさっさと移っていく。結局残るのは本船のようにロートルばかり。
今の年寄りは、昔から比べれば信じられないほど元気だけど。外航の時は50歳過ぎたボースン、ナンバンはおじいちゃんみたいな感じだった。内航では人がギリギリだからそうもいかないからか、みんな若いねエ。

若者を定着させるには
ー若者を定着させるにはどうしたら良いか?
 やっぱり給料と休暇。若い人は忙しさは苦にならないのじゃないかな。
 うちらの若い頃は7~8ヵ月の乗船、これが結構長かった。彼女がいたけど船員さんは長く会えないからイヤ、陸の人がいいとフラれてショックだった。船をやめてまでとは思わなかったけど。
 外航時代、年輩の人に見合い結婚が多かったでしょう。船員さんの結婚には2種類あって、亭主が長く留守にして良いという女性との見合い結婚。昔はこれが多かった。もう一つは女性が長い乗船も構わないという恋愛結婚。結局どちらも女性主導でしょ。今の若い人にとって3カ月の乗船は長い。彼女にフラれてしまう。短い乗船が魅力。
 そして大きな問題が人間関係。給料が高くても人間関係のつらさにはかなわない。一人前になるには2~3年の辛抱と言っても、これが出来ない。我慢できずに辞めて行く。
 昔の外航には余裕があった。仕事の余裕、人間的余裕が。ボースンやナンバンは親父以上におじいさんに近い感じで、失敗しようが何しようが大きな目で見てくれた。その雰囲気が今の内航にはない。
 人がギリギリで、ひとりが失敗したらトラブルに繋がるからすぐ目くじらを立てる。この船(499トン)でも5人の時と6人の時では大違い。6人だと自然と余裕が出る。
 上の人がすぐ怒鳴ったり口やかましくせず、長い目で育てるようにならなければ若い人は居つかない。
(インタビュー、11月19日)