ー 商船船員を魅力あるものにするために 19 ー

雨宮洋司(富山商船高専名誉教授)

(最終章)
Ⅵ 新船員政策のために 
1.特殊性を克服する諸施策の基本
(1)船員制度近代化政策失敗の総括
(2)近代化政策破たん要因の探求
(3)謝罪の必要性と二つの失敗要因
(4)新船員政策づくりの要点
(以上前号まで)

2.船員教育研究機関の再構築と船員の新役割
(1)再構築へ向けて
① 行政改革の展開と商船学の動揺

 個々の船員教育機関の再構築を論ずる前に指摘しておかなければならないことがあります。
それは商船系大学・高専そして海技大学校、海上技術学校・短大校さらに航海訓練部などの商船船
員教育機関や商船学研究機関を行政改革の対象にしないことがまずもって重要なことです。水産系大学・高校も同様です。
 しかし現実の政策はそれとは正反対です。真っ先に大学行革対象として、東京と神戸の両旧商船大学が他大学と合併して単科商船大学は消滅し、高専では富山商船高専が富山工業高専と合併して、スーパー富山高専となり、伝統的な富山商船の名称は消え去りました(電子情報工学科、商船学科及び臨海実習場・練習船は射水キャンパスにありますが、旧富山工業高専が本部となっています)。
 富山以外の4商船高専の学科構成も一般の工業系学科が多くなっていますので、事実上、全商船系大学・高専は行革のターゲットとなり、現在もその政策遂行過程にあるといっても過言ではないでしょう。国交省の旧航海訓練所も海技大学校や海技校等と合体して海技教育機構の一部となったのは最近(2016年4月)の出来事です。
 自治体ベースでも、富山県に注目してみると、県立の水産高校は、海洋高校等への名称変更後近くの高校と合併し、単独の水産高校はなくなって、遠洋漁業実習船「雄山丸」も手放してしまいました。 その結果、カッターや水泳訓練などの海系独自の伝統行事の維持基盤は弱くなり、その特色が消えていく方向を辿っているといえます。
 船舶運航の学術とその運航技術者(船舶職員)育成をセットにして戦後一貫して歩んできたこれら船・海関連の学校等が、他に先駆けて行政改革の対象とされ、行政経費節減策が展開されているわけですが、長い目で見たとき日本にとっていかなるメリットが出てくるのでしょうか。
 海洋法条約の批准後、2回目の海洋基本計画策定のなかで海の重視が示されていますが、そこで重視される海の概念は、海洋資源開発に関わることが中心で、商船や漁船の船員(職業)を含んでいないか、付け足しのような政策展開であることが明らかになりつつあります。
 第二次大戦後、両旧商船大学の教員が取り組んだのは、船舶職員の育みとともに、他大学との競争下における船舶運航技術学という特色ある学問(商船学)の探求です。行革対象になる直前までに、商船学が到達した指標は二つあります。第一は商船学博士の誕生(1997年)であり、第二は旧富山商船高専に誕生した純文系の国際流通学科の新設(1996年)です。
 前者の商船学博士は、工学博士とは異なるユニークなものであり、後者は商船学の文系学科の位置づけになります。しかも両者ともに、船員制度近代化政策と緊急雇用対策という最悪の政策展開後、商船学を尊重する関係者の努力を背景にして文部(文科)省が認可したものです。
 その後、21世紀に入ると同時に、政策面では再び小さな政府構想が顔を出し、規制緩和・行政改革手法に拍車がかかり、他大学と合併した旧商船大学の商船学博士号は、工学博士号への転換を強くしていきます。
 旧神戸商船大学の流れをくむ海事科学博士は商船学博士号を引き継ぐと思われる存在ですが、それも学術博士や工学博士との比較で取得希望者が選択できる(商船学専攻の指導教官がいる場合に可能性がある)わけで、海運・海事社会がそれを尊重・優遇しない限り、海事科学博士号の選択者は皆無になる可能性があります。
 神戸大学は2017(平成29)年度から修士課程の大幅改正をし、学部と研究科はグローバル輸送科学、海洋安全システム科学、マリンエンジニアリング学の三本柱になると言われており、それに沿って、博士課程の内容も変化していくと思われます。
 しかし、商船系大学の教員は他の大学(特に旧帝大)で工学博士号を取得した人が多数を占めるなかで、学生の指導がなされていることを鑑みると、商船学探求とその指導を行うことには限界があるといえましょう。商船学博士号所持者が少数でも在籍している現段階のいまこそ、海事科学や海洋工学の博士概念を商船学博士と関連づけて説明し直す必要があります。言うまでもなく、商船学は、理学のように海洋の自然現象そのものを科学する学問ではないし、船づくり・海上構造物の建造技術開発の意味合いを強く持つ〝海洋工学〟とも異なるはずです。
 次に、商船学の文系分野の到達指標としての国際流通学科に関して述べましょう。
北前船という買積船の地域史に着目して誕生した旧富山商船高専の国際流通学科は、商船学の特徴を随所にちりばめたカリキュラム構成になっていました。その点からいえば、国際流通学科の教員が取得する博士号は海事・海洋の文系要素を強くした商船学博士号が最もふさわしく、あるいは、そのエッセンスを備えた海事科学博士号でもよかったと思われます。そうすることで、海人との関連での社会科学系の学問を含む文系商船学の独自性が形成されていったのではないでしょうか。
 しかし、商船高専を含む工業高専の全教員に対して、突き付けられたものは〝博士号の種類は問わず、とにかく博士号を取得せよ〟という一律の大きな声であったので、多くの教員は取得の可能性が高く、汎用性のある種類の博士号に飛びつく傾向となり、次第に、海の香りを持つ学科・学術の混迷に拍車がかかっていったのです(旧商船大学の教員の場合もほぼ同様でしょう)。
 それと相まって、旧富山商船高専の場合、合併を経て、海事に関する学術(専攻科の名称は海事システム工学で大学工学部と同様の学士号が授与される)は、モノづくり工学範疇の影響を強くしていきます。さらに、文系商船学の特徴を持つ国際流通学科は富山高専になった後〝国際ビジネス学科〟という一般的名称へ変更されてしまい、もはや海・船との関連での特色は失われてきているといえましょう。
 この背景には、海洋実習や乗船経験から得られる資質形成(海技免状取得制度との関連)からの逃避と軽視があり、我が国が展開する今日の海政策理念の真意が、合併後の商船系大学・高専の現状を見ることでよく分かります。
船舶運航学術(商船学)の一層の深まりは今後とも不可欠なはずです。旧商船大学や商船高専の戦後の歩みが、ますます花開くように、商船系大学・高専、国交省の船員教育機関等の独自性が尊重され、工業系ものづくりとは異なる点に注目した商船学の深まりとその体系化のために、官労使による支援と理解が一層必要なときです。
 商船学は、外航、内航、水産を問わず、海洋資源開発部門も含む海で働く人々にとっては大変重要な基礎・基本の学問です。国交省所属の船員教育諸機関も、それ単独で深化できるわけはなく、教員の確保や教える内容の質的向上、学生のレベルアップ、卒業生のキャリアアップなどにおいて、文科省の商船系大学・高専との連携がますます強化されることは不可欠なのです。現に、海洋開発を担う部門の船舶(母船)や潜水艇で活躍する商船学を収めた卒業生の実績は尊重されなければなりません。
 ODAによる海外での船員教育に関する支援事業の展開においても、国交省の海技教育機構(航海訓練部等)の職員だけで行うのではなく、商船系大学・高専の商船学専攻教員との連携・協力が行われてはじめて、アジアの途上国船員(職業)を真に育てていくことにつながっていくのではないでしょうか。
 国交省内だけで行う政策の現状には大変不安を感じます。これらのことを踏まえながら、商船系大学・高専そして国交省の船員教育機関それぞれの再興について考えていきたいと思います。


② 両商船系大学の国策対応と商船学
 東京海洋大学の商船系大学院(応用環境システム学専攻)において取得する学位は工学博士であり、神戸大学の場合は、海事科学、工学、学術などの博士号になりますが、いずれも商船学博士号は過去のものになっています。
 両旧商船大学の後継になる海洋工学部と海事科学部は、現在ともに海洋法条約下で策定された二つの海洋基本計画が示す海洋開発計画に呼応した動きを見せており、まさに国策的学術形成の場へ邁進しているといえそうです。
 東京海洋大学の海洋資源環境学部の新設、それへの海洋工学部の対応、そして神戸大学海事科学部と同研究科における改革、なかでも練習船「深江丸」の機能高度化による海洋底探査センター(KOBEC)の設立や関西地区での共同利用による海洋開発拠点づくり等々は、国策に合致する代表的展開といえます。
 ここで両旧商船大学が戦後充実させてきた商船学なる学問の特徴(他の学問との差異性)を指摘しておきましょう。ここでは、船員(職業)の特殊性の三要素に絡めて説明することにします。
 第一は、商船学の核となる船舶運航技術学は、激しい揺れや四六時中の振動そして塩分を含んだ海そのものの環境条件の中で、故障なく稼働できる船内施設・設備類の分析を行って、改良点や新機種を模索するという特徴を持っており、陸上でのモノづくり工学とは大いに異なります。
 第二に、船舶の運航は船上における技術システムの保守整備を前提にした長期連続(数ケ月~数年)の稼働が原則であるが、商船学の究極的狙いは、工学的に完璧で高度な技術開発、つまり故障とは長期に無縁の自動制御による運航技術体系の出現にあります。
 しかし、実態は経営・経済的困難さがつきまとうため、陸上からの人的運航支援(船舶管理会社)による一定の指示で、船上の途上国船員(職業)に委ねており、その結果、船舶運航技術の進歩そのものは停滞している可能性があります。このことを反映して商船学は 〝マン・マシン体系〟を船舶運航技術の典型として歩んでいくことになります。
 第三に、船舶運航技術は、陸上の輸送機関に比べて、大型の貨物艙と高馬力の推進装置を持ち、かつそれに対応した先端技術の制御システムを備え、同時にロープやワイヤー等伝統的道具類の利用も不可欠な点に特徴があります。
このような特徴を持った商船学は、工学や経営学などの学術体系に収まるものではなく、上述の三要素を踏まえて研究が進められて体系化されることになります。そのうえで、船舶運航の各場面で適切な判断と実行ができるリーダーシップ力を備えた人材育成システムが強化されることになるのです。
 船舶運航面で発生する諸課題を、全乗組員を率いて、その都度解決して平和的安全運航を成し遂げていくという意味では、商船学を船長学や機関長学と呼称してもよいかもしれません。
 そのようなことを意識して商船学を言い換えてみると、神戸大学の海事科学は〝海事学〟、東京海洋大学の海洋工学は〝海の技術学〟になり、巷間言われている海洋科学や海洋工学の概念とは同一視できないことが明らかで、商船学の探究はさらに深めていかなければなりません、その際、不可欠なことは社会・文系分野を入れた総合的な探求が伴うことです。
 今までは、その視点からの内容の掘り下げが不十分で、代わりに練習船実習や乗船履歴の積み上げで、各人が総合的に経験してそれを体得してきたといえます。旧航海訓練所は海技免状取得の法的根拠を背景にした独自カリキュラムを作って乗船実習を遂行し、実習生はそれを経験しながら座学の知識とを組み合わせて、個々的に最小限の商船学を把握するシステムとなっております。卒業後は社船での経験の積み重ねを経て、次第に会社船員として自らの商船学の掘り下げを行っていくことになります。本書の〝ベテラン船員〟という表現は、そのような資質能力を備えた船員という意味で使っております。
 乗船実習は、教員養成学部学生の小中学校における教育実習等と同様に、総合的体験であり、商船学にとっても重要で不可欠なものです。しかしながら、これからは、商船学のなかでリーダーシップと関連付けられた船長学または機関長学のエッセンスを教授していくようにしなければなりません。そのような商船学の体系づくりは、商船学専攻の教員のほかに、専攻分野の異なる教員の様々な学問分野から、上に述べた船舶運航技術学の特徴に焦点を当てて再構成していくことは不可欠です。
 残念ながら、今日の商船系大学・高専及び海技教育機構の航海訓練部には、それを深めるための諸条件は地盤沈下していると言わざるを得ません。
 戦後、文部(文科)省所属になった両旧商船大学が、取り組み続けてきたのが船舶運航技術の理論的構築(船はなぜ動くのかの分析とその応用)であり、しかもその学問形成は海技免状取得のカリキュラム(船をどのようにして動かすか)と連携させて海技の高度化を図ってきたわけで、それが戦後商船教育の特徴でもあります。
 ただしそれは、旧航海訓練所での乗船実習で得られるものと商船系大学・高専の座学で習得すべきものとが区分けされて、それぞれ深化させてきた経緯があることを認識しておかなければなりません。
 いまとりあえず必要なことは、東京海洋大学の海洋工学博士号や神戸大学の海事科学博士号のなかに商船学の特徴点を活かすようにすることです。ただし合併後の両商船系大学の現状は、海洋資源獲得という国策対応に翻弄されて、商船学のさらなる充実は中途半端で置き去りにされ、船舶職員育成も外国人船員のマネージメントを担える少数の人材供給ができればよいというグローバル海運企業の要請に応えながら、海洋資源開発の人材育成にも対応していくという方向になっているといえます。
 その一因は、商船学を曲がりなりにも支えてきた海事社会科学系教員が、両商船系大学・高専で皆無になってしまったためではないかと考えております。


○東京海洋大学海洋工学部の充実のために
 東京海洋大学の海洋科学系学部には、旧東京水産大学で育まれてきた特色ある海に関わる文系・社会系の〝海洋政策文化学科〟及び大学院における〝海洋管理政策学専攻〟が、合併後の今日も存続していることは評価すべきことです。
 それは、海洋工学部に再び商船学のエッセンスを呼び戻すチャンスが同大学には残っていることを意味します。水産学の充実とともに歩んできた海洋政策関係学科という文系・社会系科目を、海洋工学部の共通基礎科目の学問として導入することで、商船学の特徴を反映した海洋工学へ向けていくことは可能でしょう。海洋政策学を担っている教員が所持する多様な学位の種類や活動内容からみてもそう言えます。
 海洋政策関係学の教員やその指導を受けた学生達が、富山県氷見市で、漁業による地域おこし(漁業資料館の魚魚座(ととざ)づくり)に加わって活躍するなど、海との関連で極めてユニークな考え方で社会活動をしている事例を見てもその期待は高まります。そのことは、文系・社会系視点からの水産学の展開が極めて重要であることを示唆するとともに、商船学の後継になる海洋工学においても、全く同じことが言えるのです。
 ただし、氷見市の漁業資料館(魚魚座)は間もなく経営に行き詰まり、それを進めた市長が問責決議を受けるなどの一波乱があり、海部門への取り組みの困難さを如実に示すところとなっています。
 このような特色ある教育研究機関で育った人たちこそが、海洋開発部門やみなとまちづくりでも活躍し、これからの海洋市民(後述)のリーダー的存在にならなければならないと考えます。
 以上のことは、商船船員や漁船員という海を基盤にした伝統的職業人にとって不可欠なもので、そこには共通の特殊性の存在そのものがあるといえそうです。
 旧東京商船大学と旧東京水産大学で、ともに海に関わる文系分野の学問形成に携わってきた人たちは貴重な存在です。合併後も存続している〝海洋政策学〟を重視することで、同大学で深化する海洋科学と海洋工学の両者をも結びつける役割が強化され、同大学が日本で唯一の海洋大学にふさわしい特色ある海の学問拠点になっていく可能性は大きいといえます。


○神戸大学海事科学部への期待
 神戸大学の海事科学部の場合は、旧商船学部以来、一貫して〝工学〟という名称を付加しない歴史を持ってきており、神戸大学における11学部の1つとして、同大学他学部の文系や社会系教員による海事科学研究への参加を日常的に行って、東京海洋大学とは異なる商船学充実の可能性を持ったといえましょう。
 しかしながら、現状は海洋開発の関西拠点づくりという国策対応を急ぐあまり、その大学院の海事科学研究科コースの再編を貫くプログラムはグローバル海洋理工学プログラムになり、その核となる前述の海洋底探査センター(KOBEC)は、海事、工学、理学分野で構成され、文系や社会系の学部が関与する余地はあまりない感じです。
 そうなると、商船学の後継学部にふさわしい海事科学の充実として、理工学とは異なる独自の学問深化への期待は東京海洋大学に比べて、むしろ困難になったかもしれませんが、工学を付けない海事に関する学問形成という伝統は生かし続けてもらいたいと願わずにはいられません。


○日本の海政策に欠けているもの
 海に関わる独自の学術充実の方向を目指しながらも、国策としての海洋開発への新たな接近を行うことで、合併後の商船系大学における学術研究の方向性を見てきました。そのような政策展開の際、関係者が人材育成面で注意すべき点があります。
 それは、人の関りがない完全無人化工場(インテレジェンス化またはCAM化が経営的にも見合ってそうなる場合)とは異なり、海上、海中、海底等の技術体系は、人が主体的にかかわる程度と範囲が大きくならざるを得ないことを認識しておくべきで、そのような人の代表としては、船員(職業)に代表される海人をあげることが出来ます。
海洋開発を含む海に関わる人材育成のキーポイントは、文科省の商船系大学・高専と国交省の各船員教育機関がこれまで行ってきた長い間の船員育成の経験と実績を念頭に、商船学研究を踏まえて考えていかなければならないのです。そういった点への政策的配慮が、根本的に欠けているのが現行の海政策の内容であることを指摘せざるを得ません。
 東京海洋大学の海洋工学部と海洋科学部、及び神戸大学の海事科学部、さらに商船系高専の商船学科とその専攻科、及び海技教育機構の航海訓練部や海技大学校、海上技術学校・短大校等々への国交省による海政策展開の実態を見るときその点は明らかです。海政策における人材育みの重要な点は、商船学を深める態勢づくりの中で船員(職業)育みの仕組みを考え、その延長線上に海洋資源開発の人材育成の仕組みづくりができるようにすることで、海における教育と研究の一体的充実化策が必要であることを主張したく思います。
 それは、大変困難なことですが、戦後独自の深まりをしてきた日本の商船教育研究の実績を活かすことで、日本にふさわしいユニークな海人育成の道は可能であると思っています。


③ 商船系高専に関して
(次号に続く)