柿山 朗(元外航船員)

第一章 軍の論理
第二章 民の論理
第三章 溶け合う軍と民

(12)潜水艦と民間船
①「そうりゅう」事故の原因
 2月8日、高知県足摺岬沖で海上自衛隊の潜水艦「そうりゅう」と、水島へ向かう途中の香港籍鉱石運搬船「オーシャンアルテミス」が衝突した。潜望鏡やアンテナが海面に出る「潜望鏡深度」まで浮上する際の衝突だったという。
 事故原因について元海将補で金沢工大教授の伊藤俊幸氏は
 「機器の不具合が無ければ、貨物船とあれだけ近づければ音が聞こえるはずだ。人為的なミスであれば、乗組員の資質が問われる」(2月11日毎日新聞)。
 「ソナー担当者が何故商船の音に気づかなかったのか。機器の故障でなければ、確認が不足していたと言わざるを得ない」(同朝日新聞)と絶句する。  
 2006年に同様の事故が宮崎沖で起きた。海自の練習潜水艦「あさしお」とパナマ籍タンカーの衝突事故だ。
 門司地方海難審判所は、『「あさしお」は、海上を航行中のタンカーをソナーにより探知した際、その動静監視を十分に行わないまま浮上した』と艦長の責任を認定したが、制度上自衛官は、懲戒対象とはならなかった。
 私は前述の伊藤氏のコメントも審判所の裁決も中途半端だと思う。真の原因にふれていない。
 今回の「そうりゅう」には事故当時、乗組員の教育を担当する海自の「指導官」が複数乗り込んでいたと毎日新聞は報じている。
 「指導官」乗船の目的は何か。「あさしお」に至っては訓練を目的とする練習潜水艦だ。
 軍事機密のベールの中で、相模湾や四国沖など特定の海域で常時訓練が行われている。今回の事故も、一般商船が多数航行する海域で起きたことから、民間商船を「敵艦」に模した浮上訓練だった疑いが濃厚である。
 海の上では、既に「戦争前夜」の様相を呈しているといっても過言ではない。

② 阿波丸の悲劇
○特異な阿波丸撃沈の経緯
「知られざる戦没船の記録」(戦没船を記録する会編)では戦没船を写真、乗組員の証言などとともに取り上げている。 
 阿波丸の項では「戦争末期の昭和20年4月1日に救恤品輸送船としての任務完了後、シンガポールより敦賀へ向け航行中、台湾海峡鳥坵嶼の南西で米潜水艦クイーンフィシュの雷撃を受けて沈没。便乗者約1900名、船員147名が戦死」と記されている。
 犠牲者数はタイタニック号の1513名をはるかに上回る。 
 救恤(きゅうじゅつ)品とは戦時捕虜や抑留者への慰問品であり、食糧や医薬品を指す。 
 そのため、阿波丸は敵国であるアメリカの「安導券」を持ち、船体には緑十字が描かれていた。
 同船について「日本郵船戦時戦史」には、戦後になっても明らかにされない謎として、以下が列記されている。

救恤品輸送の要請を日本政府が受け入れた経緯、禁止されていたという軍事物資積載の有無、撃沈は故意か過失か、救助されたのはなぜ僅か1名なのか、戦後被占領下に行われた「阿波丸事件賠償請求権」放棄の理由等々、である。
 所有者の日本郵船でさえ、真実を掴みきれていない特異な存在である。

○「阿波丸撃沈」の刊行
 戦後、阿波丸には密かに財宝が積まれていたとして、引揚げを巡って社会的な話題を呼んだ。 
 83年には「生存者の沈黙」(有馬頼義著)、97年には「シェラザード」(浅田次郎著)さらには漫画「ゴルゴ13」(さいとうたかお)等々、もっぱらフィクションで語られた。 
 ようやく史実でその謎が明らかにされるのは、アメリカの外交史の研究者、ロジャー・ディグマン著「阿波丸撃沈・太平洋戦争と日米関係」(1997年)によってである。
 この著作は日本郵船歴史資料館元館長・川村幸治氏によって翻訳され、初版が2000年に成山堂から発行された。
 著者は序文で『戦争は冷静に考えた政治目的を達成する手段と割り切っている指導者たちが予想もしなかったようなエラーや偶発事故がどうして発生してくるのか。正義のためと参戦しながら新たな「不正義」を引き起こすことはないのか。敵であった者たちが同じ歴史認識を持って未来に向かっていくことができるのだろうか』と語る。
 この著書を手掛かりに阿波丸の謎の核心的部分、「撃沈は故意か過失か」に絞り考える。

○著者の結論はエラー
 アメリカ太平洋潜水艦司令官のロックウッド少将は、4月1日の攻撃以前に、ミニッツ大将に阿波丸への攻撃許可を要請したが、無視されている。
 夜間の霧という偶然の状況から、視界が悪いため灯火が確認できず、また、阿波丸は商船にしては喫水が深いため、レーダーの映像から駆逐艦か護衛艦だと艦長は誤認したという。 
 更に、クイーンフィシュには、根拠地サイパンを出る際に攻撃禁止命令書が渡されていたが、一般書類に紛れていたため艦長の確認が遅れ、阿波丸の位置情報の電報の伝達も遅れたこと。暗号解析されることを嫌ったアメリカ海軍は相当遅れてから、阿波丸の情報を平文で流したこと。
 これら複合的な原因が重なったことから、結論として著者は原因をエラーという言葉に求めている。
 『クラウゼビッツが説くように戦争とは偶然の王国であって、平和時よりもエラーの可能性がはるかに大きい領域である。戦争をするということは間違いを犯す、ということである。全知全能でない人間が殺し合うという事業に携わる時、正しいと思った決定がしばしば悲惨な結果を生み出すことは宿命的である』

○或る日本人の異論
 ロジャー・ディグマンは著書の中で、自説と同時に以下の元海軍中佐千早正隆氏の主張も紹介している。
 『阿波丸が禁制品を積んでいたことで撃沈を正当化するが、国際法はこういう場合、疑いがあれば乗船して点検し、見つかれば近くの港へ連行する。少なくとも沈める前に警告を発する。ラフリン艦長と乗組員はこれを無視した』
 『クイーンフィシュは警告文を受け取った時何故ファイルを調べてみて2回の先電を見つけられなかったのか』
 『彼らは霧で照明された十字標識が見えなかったと主張するが、日本気象庁の記録でも、生存者下田勘太郎の証言でも台湾海峡に霧が出たとは思えない。
 アメリカ人は海が荒れていて一人しか救えなかったし、他の生存者は救助されることを拒否したと主張するが、霧が立ち込めていたら波が大きかったとは考えられない』
 『阿波丸の船客は、捕らえられるより死を選ぶよう訓練された軍人ではなく、大部分は民間人だった。なぜ終戦後も裁判記録を秘密にしているのか』
 千早の異論は、日本人の認識する阿波丸事件への大枠と性格を規定することとなった。

③ ふたつの米国原潜衝突事件
○練習船えひめ丸事件
 20年前の2001年2月、ハワイ、オアフ島沖でえひめ丸を「グリーンビル」が浮上、沈没させ、宇和島水産高校の実習生など9名が命を落とした。
 えひめ丸は事件で亡くなったのが若者たちであったこと、「グリーンビル」は民間人サービスの一環として16名の招待客を乗せ、彼らを楽しませるために急速潜航と浮上を繰り返していたことが事故原因であったこと、 
 その後の遺体の捜索、船体引き揚げなど米側の対応への不信から、日本国民の怒りを買った。
 当時の森首相は事故の一報を受けた後もそのままゴルフ場に留り続けたことが大きな問題になり、首相辞任に追い込まれた。
 事故から20年経た今年も慰霊は続く。宇和島では犠牲者の数である9つの鎮魂の鐘が打たれた。特集を組んだ朝日新聞夕刊(2月10日)は、次の俳句を紹介している。
「春寒の海声錨祈りそして」
 これは地元出身の俳人、夏井いつきさんが20年前に詠んだ句という。『「春寒」は「瞬間」に通じ、「錨」は「怒り」に通じる。9人のあの瞬間の声、家族の皆さんの悲痛の声、世界中の人々の祈りの声がやがて昇華していくさまを、「そして」という終わりのない永遠の言葉に象徴させた』と夏井さんは語る。

○日昇丸当て逃げ事件
 奇しくも更にさかのぼること20年の81年4月、貨物船日昇丸は東シナ海で、核ミサイルを搭載して訓練参加中の原潜ジョージワシントンに当て逃げされた。原潜は日昇丸を救助せず、関係機関へ連絡もせず立ち去った。船長と一航士の2名が命を落とすという非道な事件である。
 この事件では、米国側は最終的には過失を認め、艦長を資格争奪処分とした上で、遺族との和解を急いだ。政府は日本の領海での事故でありながら海難審判すら開かず蓋をした。当時は、ライシャワー元駐日大使による核積載艦艇が日本に寄港しているという証言で日米関係が微妙な時期にあった。非核3原則を国是とする日本国民の核問題に対する感情を逆なでしないよう、事件の解決を急いだ事情があったとされる。
 その結果、この事件はえひめ丸と違い、やがて国民から忘れ去られていく。(この項「羅針盤20号・軍と民、それぞれの論理と海上労働2」を参照)
 戦没船員遺族会の泉谷廸(いずたにすすむ)さんは、『近くにある船舶は何をおいても救助を優先させるのが海の掟であるはずなのに、こともあろうか加害者が知らぬ顔を決め込むとはどういうことか。われわれの知らぬうちに、米ソのはざまで準戦場化していて、商船の安全も顧みられていないことを、日昇丸事件は教えた』と書いている。(「海員87年8月号」)

④ 今、そこにある戦争
○中国海警法と世論
 中国海警局の船が尖閣付近で監視活動に留まっている様子、宮古島と沖縄本島間を空母「遼寧」が、打撃群を構成する他艦を従え航行する場面が連日のようにテレビに登場する。意図的に政府とマスコミは反中国を煽る。
 私たち国民にも今や世界2位の経済大国を誇る中国への屈折した感情がある。こうした中、2月に中国は海警法を施行した。内容は海警局の役割を安全保障へ拡げ、武器使用を明確にしたものだ。最新の世論調査では国民の91%が中国に脅威を感じると答えている。(FNN調査)
 こうした世論を背景に、自衛隊と海上保安庁の軍事、警備の垣根を取り払うための法改正へ向けて国会は動き出している。
 テーラー平良原作の「今、そこにある戦争」(ビッグコミックス)がある。近未来の日中戦争を描いた内容だが、たかが漫画と笑えない。ストーリーを後追いするかのように進んでいるのがこの国の現実だからだ。

○祈りから運動へ
 「自由で開かれたインド太平洋」という謳い文句の主たる目的は、航行の安全だという。今、世界の目は海と船員に注がれている。
 海の安全は軍事ではなく平和で守られていることを肌で知る船員に課せられた責任は大きい。
 前述の泉谷廸さんは、戦後の戦没船員援護法を実現させた遺族会の運動の経緯にふれながら、『「不戦の誓い」という祈りだけでは何も解決しない、具体的な運動が大事だ』と戦没船員の集まりで語っていたのを記憶する。     

(次号へ続く)