裁判所は自衛艦の暴走を公認するのか

大内要三(日本ジャーナリスト会議会員)

請求棄却、遺族ら控訴へ

 3月23日午後1時30分、広島地方裁判所502号法廷で谷村武則裁判長は判決主文を読み上げた。「原告らの請求をいずれも棄却する」。完敗だった。
 事件発生から7年。国家賠償請求訴訟を提起してから4年半。この間の経過は近著・『おおすみ事件 輸送艦・釣船衝突事件の真相を求めて』(本の泉社刊)に書いた。待ち望んだ公正な判決は得られなかった。原告は控訴することを決めた。

裁判の争点
 本誌『羅針盤』はすでに「おおすみ事件」に関して何度も記事を掲載し、私も2度にわたって執筆しているので、事件の概略については繰り返さない。争点は以下の通りだった。
1、「おおすみ」は「追越し船」として衝突を避ける義務があったか。
2、「おおすみ」は「とびうお」と針路が交差する態勢に入ったのちは危険を解消する義務があったか。
3、「横切り」の関係になったとしても、「おおすみ」には警告信号吹鳴義務、最善の協力動作で衝突を避ける義務があったか。
4、両船が接近・接触した際、海技常識とは逆方向の面舵一杯を取ることによる艦尾の振れで「とびうお」を転覆させたのは、「おおすみ」側の過失ではないのか。

国・自衛隊に忖度した判決
 しかし広島地裁は、衝突の30秒前に「とびうお」が右転して「おおすみ」の艦首方向に向かって接近してきたのが衝突原因だと認定した。接近すれば見上げるような大型艦の艦首に、モーターボートが自ら向かって行くなどあり得ないだろう。
「とびうお」右転説の根拠は、海上保安庁の捜査記録の一部「航跡特定報告書」と、「おおすみ」乗員の目視証言だった。
 しかし衝突までの「とびうお」の航跡は、AISの記録もGPSの記録もなく、客観的なデータが存在しない。想定航跡は衝突地点からの逆算による推定としか考えられない。判決正文に付された航跡図は海保捜査記録にあったもので、「おおすみ」のレーダーから消えて以後の「とびうお」の航跡は描かれていない。
 また「おおすみ」艦長らの供述・証言は、諸報告書ではいずれも黒塗りあるいは白抜きで、ようやく今回の裁判で証人尋問が実現したものだ。艦長の陳述書には「とびうお」右転を目視したとの記述はない。証人尋問では艦長はいったん右転を「目撃しています」と証言したものの、すぐに「急に接近したのを目撃しています」と言い換えた。
 同様に証人尋問では、「おおすみ」の見張員も、艦橋で「とびうお」の動きに注目していた当直士官も、船務長も、誰も「とびうお」の右転を見たとはっきり証言することができなかった。
 「とびうお」に乗船していてかろうじて助かった2人は、当初から一貫して「とびうお」は釣場に直進していた、右転などしていないと供述・証言している。「とびうお」甲板にクーラーボックスを置いて座っていた同乗者にとって、「とびうお」が急転回などしたら危険きわまりない。
 判決はまた、7時57分2秒までは両船間に充分な距離があったので「おおすみ」に衝突回避行動をとる必要はなかった、「とびうお」を転覆させないために取舵一杯を取ることはその時点では不可能だった、と「おおすみ」の過失をいっさい認めなかった。海上保安庁は「おおすみ」に面舵一杯の実動実験をさせているが、取舵一杯の実動実験はしていない。
 また判決は両船の急速な接近が、相互作用によるものという想定についても否定している。相互作用による小型船の吸引は両船の長さの和程度の距離、今回の両船の場合は186メートルでも起こるはずだ。
 判決正文は46ページもある大部のものだが、海上自衛隊に忖度し被告=国側の主張をそのまま採用した、不当判決と言わざるを得ない。

真相が徐々に明らかに
 検察が不起訴として以後、マスメディアはこの事件の後追い取材をしなかった。「おおすみ事件真相究明会」が結成され、国家賠償請求訴訟が提起されて諸資料を開示するよう求めて以後、薄紙を剥ぐように事件の真相が次第に明らかになってきたのだった。
 「おおすみ」のAIS記録。レーダー映像。艦橋音声記録。航行指針。航泊日誌。海上保安庁の捜査記録。海上自衛隊の艦船事故報告書全文。すべて裁判がなければごく部分的にしか明らかになっていなかったものだ。
 「おおすみ」の旋回能力・制動能力については防衛秘密扱いか、被告は資料を提出しなかったが、海上保安庁が捜査記録の一環として開示した。ただし事故再現実験時のデータであり、面舵一杯ののち両舷後進一杯の操艦を順序を逆にするなど、実験の信頼性は低い。

広島地裁に入る遺族と支援者 前列右から2人目が筆者

 また運輸安全委員会の報告書で唯一「とびうお」右転を示唆するような供述をしていた(その信憑性もまことに低い)、阿多田島からの目撃者「船長C」は、運輸安全委員会が氏名を秘匿したため、現在広島地裁で公開を求める裁判が進行中だ。

不手際が連続した艦内

 なぜ「おおすみ事件」は起こったのか。裁判の過程で明らかになったことがたくさんある。
 定期点検のため回航中だった「おおすみ」が海上交通の輻輳する広島湾内で巡航速度でなく衝突直前まで第1戦速という高速で運航していたこと。艦長の注意指示が当直士官に伝わっていなかったこと。
 レーダーが遠距離用に設定されていたため近くの「とびうお」を発見できなかったこと。レーダー画面の表示時刻が1分以上ずれていたこと。
 見張員が「とびうお」の動静確認に14秒もかかったこと。
 衝突回避のための警告信号も減速も遅きに失し、最後は逆方向に転回したこと。
 これらの目を覆うような不手際の連続が、悲惨な事故につながったのではないか。
 地裁判決は、このような実態をなんら咎めることがなかった。民間船なら決して許されず、刑事裁判で過失致死の有罪になったのではないだろうか。

自衛艦もシーマンシップを
 自衛艦の乗員個々人の問題にはとどまらない。
 このようなお粗末な操艦で弛緩したまま、多数の大型艦を定員割れのまま運航させている海上自衛隊の態勢自体が問題なのではないか。このような態勢が、過労とパワハラで乗員を疲弊させ、海上交通に危険を生じさせているのではないか。海上自衛官は民間人と席を並べて海技免状のための教育を受け、シーマンシップを学ぶべきではないか。
 自衛艦が民間船を避けず「そこのけ」運航をするという訴えは、良く聞かれる。慢心からだけではなく、避ける技量がないからかもしれない。恐ろしいことだ。自衛艦が模範的な操艦で尊敬されるようになる日が、いつか来るのだろうか。
 (3月25日稿。本稿は「週刊金曜日」掲載用に執筆した文章を、本誌の読者を意識して一部改稿したものです)