ー 商船船員を魅力あるものにするために 17 ー

雨宮洋司(富山商船高専名誉教授)

(最終章)
Ⅵ 新船員政策のために  
1.特殊性を克服する諸施策の基本
 国交省によるさまざまな船員政策が、有識者や海運労使を入れた船員部会という唯一の審議会を経て海運諸政策として打ち出され、船会社や関係諸団体はそれに沿うかたちで、施策展開を行うことになります。それが船員の意見を聞
く船員政策立案過程の建前になります。
 そのような船員政策をもって、船員(職業)の特殊性(不利益性の意味で使います。以下同じ)が軽減されたうえ、日本人若年船員の確保育成に結びつき、日本人船員(職業)のやる気が出てくるのでしょうか。さらに、日本の政策当局や海運労使が、アジア諸国の人々を低賃金の労働力というモノ的視点だけで見るようになってはいないでしょうか。日本人船員の確保育成策に関して、文科省の商船系大学・高専は管轄が違うとして、日本全体における船員育成政策の立案を国交省が所管する船員教育機関を対象にして考えてしまっていることはないでしょうか。 
 こういった問題意識をもって、船員に絡む海運政策や船社の経営施策が評価されるべきだと考えております。その視点に立った時、現場船員(職業)の多くは、いずれの施策にも、やむをえず、受け身になっている傾向があり、彼らやその予備群の学生たち、さらにその教員たちのやる気を起こさせるインパクトになっているとは到底言えそうもありません。
 なぜなら、日本船社を強化する優遇策の展開で、船社利益が安定し、投資効果をもたらして、日本人船員の雇用が予定通り増加して労働条件の改善もなされ、船員(職業)やその教育研究機関に、良い効果が及んでいくという一時もてはやされたトリクルダウン理論(上位の部分が潤えば下部にもその益は及ぼされていくこと)には疑問が多いからです。
 それではどうしたら良いのでしょうか。そのためには、1970年代後半からの船員政策とその反省点に遡る必要があります。
 それは、新時代の日本人船員社会の実現という意気込みで、船員制度近代化という日本の船員社会を根こそぎ変えていく政策が開始された時期に相当します。それを10年近く続けた段階で手のひらを返したように、緊急雇用対策という名の船員の大規模リストラ(首切)を行い、その後、船員制度近代化も終了させて、今日の新しい政策になっていったのです。
 政策転換にとって重要なことは、初期の目的を達成できず、その政策を取りやめるとき、関係者にはなすべきことがあります。
 それは失敗した政策の反省をしたうえで新政策をビルドするということです。また、トップの政治行政担当者が交代するたびに、船員(職業)の特殊性軽減を二の次にして、行政サイドがその政治路線に右往左往することも避けたいものです。
 特に、GDPから見た経済規模が成熟段階に達して低成長率が不可避で少子化時代を迎えた日本で、船員(職業)の確保育成を図ることは極めて困難なことであり、陸上職業とは異なる視点を持って長期的船員政策の展開を継続していくことが不可欠なのです。
さらに、その新船員政策づくりにとって重要な点は、もはや海運政策の一要素としてそれを展開するのではなく、船員(職業)の特殊性軽減に直接結びつくことを基準にして、その政策内容が詰められていくことが必要な段階にきているということです。
 これまでの新海運政策理念の主な点は、目前の海運市場で、いかに自社が優位な位置になるか、つまり、相手を蹴落とすための(国際・国内)競争と企業自らの成長を維持するという視点が強く、公正な経済社会の実現、つまり船員を含む人類の共生社会を実現する課題に応える点が弱いのではないかと思うのです。
 言い方を変えれば、高邁な国際的理想へ向けて、日本海運企業が自らに課すべき社会的責任(CSR)を高める施策があまり見当たらないということ、より具体的に言えば、人間としての不自由に耐えながら乗船して仕事と生活を営む船員(職業)やその予備群の学生たちへの尊重姿勢が足りず、船員が人間として充実できる環境条件を整えること、企業が得た利潤の船員への還元という企業施策への言動が少ないということです。
 それでは、新しい船員政策や海運経営施策はいかにあるべきかということになります。
 船員(職業)の特殊性を軽減し、船員が仕事と生活にやる気を起こすことになるような、間接的ではなく直接的結びつきを重視した船員・海運政策や経営施策の模索が必要なのです。少なくとも、これまでの〝あり方論〟の手法になる〝より競争を活発化させ、自由闊達な市場づくりで、より良い効果を生むだろう〟といった市場至上主義政策(ステイグラーら主張の産業組織策)展開は限界にきていることを指摘せざるを得ません。
 以下に、新船員政策に入れるべき内容を述べることになりますが、それらは、船員の地位向上に結びつくものであり、船員(職業)特殊性の軽減に役立ち、船員がその職業に誇りをもっていけるようなものになっております。単なる学問的な分析結果の提示ではなく、商船学的視点で処すならば…といった考えで斟酌し、さらに筆者自身が就いた陸上の職場での社会的実践例も含んでおります。
国交省や船主協会、さらに船員団体が、新船員政策・施策のなかに、ここで述べている諸項目のいくつかを反映させ、実践的船員施策に役立ててもらいたいと思います。

(1)船員制度近代化政策失敗の総括
 まず、新政策づくりのためにこそ、過去に失敗した船員政策の最悪事例から学ぶ必要があります。
 1970年代後半に準備され、1980年代に吹き荒れた船員制度近代化政策がそれであり、日本人船員を維持して日本船社の国際競争力を高めるということで、官公労使学が一体となって始めたものです。その政策は破たんしたにもかかわらず、失敗要因の厳しい総括がなされないまま、今日の市場至上主義的船員政策という船社支援の海運政策へ踏み込んでいったことは大きな問題です。
 〝航海と機関の仕事を合体化する実証実験〟という船員制度近代化による制度改革に自ら取り組んだ現場船員や新船員を志していた若者(船員予備群)、さらに商船船員教育機関そのものへ与えた深刻な影響に対し、それを進めた関係者の謝罪と責任は明確にされておりません。
 その最終段階で行われた緊急雇用対策という船員の首切り策を展開した後、今度は、外国人船員の利用とトン数標準税制による海運企業競争力向上策を展開しながら、日本人船員の確保育成をも行うという今日の船員政策の展開になります。
 日本人船員の確保育成策は、日本の若者を低いコストで商船船員(職業)へ誘導する仕組みをつくり、さらに、フィリピンに代表される外国人船員の確保支援の強化策展開のなかで行われているのが現状です。
 しかし、それは、長期的に見ると、日本国民の船員(職業)好感度アップにつながるとはとても思えません。海へ向かう若者の純粋な気持ちを裏切った船員制度近代化政策の後遺症に目を向けないようでは、四面環海の日本が、この先やっていけるとは到底思えないのです。そのためには、船員制度近代化政策が何故に失敗したのか?を深く掘り下げたうえで、発想の転換による新たな船員政策立案が必要であることを強調したいと思います。

(2)近代化政策破たん要因の探求
 ここでは、船員制度近代化政策は何故に失敗したのか。つまり真の破たん要因を指摘します。
 1979(昭和54)年以来、20年近くにわたって、当時の運輸省、有識者、船主協会、全日本海員組合、商船船員教育機関(旧商船大学・商船高専、旧航海訓練所、旧海員学校)等の官公労使学が総がかりで進めたのが船員制度近代化政策です。その推進者たちは、1997(平成9)年に最終報告書を出して、その大事業を終結させました。
 その報告書の内容には、関係者による反省の弁は見られず、その失敗要因をもっぱら経済と経営環境の変化や技術問題などに帰している傾向があり、人生を左右される影響を受けた者から見ると、大変無責任な内容になっています。
 曰く「これ以上の技術革新がない限り少数精鋭化は困難」「混乗近代化船への移行で洋上メンテナンスが主流になった」「20年間の反対職(航機両方の職)を学ぶ教育システムは今後の海陸で活躍する管理監督的船舶職員像に役立つ」等々。近代化政策の終了にあたり、第三者による検証のための委員会設置を主張してもよいのですが、この政策は官公労使学が総ぐるみで実施したため、その検証には限界があります。
 しかし、船員側の推進者になっていた全日本海員組合は〝船員合理化・人減らし〟を警戒し、〝やりがいのある船員職業の確立〟を目指してそれに協力してきたわけですから、その後の船員(職業)地位向上のために、船員制度近代化政策に取り組んだが失敗してしまったことの要因を探求して、それを官公使学に投げかけて新船員政策論議を主導すべきではないでしょうか。その後、設立された船員部会という船員政策検討の場において、船員(組合)側委員はそれを新船員政策づくりとして反映させていくべきだと思います。
 その場合、行政側が船員の地位向上に逆行しそうな案を押し進める言動があれば、船員(組合)側委員は当局へ要望事項を伝えるだけではなく、労働組合として取りうるあらゆる手段も考慮に入れる行動がなされるべきだと思います。
 もっとも、そのためには、現・元執行部員や組合従業員と争っている諸裁判の組合側敗訴と労働委員会による不当労働行為認定等で混乱している組織状態を早急に正常化しておく必要があります。さらに、船員制度近代化政策という合理化策と緊急雇用対策が同時並行で考えられたのではないか?ということについても歴史を遡った検証をして明らかにしておく必要があります。
 近代化政策失敗の要因探求をしっかりやらないために、その後の船員部会で、実にちぐはぐな議論が展開される場合が出てきてしまうのです。
例えば、第4回(2009(平成21)年2月)部会で、公益委員と船員政策担当者との間で長時間繰り広げられた議論があります。
公益委員は「当局が主張するフィリピン人への承認海技免状ではなくて、英語での受験により合格者へは日本の海技免状を発行すれば良いではないか。アメリカで行われている飛行機のパイロット免状試験と同じように…」と述べ、閉鎖的な日本の海技免状制度を批判して、グローバル時代に合致した日本の海技免状試験内容とその発行への転換を主張しました。
 どうやら、飛行機のパイロット免状と外航船舶職員の海技免状とを同じように同委員は考えている節があります。
 それについて当局は「その考え方も制度論としてはありうるが、行政の現状はあくまでSTCW条約に定める相手国の海技免状を承認する制度展開であって、公益委員の主張とは異なっている」と述べるだけで、飛行機のパイロット免許と海技免状との根本的違いには言及していないので、説得力に乏しい観があります。
 本来、ここで説明すべきことは、それぞれの免状の歴史的背景の違いとともに、飛行機のパイロット(職業)と外航船の船機長などの船員(職業)とは何がどのように異なるのか、ということです。つまり両者の仕事・労働分析を技術レベルの違いを関連づけて、それぞれの特殊性を明確にすることが必要で、船員(職業)の場合は第3章で述べた三つの要素がポイントになると思っています。
 つまり〝揺れ動く海の上〟での〝大規模構造物内〟における〝連続長期間の仕事と生活〟、という諸点に着目して海技免状そのものの特徴に踏み込むことが必要です。
 そして、飛行機のパイロットと航空機運航スタイルを念頭に置き展開されたと思われる船員制度近代化政策の破たん要因に言及すべきでしょう。それがなされなかったために、議論がかみ合わず、新船員政策づくりとその展開にも活かすことができないのだと思います。

(3)謝罪の必要性と二つの失敗要因
 ここでは、船員(職業)の地位向上のために、船員制度近代化政策の締めくくり報告書に欠けている失敗要因を筆者なりに指摘します。
 しかし、その前に重要で不可欠なことがあります。それは官公労使学の関係者(含後継の責任者)が〝お詫びの言葉〟を語るべきだと思います。その点の主張を①で行い、船員制度近代化政策はなぜ失敗したのか?を二つの点に絞って②で述べます。
 そのうえで、新船員政策に必要な主要素を「(4)新船員政策づくりの要点」で明らかにします。
① 必要な〝お詫びの言葉〟
 まず、〝船員制度近代化政策の実証実験では、関係者に多大の迷惑をかけた〟ことのお詫びとして、※当時、反対職の実験(航海士・員が機関士・員の仕事(またはその反対)を執職すること)を実船において必死に携わった(その失敗は海難発生につながって自らの生命を落とすことにもつながるので、実船実験は成功させるしかなかった)人たち、※その後緊急雇用対策で海を去っていった船員仲間、あるいはそれを乗り越えて船員(職業)を継続した人たち、※混乗船での船内平和と安全運航の秩序づくりをしてきた船員たち、※新しいかたちの日本的船舶管理会社を軌道に乗せていった船員たち、※新船員制度へ向けて努力していたのに夢を砕かれた船員予備群の学生たち、さらに、※旧商船系大学・高専の伝統とその積み重ねのなかで教育指導・学寮当直に携わってきた教職員たち、※航海学科と機関学科の合体による商船学科設立と工業系新学科誕生により、専攻分野の変更や退職・転職を余儀なくされた教職員たち等々へ、〝多大の混乱とご迷惑を与えて申し訳なかった〟の一言はぜひ必要です。
 特に、海に向かおうとしていた若者に夢をまき散らしたうえ、ついに破たんしたわけで、それは将来に禍根を残す罪深い社会的実験であったことは猛省すべきです。
 そのうえで、船員制度近代化に携わった官公労使学の各委員、あるいはその後継者達から、何故に失敗したのかがそれぞれ語られなければなりません。そうしたことを前提に、信頼関係の再構築を目指して、これからの新船員政策が検討・遂行されるべきでしょう。

②二つの失敗要因
 船員制度近代化政策の失敗要因として、専門分化構想を採用しなかったこと、そして船員職業の特殊性を正しくとらえていなかったことの二点を指摘したく思います。

○第一の失敗要因
〈専門分化構想を採用していたら…〉

 船員制度近代化政策における船員(職業)観は、航海系と機関系の伝統的職種の合体で2人を1人にするという合理化狙いが強く、仮設的船員像(運航士、W/O、KW/O、DPC・KS等という各種の新呼び名が登場し、現場でもそのように呼称させた)という名の船舶士構想(船社側が主張していた)に近いものであったと言えるでしょう。その選定自体が誤っていたことをまずは認めるべきです。
 それとは異なる構想であった笹木弘東京商船大学教授(当時)提唱の専門分化構想が新船員制度として採用されていれば、たとえうまくいかなかった場合でも、現場船員や商船船員教育機関に致命的打撃をあたえることにはならなかったのではないでしょうか。
 専門分化構想とは、航海士職を運航と貨物の技術者へ、機関士職を機械と電気・電子の技術者へ、それぞれ専門分化して育成することを基本に据えた構想です。
 ただし、想定した人数は船舶士構想と同程度ですが、船員(職業)の特殊性軽減や技術進歩への対応をも見据えた新船員制度として説明され、戦後の新商船教育の充実化路線に沿った船舶運航学術の深化システムと整合性がとれていたものです。
 しかしながら、当局や関係者が採用したのは、飛行機の運航態勢に類似した方向で、乗組員の合理化を図っていく仮設的船員像(仮説ではなく、「仮に設けたもの」という説明で実船実験の結果いかんでは修正可能というニュアンスを込めたもの)であったわけです。
 そこに描かれた将来の日本人船員像は、航海系と機関系の職種を合体化させた運航員の設定で、装備面は飛行機のコックピットに類似した船橋スタイルにして、船舶運航の合理化・省力化を進める内容でありました。
 従って、船員制度近代化政策展開の初期段階では、船舶と運航諸設備の修理や整備に関して、近代化船が寄港した時点で、船舶運航技術支援(メンテナンス)の新仕組を構築する努力がなされました。貨物の積み揚げ支援も考慮されたことは言うまでもありません。
 船員制度近代化政策の失敗は、新船員になろうとしていた若者の夢を奪ってしまったこと、商船船員教育機関の教職員に形成されていた船員(職業)育成のための伝統的ノウハウとそれを土台にした船舶運航学術探求の仕組みを瓦解・縮小させてしまったこと、さらに、その学術に基づいて船員(職業)としてのキャリアを深めていた現場船員のやる気と蓄積された知識・経験をスクラップにしてしまったこと等という大きな代償を伴ったことは忘れてはなりません。
 したがって、その後の新船員政策のためには、より手間と時間をかける覚悟が必要になってくるわけです。
 特に、若者が海へ回帰することや関係者の理解には時間がかかるし、苦汁をなめた現場船員が立ち直ることが出来るようにするためにも、より良い船内環境の整備を官公労使学が率先して行う覚悟を持たなければなりません。
 その上で、船員教育と商船学研究に携わっている教職員の評価を適切に行うことは必要ですが、商船船員教育機関を対象にした行政改革は行わないことです。このままでは〝もう騙されないぞ〟という気持ちのほうが優先し、新船員政策推進にとって最も大切な信頼感は関係者に醸成されません。

○第二の失敗要因
〈船員(職業)の特殊性を正しくとらえていたら…〉

 1980年代後半に、船員制度近代化政策と並行して行われた緊急雇用対策は、グローバル競争下の脱日本籍船化と脱日本人船員化に対応したものになります。
 その展開は、日本の船員・海運政策がグローバル市場至上主義へ移行したということになりますが、あたかも表面上は船員制度近代化という日本人船員にとってバラ色のビジョンを掲げながら、裏面では脱日本化戦略が着々と準備されていたという不信感を関係者に植え付けるのに十分なものがあったといわざるを得ません。いずれも船員(職業)の特殊性を軽視するだけなく、船員のモノ化政策を深めたと言えるのです。
 船員制度近代化委員会の最終報告書(1997年3月)は、近代化政策の破たん要因として「急激な円高のもと、11名の日本人乗り組みのパイオニア(P)近代化船であっても、途上国の外国人船員が乗る便宜置籍船と比べたとき、日本人船員が乗り組む船には競争力がなくなった」と主張しています。
 それが正しければ、なおさら、そういった安上がりの外国人船員と便宜置籍船の利用の制度的実現が、日本行政の仕組みの中で円滑に進むものではありません。
 つまりマルシップ混乗や新マルシップ混乗、さらに国際船舶の導入と外国人への日本の海技免状取得の容易さ実現等々の煩雑な政治・行政手続き、予算手当て、海運労使の合意形成等を考えたとき、船員制度近代化政策の展開と同時に今日の基盤が形成されていったと言わざるを得ません。
 これらのことは、官公労使学が手を取り合って進める政策の怖さであり、破たん要因の探求と真の反省がなされないまま、その後の新船員政策が展開される危険を如実に示すものです。要するに、グローバル競争に勝つためにいかにすべきかだけが優先されてしまうことになるのです。
 20年近く続けられた船員制度近代化政策は、その実船実験に参加した日本人船員たちに、休暇増大、労働時間短縮、労働負担軽減、賃金の上昇、キャリアアップ等々をもたらして、船員(職業)特殊性の軽減に少しでも役立ったのでしょうか。それらは疑問だらけです。
 失敗要因の第二は船員(職業)の特殊性をないがしろにして、その非人間性をもたらす環境条件の軽減策と日本人船員(職業)の確保策を怠ったという点にあります。その結果、陸からの船舶運航支援
制度づくりの試みは中途半端にして船上へ戻し、船員(職業)の仕事は航海系と機関系に戻す先祖返りをさせたのです。

 このようになってしまった背景には、戦後日本での特色ある商船学形成の努力に深い理解をしないうえ、旧商船大学の社会科系教員たちが取り組んできた船員職業・労働特殊性論を軽視して、関係者がその一面だけを見て船員制度近代化構想を組み立ててしまったことにあると考えるのです。
その反省がないままでは、日本人船員の確保育成策や外国人船員(職業)の確保策は実を結ばないことになっていくでしょう。
(4)新船員政策づくりの要点
(次号に続く)