メディアの報道から(編集部)

クルーズ船内隔離は失敗、乗客の米国人医師語る 
ウォールストリートジャーナル 

 【東京】アーノルド・ホプランド医師(75)は長年、米テネシー州エリザベスタウンで一次診療医を務め、感染防止の知識もあるつもりだった。だが、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」で実施された隔離方法は、適切とは思えなかった。乗客として乗っていたホプランド氏の船室には、多いときで一日に10回も、食事や必需品、励ましのチョコレートを持った乗組員がやってきた。乗客たちはマスクもせずにバルコニーで洗濯物を干していた。バルコニー越しに身を乗り出して隣室の乗客とおしゃべりする姿もあった。
 2週間の隔離期間は19日で終了するが、こうした穴だらけの隔離の結末が明らかになりつつある。日本政府の発表によると、18日時点で新型コロナウイルスに感染した乗客・乗員は500人を超えた。隔離による感染阻止が失敗に終わったことを示す新たな証拠が提供された形だ。
ホプランド氏は妻のレジーナさん(74)と共に、米政府が用意したチャ
ーター機で退避する予定だった。
 だが搭乗の直前、船室のドアをノックする音がして、自身の警告が聞き入れられない場合に何が起こるか身をもって思い知ることになった。レジーナさんが新型ウイルスの検査で陽性反応が出たのだ。夫婦の船室係員も感染していたと分かった。レジーナさんは現在、首都圏の病院に入院している。ホプランド氏は陰性だったが、船内にとどまっている。
「自分は陰性だと聞いて驚いた。ウイルスが山火事のようにこの船を駆け巡ったと分かっていたからだ」とホプランド氏は述べた。「例えるなら、我々を感染させるために培養用シャーレに入れたようなものだ」
 (中略)ホプランド氏は「最初に思ったのは、船上で隔離状態を維持するのは無理ということだ。その考えが正しかったことが明らかだと思う」と語った。乗組員は乗客に十分な食事を提供しようと全力を尽くしているが、隔離を実行する訓練は受けていないと指摘した。(中略)係員は当初、船内で用意した食事を手渡ししていたが、食べ物を通した感染拡大を防ぐため、18日時点ではある企業が船外で食事を用意していた。
(2・19)


乗員が語る緊張の現場 
ウォールストリートジャーナル
 
【東京】ダイヤモンド・プリンセス号が2週間の航海を終えて2月3日に横浜へ戻ると、ヘリコプター3機が頭上を旋回し、日本の保健当局者が乗り込んできた。イタリア人のジェナーロ・アルマ船長(44)は、新型コロナウイルスに感染した乗客が出た結果、もはや船が自分の完全な指揮下にはなくなったことを悟った。「皆のために、日本当局者の規則とプロトコルに従わなければならないと、われわれはすぐさま理解した」とアルマ船長は語った。
 多くの国からやってきた乗客2600人余りは程なく、2週間ほど船室にとどまるよう伝えられた。最終的に、新型コロナウイルスに感染していると診断された乗客は500人を超えた。これまでに4人が死亡したほか、各国に戻ってから陽性反応を示した乗客も、米国人36人を含め多数に上っている。既に乗客全員が下船したが、26日時点でなお数百人の乗組員が船上に残っている。
 乗組員の一人ジャック・メローズ氏は通常、ナビゲーションを担当し、寄港地で乗客の乗下船を補佐している。だがいつの間にか、綿棒や体温計を持って乗り込んだ医療関係者の記録を取り、病人を救急車に乗せる手伝いに追われるようになった。英国人のメローズ氏は、「経験したことのない全く新しい作業だった」と言う。「規則集は吹き飛んでしまった」。
 アルマ船長と乗組員を船上にとどめ、特別対応に当たらせるという日本の判断は一部から批判を浴び、彼らを感染リスクにさらすのは不公平だとの声も上がった。
 感染症対策の専門家である岩田健太郎氏は、船内に適切な隔離設備がないことに警鐘を鳴らし、科学あるいは医療分野のトップが判断していれば、乗員を働かせるという決定は下さなかったはずだと指摘した。
日本の当局者は理想的な状況ではなかったと認める一方で、隔離の初期段階において何千人も陸上の施設に移動させることは現実的ではなかったと説明している。船室に隔離された乗客が食糧や医療支援、情報を必要としていたため、乗員の経験に頼らなければならなかったという。
 元世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局長で新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の副座長を務める尾身茂氏は、乗客にサービスを提供する必要があるため乗員は残らなければならなかったとしたうえで、感染の可能性があるにもかかわらず力を尽くした乗組員への謝意を表明した。
 後になって指摘された点がもう一つある:船長は早期に船上での隔離を宣言すべきだったのだろうか。船長は2月2日、香港で下船した乗客が前日に陽性反応を示したと知らされた。船の運航会社、米プリンセス・クルーズはこの乗客について、当初は断片的な情報しかなく、全ての乗客を待機させる十分な理由がなかったと説明している。メローズ氏は「隔離されると伝えられるまで、状況の深刻さが全く分からなかった」と話した。
 乗組員らはプリンセス・クルーズが手配したインタビューで、自分たちの置かれた状況に憤りは感じなかったと述べた。アルマ船長は「そのようなことを考えるのに時間を費やしたことは全くない。とにかく対応を進めていかなければと思った」と語った。船長はイタリアのソレント出身で、1998年に士官としてプリンセス・クルーズに入社した。「当初は不安を感じる乗員がいたのも無理もない」としながらも、乗員たちは「私が到底想像できなかったほど素早く適応した」と続けた。
 照明や花火装置など船上のエンターテインメントを担当していた米国人のカイル・バーンズ氏は、事実上の医療担当マネジャーになった。まず船内のセーフティセンターで、患者の医薬品リクエスト票に目を通し、船室へ医薬品を届けるのを管理した。さらに、隔離に関する乗員の質問を陸上スタッフに伝える24時間ホットラインの担当も受け持つようになった。
「皿洗いだろうが船長室のある甲板にいようが、関係ない」とバーンズ氏。通常の役割を超えて動かなければ、「車輪は回り続けなかっただろう」と振り返った。

エンターテインメント担当マネジャー
カイル・バーンズ氏は医薬品担当に


 そうこうするうちにも、相次いで乗員のウイルス感染が確認され、陸上の病院に運ばれた。残された乗員は、いつか自分の番が来るのだろうかと考えた。中には、咳(せき)や喉の痛みがあれば、発熱を待たずに自ら船室にこもった乗員もいた。政府のデータによると、26日時点で乗員149人が陽性となっている。
 米国やオーストラリアなど一部の国が帰国便を用意すると、各国出身の乗員にも座席が提供された。乗員は早く抜け出せる機会に心を引かれたという。クルーズ・ディレクターのナタリー・コスタ氏は「人生で最も難しい決断の一つだった」と語る。出身国のオーストラリアが用意した帰国便には乗らなかった。検査で陽性となり日本の病院に運ばれたオーストラリア人乗客らを世話していたコスタ氏は、「彼らを置いていくことはできなかった」という。
 23日に最後の乗客が下船し、乗員のための対応もペースが上がってきた。25日には400人余りのフィリピン人乗員が帰国。インドとインドネシアはチャーター機を手配しているが、他の乗組員はさらに2週間の隔離を強いられている。「まだ終わりではない」と語るエンターテインメント担当のバーンズ氏は、この後どこへ行くか決まってないという。
 ただ少なくとも、決まっていることが一つある。航海の伝統で定められた通り、アルマ船長は最後に船を離れる予定だ。       (2・27)  


船内でおこっていたこと
 岩田健太郎 神戸大教授(「新型コロナウイルスの真実」ベスト新書要約)
『船から降ろすのが難しいので、船内に留め置くと決めたなら、二次感染をゼロにする覚悟を決めなければならない。ところが厚生省は形式主義者だから結果を出すことにはこだわらなかった。「いろんな仕事をしなきゃいけない」という理由で、クルーの人はほったからしでした。17日に船内へ入ったが、グリーンゾーンとレッドゾーンはグチャグチャなまま。背広を着た官僚がPPE(防護具)を着たDPATの横を悠然と歩いている。これでは二次感染が起きて当然。クルーを中心に感染が拡がっていたことをデータが示唆している。』


政府・船社の無策に翻弄された船内の実態
 小柳剛(「ダイヤモンド・プリンセス号からの生還」KADOKAWA出版)
『クルーのほうからも、特にインド人から相当の不満が出ているようです。よく反乱が起きないものだと。少なくともサービス拒否の動きが出ないものだと、不思議に思っています。厚労省は世論を気にして、14日間を錦の御旗に理解不能な隔離を続けるでしょう。厚労省とプリンセス・クルーズ社はゴールをどのように設定したのか。わからないことだらけです。』


プリンセス号は日本に責任
佐藤義明 成蹊大教授
『国連海洋法条約で、船舶は公海において旗国の「排他的管轄権に服する」と明記されている。ダイヤモンド・プリンセスは英国に船籍を置き、米国に本社を構えるプリンセス・クルーズが運航。政府与党内では「日本が出来ることは法律上、限りがあった」という声があるが、入港した横浜港は東京湾の一部で日本の内水だ。完全に日本の主権下に置かれているから公海における旗国主義は働かない。感染拡大に充分な対処が出来なかった責任は旗国ではなく日本が負う』
(3月26日 日本海事新聞要約)    
(編集部)