大内要三(日本ジャーナリスト会議会員)

 本誌前号で予告した、おおすみ事件国賠訴訟の証人尋問は、7月7日と21日に広島地裁で行われた。
 被告側から、田中久行「おおすみ」艦長、西岡秀徳・当直士官、木内隆善・レーダー監視員、木村邦生・左見張員、石井裕之・船務長の4人が証人台に立った。また原告側からは、「とびうお」に乗船していた寺岡章二さん、事故で亡くなった大竹宏治さんの継承人中村裕子さんと折笠由加理さん、水先人の柿山朗さんの4人が証人となった。
 以下テーマごとに、(1) 証拠等からすでに明らかになっている事実、(2) 各証人の証言、(3) 私の意見・感想を記す。

1 役に立たなかったレーダ監視員
(1) 証拠等で明らかな事実
 「おおすみ」は艦橋・ウイングからの目視と、CIC(戦闘指揮所)でのレーダー監視の双方で見張りをしていた。レーダー監視員が目標をプロットすると、目標は自動的に追尾されてレーダー指示器の画面上に方向も距離も出る。同じレーダー指示器が艦橋にもある。
 しかし艦橋で操艦の指揮を執っていた当直士官から「とびうお」の測的を指示されたレーダー監視員は、この目標を「ゴルフとする」と名付けたのみで、実際にはレーダー画面上で発見できなかった。別な目標を「とびうお」と誤認して測的を開始してしまい、その結果も当直士官に報告しなかった。
 そのため、「おおすみ」のレーダー指示器画面上には「とびうお」を示す「ゴルフ」のマークはない。

(2) レーダー監視員らの証言
 レーダー監視員は次のように証言した。『海面の反射状況が強く、近い目標を捉えることができませんでした。』『(操艦は)目視などあらゆる方法でできます。』
 そして、当直士官は次のようにレーダー監視員を庇った。『自分の目で見えておりましたので、目で判断できると考えました。』『(CICは)サボっているわけではないと思います。』『測的の必要がないとは言っておりません。』『一つの手段としてCICに指示したということです。』

(3) 私の意見・感想
 「とびうお」との距離がどれだけあるか。このまま進めば最接近距離はどれくらいになるか。当直士官は艦橋からの目視だけでは不安だからこそ、レーダー監視の客観的データが欲しくて測的を指示したのだろう。目で見ていたからレーダー監視データがなくても大丈夫、ではなかったはずだ。

2 役に立たなかった見張員
(1) 証拠等で明らかな事実
 衝突前、「とびうお」は「おおすみ」の左前方にいた。従って左見張員のいる左ウイングが、いちばん良く見える位置であった。左ウイングと艦橋の間にはドアがあり互いの肉声は聞こえないが、ウイング、艦橋伝令、CIC間には通信系統があり、またウイングからは窓を通して艦橋の様子がうかがえる。
①衝突3分前の7時57分に当直士官は艦橋伝令を介して左見張員に「左40度のやつ(こちらを)視認しているか」と聞いた。左見張員は14秒も経ってから「視認している」と答えた。
(注:左40度のやつ=「とびうお」のこと)
②左見張員は7時59分25秒に「左50度同航の漁船、距離近づく」と報告した。(注:この「漁船」も「とびうお」のことだ)。
③左見張員はその後「とびうお」が右転したと判断したが、報告しなかった。

(2) 左見張員の証言
 左見張員は次のように証言した。
①『20倍双眼鏡を使って確認する作業があったので…とびうおの操船者の輪郭がおおすみ側を、正面を向いていました。』
②『同航は、おおむね、針路がおおすみとほぼ同じということです。』『とびうおの方位が徐々に上り、距離が近づいてくるように見えました。』
③『当直士官自身がとびうおの右転に既に気付いているのと、あと、私が余計な報告をすることで艦橋の混乱を招くと判断したためです。』

(3) 私の意見・感想
①双眼鏡の操作に手間取っていて、自衛艦の見張が務まるのか。そもそも当直士官が見張員に対して、「とびうお」側が自艦の接近を「視認」しているかどうかを問うたのは、小型船である「とびうお」の方で避けることを期待したからではないのか。要するに「そこのけ運転」だ。
②「おおすみ」は180度、「とびうお」は約200度という両船の針路から、次第に「近づく」のは当然だった。
③このような状況で、仮に、自衛隊側が主張するように「とびうお」が右転して、見上げるように巨大な「おおすみ」に向かって来た(あり得ないことだが)とすれば、たいへん危険なこと   は明らかなので、見張員はなぜ遠慮せず、すぐに報告しなかったのか。自信を持って「漁船右転」と言えなかったからではないのか。

3 衝突回避行動は適切だったか
(1) 証拠等で明らかな事実
 艦橋で「おおすみ」の操艦指揮を執っていた当直士官は、7時58分48秒に第一戦速(変速標準表では18ノット、入渠前のため実際には17・4。以下の数値は標準表による)から強速(15ノット)へと速力を落とす指示をした。
 以後は艦長自身が操艦の指揮を執り、衝突まで1分余の間に、原速(12ノット)へ、さらに微速(6ノット)へと減速し、警告の汽笛を鳴らし、機関を停止し、面舵一杯と、矢継ぎ早の指示をした。

(2) 当直士官と艦長の証言
 当直士官の証言。『とびうおがおおすみの艦首を左舷から右舷に横切っていくというふうに判断…より安全にかわすために速力を減速いたしました。』『艦長は衝突のおそれ、若しくは危険を感じて私から操艦を取ったのだと考えております。』
 艦長の証言。
 面舵一杯を取ったため艦尾が左側に振り出る右キックとなり「とびうお」と衝突したのではないかという追及に対して、『それによるものかもしれませんけれども、とびうおの停止したときの惰力の影響もあるというふうには思っています。』。左船首に障害物がある場合、通常は逆の左キックを使うのではないかという問いに対して、『キックを利用する場合には、転心をかわってから左に取ります。』『転心よりも前方にあった時点で左に取るというのはあり得ません。』『自衛艦の場合は舵効きが非常にいいので。

運輸安全委員会による推定航跡図 2015.2.10『赤旗』より

(3) 私の意見・感想
 海上交通の輻輳する瀬戸内海でのこと、「おおすみ」がずっと原速で航行していれば衝突回避はもっと容易だったはずだ。衝突の1分前から艦長が直接操艦の指揮を執ったのは、もう当直士官に任せてはおけないという危機感を強く持ったからで、「衝突のおそれ」どころではないだろう。
 海上保安庁は事故後の2月13日に「おおすみ」に事故当時の航跡をたどらせて実況見分をしたが、このとき「おおすみ」の取舵一杯の実動実験はしていないので、左キックはあり得ないという艦長の証言の正当性は分からない。自衛艦は旋回能力も制動能力も公表されていない。

4 衝突の危険をいつ感じたか
(1) 証拠等で明らかな事実
  「おおすみ」の艦橋音声記録には、①59分03秒に発言者不明の「避けられん」、②59分17秒に船務長の「このまま行けると思ってるんだろうな、怖いよな」、③59分25秒に前述の左見張員の「左50度同航の漁船、距離近づく」、とある。

(2) 艦長と船務長の証言
 ①について、艦長の証言。『私は全く覚えがありません。』『何をもって避けられんと言ったのか、船の話なのか、あるいは、それ以外の作業の話なのかは全く分かりません。』『話をするのは自由です。』
 ②について、船務長の証言。『大きな船の前を横切る、平気で横切るという意味でも、怖いという発言。』『この時点では危険は感じておりません。』『おおすみは速力を落としましたので、あとは離れていく一方なので。』『まあ、安全だということで、冗談めいた感じで言っております。』。同じく②について、艦長の証言。『とびうおが全く針路・速力を変えることなく平気でおおすみの前方を横切ることについて、その危機意識・危険意識がない船だなという意味で、怖いよなというふうに言ったというふうに解釈しました。』
 ③について、艦長の証言。『それまで同航で行った船が、同航だと報告していた船が近づいてきたという意味で報告していると思います。』『私も見て、とびうおが急におおすみ側に接近しているというふうに判断しましたので、減速しようと思いました。』

(3) 私の意見・感想
 ①小型船の接近を見ている艦橋内で雑談ができたのだろうか。この発言の時点ですでに、両船がこのまま進めば衝突の危険があると感じていたと受け取るのが自然ではないのか。だとしたら「おおすみ」の衝突回避行動は遅きに失したと言うべきだ。
 ②船がこのまま進めば衝突の危険があると感じての発言と受け取るのが自然だ。冗談が言える状況ではない。
 ③左見張員はこの時点ではまだ「とびうお」は「徐々に」近づいたと証言している。艦長の「急に近づいて」という認識とは異なる。

 なお艦橋音声記録には、59分27秒に「向こうは怖くないんかな」、59分31秒に「怖くないんでしょうね」、59分34秒に「いつでもよけれると」、59分57秒に「当たった?」という、いずれも発言者不明の音声記録がある。「とびうお」のほうで避けると考えて「おおすみ」の回避行動が遅れたことを証明しているように思えるが、これらの発言については証人尋問で問われていない。

5 実は右転を誰も見ていない
(1) 証拠等で明らかな事実
  「とびうお」が急に右転してきたので衝突回避行動を取った、「とびうお」の右転がなければ衝突せずに「おおすみ」の前方を通過していたはず、というのが被告自衛隊側の主張だ。しかし、「とびうお」はGPS機器が水没してデータが失われているので、正確な航跡は分からず、目撃証言が重要になる。

(2) 艦長や当直者らの証言
 左見張員は『とびうおが右転しておおすみのほうに近づいてきました。』と証言。続いて「どうして右転したと判断したのですか」という問いに対しては、『とびうおの右舷の見える面積が増えたからです。』と答えた。また「太陽の反射で船が見にくいということはなかったですか」という問いに対しては、『それはなかったです。』と答えた。
 艦長は原速(=12ノット)に減速の指示をした後、7時59分30秒ごろ『急速にとびうおがおおすみのほうに近づいているように』感じたと証言した。59分38秒に微速を指示したのは『とびうおが右転してきて、急速に衝突の危険が生じたからです。』とも証言した。しかし自書した陳述書には「右転」の記載がないことを衝かれると、『とにかく、おおすみ側に急に接近したのを見てます』と二度にわたって繰り返した。また海面反射については『右転した直後にはありました。』と証言した。
 当直士官の証言。59分25秒の左見張員の報告の後、『再度自分の目でとびうおを見たときに、これまでと違う、若干おおすみの艦首側を向いていると認識した』『そのときに右転したと判断しました。』
 船務長の証言。『明確に右転したところは目撃できていませんが、結果から見ると、間違いなく右転したと判断してます。』『500ヤード、600ヤード先の、まあ、自動車ぐらいの大きさの漁船が、まあ、右を向いているのは分かりました。で、それは、右を向いたまま針路を変えても、その針路変化というのは肉眼では明確に判断するのは無理だと思います。』

(3) 私の意見・感想
 要するに誰も明確に「とびうお」の右転しているところを見たとは証言できなかった。

6 迫真の原告側証言
 折笠さんは居住する福島から広島まで出向いていたが、体調を崩し法廷に立つことができなかった。中村さんは正当な継承者であることを証言した。柿山さんの証言についてはご本人の別稿があるので割愛する。

(1) 証拠等で明らかな事実
 ①釣り客として乗船していた寺岡章二さんは「とびうお」の甲板に置いたクーラーボックスに、後方を向いて座っていたので、「おおすみ」が接近してくるのが良く見えていた。
 ②寺岡さんは「おおすみ」のキックで「とびうお」が転覆したと証言してきた。
 ③寺岡さんは転覆した「とびうお」から冬の海に投げ出され、瀕死の体験をした。
 ④寺岡さんは「とびうお」は右転などしていないと当初から語っている。

(2) 寺岡さんの証言
 ①『100メートルぐらいに近寄ってきて、ほんで、汽笛を鳴らしたのが5、6メートル手前、もう船にぶつかりそうなぐらい。』『ほんで、おおすみが私らの船の斜めから前に出ていったんですよ。』
 ②『擦れ違うときちょっと2メートルくらい空いてましたから、前が。ほじゃけん、そのままひょっとしたらまっすぐ行くんじゃないか思うたら、おおすみが右に旋回し出したんですよ。』
 「おおすみ」の右旋回がなかったら、『多分前がちょっと当たったりするぐらいで、転覆することはなかったと思います。』
 ③『とびうおの真下に入り込んで、ほんで、もう死ぬか思うたですよね、そんときは。必死に泳いでから、どうにか泳いでから、ほんで、浮き上がって。』『冬です。寒かったですよ。』
 ④右転は『全然そんなことはないです。』『絶対ないです。』

(3) 私の意見・感想
 「とびうお」乗船者で唯一の生存者となってしまった寺岡さんの、一貫した「右転などしていない」という証言は、信頼性が高い。
 「おおすみ」は、このまま接近しても「とびうお」のほうで避けるだろうと期待して、高速のまま漫然と航行し、衝突直前になってからあわてて回避行動を取ったつもりが、キックで「とびうお」を転覆させてしまった、というのが本件の真相ではないか。

 次回、第23回口頭弁論は11月10日。これで結審となり、判決は年明けとなる模様だ。

    (2020、10、25)