柿山 朗(元外航船員)

第一章 軍の論理
第二章 民の論理
第三章 溶け合う軍と民
(1) 軍事機能の民営化
(2) 商に揺れる民
(3) 強制と任意のはざまで
(4) 湾岸戦争と民間船
(5)「下船の自由」という権利
(6)「下船の自由」を巡る対応
(7) 旗と国家
(以上、前号まで)


(8)戦後初の海外派兵 
① ペルシャ湾への掃海艇派遣

 1990年8月、イラクのクウエート侵攻で始まった湾岸戦争は、イラクが安保理決議を受諾し、翌年4月11日に停戦が発効した。
 政府は自衛隊法の「機雷等の除去」を根拠に、国会に諮ることなく自衛隊の通常業務という解釈のもと、掃海母艦「はやせ」と4隻の掃海艇、補給艦「ときわ」の6隻から成る掃海派遣を決めた。
 4月26日、それぞれが横須賀、呉、佐世保を出港し、スービック(フィリピン)、シンガポール、コロンボ等に寄港、補給をしながら5月27日にドバイへ到着した。
 6月5日から9月11日まで、米国や他の多国籍軍派遣部隊と協力し、掃海作業に従事した。日本の掃海艇が到着する頃、既に1250個の機雷が処理されていた。 
 日本の掃海船の処分した機雷は34個にすぎない。艦隊は10月30日に呉港へ帰着した。 


② 政治家の論理と世論の大勢
  「東西冷戦が終わり、経済大国になった日本への期待は大きい。カネやモノにとどまらず、ヒトの面でも貢献すべき。即戦力になるのは自衛隊しかない」。自民党議員の多くはそう発言した。
 当時の安倍自民党幹事長は『日本が攻撃を受ければ、米国の若者が血を流す。今の日本の憲法では自衛隊は米国が攻撃されたときに血を流すことはない。完全なイコールパートナーと言えるのか』と見栄を張った。
 のちに首相として国会で『湾岸戦争後、クゥエートの感謝広告に日本の名前が無かったことは私自身にも多くの国民にも衝撃であった。自分の国さえ平和であれば良いとの一国平和主義の考え方では我が国の平和を守ることはできない』とも発言している。
 世論調査(公共調査会)では、「日本の掃海艇派遣について」
当然だ:26%、やむを得ない:37%、反対:29%、わからない:8%である。世論は概して好意的なことがわかる。
 海部首相は国会で『武力行使の目的を持たず、平和が回復されたところへ、いわば危険物除去のために行くわけで、憲法上禁止されているわけではない。海外派兵とは、武力の行使や威嚇をいうわけで今回の派遣とは明確に区別してほしい』と述べている。
 これに対して「そんなことはしてはいけない」と反論できる日本人はそれほど多くはいない。 
 中曽根内閣の後藤田正晴官房長官は、イラン・イラク戦争下のペルシャ湾に掃海艇を派遣しようとした首相に『閣議でサインしません』と迫り、断念させたというエピソードを持つ。(2019年2月24日毎日新聞)
 陸軍二等兵として入営し、台湾での捕虜体験をもつ後藤田は『どんな立派な堤防でもアリが穴を開けたら、そこから水がちょろちょろ出て、いずれ堤全体が崩れる』と、自衛隊のペルシャ湾派遣には反対し続けた。だが、世論を押し返すほどの力は既に失っていた。

③ 自衛隊派遣の動機、米国と商
 当時、アマコスト駐日大使は『危険を分かち合うと特別の感情が育つ。日本も憲法の枠内でできることがあるのではないか。』
 また、ブッシュ大統領は海部首相への電話で『掃海艇や給油艦を出してもらえれば、デモンストレーションになる。日本が米国の方針にコミットしていることを世界に知らせることが大事だ』と述べた。それらが米国の意向だった。
 当時カフジに製油所を持っていたアラビア石油は、サウジアラビア政府に対して機雷の掃海を依頼したところ、逆に日本が自前で掃海するよう求められた。
そのため、元通産事務次官である小長アラビア石油社長は、通産省を動かして経団連に働き掛ける。
 更に経団連から石油連盟を通じて通産省へ。日本船主協会も、運輸省へ掃海艇を派遣するよう要請した。経団連にとって、掃海艇派遣は湾岸の復興ビジネス参入への足掛かりであり、日米貿易摩擦の影響を最小化することにつながる。
 掃海艇派遣からイラク、アフガンそして安保法まで、米国への忠誠と商(ビジネス)への奉仕という二つの動機が、底流には一貫して流れている。


④ 中内功の戦地フィリピン
 当時、経団連の正副会長会議で、『東南アジアの国は何と言っているか』とはっきり反対したのが、ダイエー会長の中内功である。
 中内の念頭にある「東南アジアの国」とはフィリピンだ。彼はルソン島の戦闘で大岡昇平の小説「野火」で描かれた戦争の実相を体験したひとりだからである。
 中内によると、戦場で戦友が死ねばどういう行動をとるかといえば「死んだ兵隊の靴を脱がし、自分の靴と替える。古くなった自分の靴は小さく刻み、飯盒で煮て食べる。飯盒を失ってからは、水に浸してガムのように噛んだ」
 このため歯はすべてが入歯という。肩から大腿部にかけて未だに被弾の破片が埋め込まれている。
 戦場では指揮系統は混乱し、兵士たちは百鬼夜行の状況にあった。 
 眠ればいつ味方に殺され、屍肉をあさられるかわからない極限状態だったという。
 中内は戦場から飢えと怒りと人間の底知れぬ不条理を背負って引揚げ船「夏月」に乗り、復員の途についた。港には多くのフィリピン人が集まり、岸壁を離れる「夏月」に向かって、『ヒトゴロシ、ドロボー』と言いながら石つぶてを投げた。」(カリスマ・新潮文庫・佐野眞一著から)
 戦後初めて海を渡る自衛隊の最初の寄港地にスービックが選ばれた。そこは「夏月」が出港したマニラ港の正面に見えるバターン半島の裏側に位置する。中内は運命の皮肉を想ったに違いない。

⑤ 海員組合の対応
 掃海艇派遣が政府によって決定される中、海員組合の対応が注目を浴びた。朝日新聞、シリーズ「掃海艇派遣・湾岸後と日本、第8回」では次のように報道する。
 「4月10日、海員組合の八木田宏漁船局長は外務省に鈴木宗男政務次官を訪ね、『船員の命、船舶の航行について強い懸念がある。ペルシャ湾海域の安全確保に関し、格段のご配慮を強く要請する』という文書を渡した。鈴木次官は 『今、掃海艇の派遣について議論している。出すなら出す、出さないなら出さないで早く決着をつけたい』
 八木田氏は『それは、私らは関知しません。安全のためにしっかりやっていただければ結構です』と答えた。
ところがこの日の夕刊各紙が「政府側の情報として海員組合が掃海艇派遣を陳情」と報じ波紋をよぶ。翌日の連合本部での三役会議で中西組合長は『われわれは、政府の責任で安全確保を、と言ったまでだ。安全確保の方法はいろいろあろう』と発言した。
  海員組合の鷹島重雄政治渉外部副部長は次のように語る。『心情を言えば、航行中の掃海艇に、宜しくお願いしますという電報の一本も打ちたいところだが、周囲に目配りすると厳しい』」  
 世論調査でも国民の3割が安易な掃海艇の派遣に反対した。まして船員の立場なら、将来への危惧から反対を表明しても不思議ではない。だが、組合は船主や政府への安全配慮義務を要求したに過ぎなかった。

⑥ 海員組合のもう一つの選択
 掃海艇派遣問題に先んじて問題となったのは、湾岸地域からの避難民輸送であった。組合は2月1日、「避難民輸送に、客船や大型フェリーなどを派遣する方針が決定すれば、海員組合は積極的に協力したい」とする声明を発表した。
 中西組合長は、声明のねらいについて『わが国は憲法の立場に立って国際平和に対する貢献策を確立すべきなのに、もっぱら米国の要求にどう応えるか、という立場でしか動いていない』と説明した。
 国会で海部首相も『感激した。避難民の輸送ができるよう海運労使に理解と協力をお願いしたい』と応じ、国際移住機構(IOM)からの要請があれば、民間船舶による避難民輸送も考慮すると答えた。(海上の友・2月21日発行)
 軍事と非軍事が区別しにくい時、民間の専門家やNGO(非政府組織)の連携による第三の道も有り得ると思う。掃海の経験を持つ退職自衛官らと共に、航海や機関の専門家としての船員、サルベージの技術を持つ船員が役に立つ可能性が高い。だが、組合は声明を打ち上げながらこうした方向を真剣に模索し、汗をかいた形跡は無い。
 何故こうした第三の道が育たないのか。「海を渡る自衛隊・佐々木芳隆著・岩波新書」によれば、第一に既成事実を先行させればうまくいくからである。第二に自衛隊とは無縁の新組織が国際貢献の任務にあたるなら、財政的な見地から自衛隊の縮小を求める理由にされかねない。第三にその根本には「国軍の復活」への思いが存在する、と指摘する。


⑦ 自衛隊のふたつの貌(かお)
 ひとつは自衛隊が持つソフトな貌である。停戦監視、避難民救援等々、多くは人道支援や平和維持活動である。国内に目を転じると2018年だけでも災害派遣は、大阪北部地震、西日本豪雨、北海度胆振東部地震、岐阜県関市豚コレラ処分等々目まぐるしい活躍ぶりである。東日本大震災の時の体を張った自衛隊員の献身的な活動であり、国民的な評価は高い。
 もうひとつは、人を殺し得るまぎれもない実力部隊としての貌である。昨年12月、「中期防衛力整備計画(中期防)」を政府は決定した。5年間の防衛予算総額は、過去最多の27兆4千7百億円にのぼる。
 昨年、自衛隊は米インド太平洋軍と最大規模の「キーンソード19」を行った。大分・日出生台や習志野演習場では自衛隊空挺団員が米軍横田基地配備のC130輸送機から空挺降下を行った。
 国内初の島嶼防衛のための日米共同訓練「ブルークロマイト」が種子島で実施された。内容は沖合の輸送艦「おおすみ」からゴムボートを使って上陸する訓練と自衛隊のヘリによる米海兵隊の降下訓練である。
 米軍との一体化を進める政府が、アメリカの言い値で兵器を買い、集団的自衛権の法整備に続き兵器・装備面も揃える。訓練もこれまでの「共同」から「米軍指揮下」へ変質したことを示している。

⑧ 掃海艇派遣から軍拡の今へ
「9.11米国同時テロ事件」をきっかけにして米国は、テロとの戦いとしてアフガニスタンやイラクとの戦争に突入した。
いち早く米国支持を表明した小泉政権は2001年、インド洋へ護衛艦や補給艦を派遣した。
掃海艇のペルシャ湾への派遣の目的は、国際貢献や航行の安全だったが、約30年を経た実態は、テロ特措法や周辺事態法の成立を支えにサマワ、クウエート、南スーダンへと海外への派兵は拡大されている。
安保法が成立した今、自衛隊の軍事訓練は、昨年だけでも米比軍の「カマンダグ18」への参加、自衛艦「かが」「いなずま」が参加したシンガポール海軍との訓練、インド陸軍との「ダルマ・ガーディアン18」と南へ延びる。
 自衛隊の中で、兵站を担う大型船は輸送艦「おおすみ」型3隻、補給・補油艦「ましゅう」「とわだ」型5隻に過ぎない。誰が伸びきった輸送(兵站)を担うのだろうか。
民間活用によるフェリーの傭船や予備自衛官としての民間船員の利用を政府は方針とする。私は背筋が寒くなる思いで軍拡へ突き進むこの国の今を見ている。
      (次号へ続く)