― 商船船員を魅力あるものにするために 12 ―

雨宮洋司(富山商船高専名誉教授)

Ⅴ 特殊性を克服する諸政策の断片
Ⅴ-1 船員労働団体の混乱と
船員部会での議論
1.海員組合の混乱とその影響
(1)海員組合混乱の諸相
① 竹中裁判
② 北山裁判
③ その他の争い
(2)組合混乱の影響
① 船員側委員の発言力低下
② 日本人船員確保への影響
2.船員部会(国交省)での議論 
(1)船員部会の各種情景     
① 顕著な当局の強気発言
②〝要望〟事項となる船員側発言
③ 当局と船員(組合)側委員の 激論
(以上25号まで)

④ ILO海上労働条約の国内法化論議
 ILOが取りまとめた海上労働条約は、IMOの第四の条約として鳴り物入りで登場したわけですが、日本の船員法や船舶安全法等への取入れにあたっての重視点は、労使が委員として入っている船員部会での了承を取り付ける点にあったように思います。つまり官としては、労使がともに認めた条約の国内法化が無難になされていくことこそ重要だということになります。
  そのため、海上労働条約という外圧によるマイナス影響を出来るだけ避ける方策や適用除外条項を最大限利用しながら、労使の協議にも委ねる方式に持っていこうとする姿勢が貫かれるということでした。船員部会での当局による説明とそれに対する船員(組合)側委員による的確な質問の応酬からそのことが判明します。
  同時に、公益委員からは『日本の海事行政のILOへの対応は緩く、海上労働条約で本格的対応が迫られた』という発言がなされていたことにも注目しておきたいと思います(第45回(2013(平成25)年8月)。
 また、海上労働条約が海事労働条約という呼称にしばしば変化することも、将来、海洋開発に関わる全海洋労働者に波及しないようにする配慮の表れかもしれません。
 第16回(2010(平成22)年7月)部会で、当局は、『海上労働条約の国内法化に関して、労使を入れた勉強会を12回開いてきた』と述べて、労使一体で国内法化の準備をしてきた点を強調しています。
 さらに、第29回(2012(平成24)年1月)部会で、船員法の一部改正を急ぎたい理由を『2月下旬に海上労働条約批准が閣議決定されたので、遅れた場合、旗国検査やPSCで時間を取られ、船のスケジュールに影響を及ぼすので、早く証書などを船へ渡したい』として日本船社経営に支障を及ぼさない配慮が示されています。
 すでにパナマやリベリアなどの便宜置籍国が早々に批准していることは、日本の船主と国交省を慌てさせた要因にもなっているのでしょう。
 このことは外国人船員の苦情処理受付への対応や、漁船員の最低年齢規定の導入での値切り発言『今回の改正は商船に対するものなので、漁船に15歳(中学卒業生)が乗れる現状の労基法並みの特例はつけたい(第29回2012(平成24)年1月)』で明らかです。
 こういった当局の姿勢に対しては、サブスタンダード船排除運動との絡みがあるためか、船員の権利実現に向けた強力な発言が継続されなかったことは大変残念なことです(第28回2011(平成23)年10月)。
 次に、海上労働条約の国内法化に関する部会での説明に際して、いくつかの印象に残る当局の考え方を見ることにしましょう。

◯ 当局による〝グローバルスタンダード〟の意味合い
 海上労働条約の批准とその国内法化の説明で、当局は、日本が定める船員法や船舶設備規定等のグローバルスタンダードを確立していくと主張しています。
 しかし、それは船員社会の国際的レベルアップを日本がリードしていくといった類のものではなく、海外寄港地で日本支配船が寄港国検査(PSC)などの取り締まりで評判を落とすこと、停船措置による船社ダメージも防ぐこと等、日本船社の経営に配慮したものが強くにじみ出ています。また、日本法にはない 「医療に関した報告の書式制定義務」については船員労働安全衛生規則改正で補う方向になります。
 次に、当局の言う日本的グローバルスタンダードになりそうな内容を第16回議事録と部会で配布された資料から指摘してみましょう。
a、船員の最低年齢は、条約が16歳以上になっているが、日本は15歳となっているため、漁船員の場合、いかに現行通りにしていくかということ。
b、日本法にはない給与・賃金の明細書、雇い入れ契約書などの船内掲示と所持規定等に関する条約の規定をどのように国内法化するかで頭を悩ませていること。
c、居住設備、なかでも寝室の広さ、天井の高さ、ベッドの広さ等の基準は条約のほうが日本の設備規定より高い基準になっているので、その適用に当っては、3000総トン未満船と200総トン未満船への一定条項の除外(前者は衛生設備や食堂の位置などの免除、後者は洗濯設備、船員スペース、空調規定の免除で内航船に多い199総トンは非適用になる)を行うために、条約の弾力条項を利用すること(第37回も参照)。
d、食料提供に関しては条約が「異なる文化や宗教的背景を十分に考慮して食料・飲料水の船内備置・提供を船主の義務」としているのに対して、日本法への適用は、「遠洋近海の700総トン以上の船に食料表を設定」し、宗教文化との関連では「食料表の改正で対応する」としたこと。
e、船舶料理士に関しては、その配乗義務が条約で課されていないので現行日本法を維持するとしたこと。
f、調理担当船員への訓練・指導の義務化および食料供給に関する船長等による頻繁な検査実施という条約の要求に関しては、労働安全衛生規則などで制度化するが、基本的には、現行日本法の衛生管理者または衛生担当者(乗組員との兼務)が船長監督下で対応していくという、いずれも現場船員への追加負担で乗り切る姿勢になること。
g、条約は、食料・飲料水の供給、貯蔵とその場所、食事の準備と調理室を指定してその検査態勢づくりや食料などに関わる検査も厳重にチェックすることを要求している。しかし、日本法への適用では、衛生担当者によって食料・飲用水の衛生が保持されるという従来通りの手法で国内法化を乗り切ろうとしていること。
h、条約が要求している「船内安全委員会(5人以上の乗り組み)設置」の趣旨は、これまで述べてきた諸事項(上述のcからgまで)の乗組員によるチェック体制を現場で担保することにある。これまで日本法では任意設置だったが、義務化の方向になり、船員(職業)の安全と健康及び災害防止等の対処のために、現場船員の積極的言動と安全意識の向上に期待していかざるを得なくなったもの。
  以上述べてきたことのなかで、d~gは船員(職業)にとって極めて重要な船内の供食態勢や食事内容の質の確保に関するものですが、それを当局が重要視して規定強化を行う代わりに、船内委員会の義務化規定による現場船員の発言力に委ねるかたちになったといえましょう。
 これらを通して言えることは、海上労働条約の方が、船上で長期間の仕事と生活をしている船員(職業)の特殊性に配慮した調理・供食規定の国内法化要求になっているのではないかと言えそうです。

◯ 旗国検査と寄港国検査(PSC)制度の導入
 国交省や日本船社・船舶管理会社が、最も慌てたものは、海上労働証明書の旗国検査、そして寄港先で乗組員が労働問題に関して訴え出ることへの対応や当該国の検査を受けるシステムの導入(PSC)、さらに既に述べた船内安全委員会の設立といったことでしょう。
 いままでの対応は、主に船員労務官へ委任するかたちをとり、船員の労働組合(全日本海員組合)や船社等にも多くを委ねることで、船舶運航に支障が生じてこなかったわけです。
 ただし、そのような平和的安全運航が達成できた真因は、〝船員(職業)の特殊性を逆に利用する(船員の権利制限は特殊性故にやむを得ないという)こと〟なかでも、それに応えるかたちで〝商船船員教育機関出身のベテラン船員がその持てる力を発揮し続けたこと〟にあると思っております。
 それだからこそ、条約が定める船員の権利に関する諸事項の法定化が日本では遅れていたと思えるのです。

◯ 労働時間と休息時間規定の〝緩和努力〟
 条約が船長、機関長、医師も労働時間の規制対象者に入れたことに伴い、国内法化にあたっては、船舶運航の円滑な動きに支障が生じないように、船長に関しては出入港や狭水路などの場合は従来通りになるよう船員法はそれを原則容認し、臨機応変事項の詳細は労使間で詰めることとして、条約適用の例外を認めることにしています(第16回)。
 全船員の休息に関する規定についても、船長らの規定と同様、条約が〝労使合意による例外を認めること〟により、それまでの休息時間確保の規定(2分割までとし、そのどちらかが6時間以上を含む必要)が大幅に緩和されたのが実態です。
 その手法として船員法第72条の既規定の特例(一定期間の平均が1日8時間以内であれば良く、1日14時間までに収まれば可)を設けて、当局が船舶指定をすることで、今まで通り履行するとしております(第51回)。
 以上のことは、条約に沿った〝緩和努力〟とはいえ、すでに主たる便宜置籍国も批准して、発効が目前であったので、日本船社の経営に支障が生じないようにしながら、海上労働条約の批准を急いだことにもなると言えそうです。
 当局の説明では「海事三法改正の国会提出が終わっていること」さらに「官労使の勉強会がすでに何回か行われていたこと」等が主な理由になっていることが読み取れそうです(第35回2012(平成24)年8月)。

◯ その他船員を守る条項の 国内法化
 その他の条項に関しては、国内法化に際して、これまでのやり方が妨げられないようにする配慮のほうが強くでている感じです。
 例えば、船員法施行規則一部改正による船員の職業紹介機関の適格性保証に関しては、『日本の場合、職安法の許可を得た機関であるので問題はない』とし、『それ以外の場合は、船舶所有者に確認していただくことで、その方法は関係団体と詰めて省令化していく』として、フィリピンなど外国の職業紹介機関の適格性は、日本の船主団体などに頼る可能性に言及しています(第35回)。
 他方、水産業界委員の要望『中学校を出て漁船に乗っている15歳の船員に対する配慮』にたいして、公益委員から『海上労働条約のいう16歳以上の点は譲れない基本線である』と指摘されました。
  ところが当局は、『漁業労働条約が批准されることを見越すとき、そこには16歳以上となっていないことから、研修などの形でやれるのではないか、しかし、海上労働条約の16歳以上の規定はその(公益委員が言う)通りであり、漁業労働条約は別途検討されるので、法制上問題はないから、その線に沿って今後、具体的対応をしていきたい』と言って、業界に支障が及ばない(15歳で可能な)ようにしたいという含みある発言をしています。
 もう一つはSOLAS条約改正という外圧の結果、船員労働安全衛生規則の改正(2007(平成19)年10月)がなされて、船員の安全が強化される例があります。
 それはすでに石油業界が船主の義務として実施しているもので、船員(職業)が石油燃料油貨物の化学物質の安全データを把握するために、有害性記述の要約や成分など16項目記載の書類(MSDS)を船内に備え置きするということです。これは船員を守るための公的規制が、民間(石油業界)対応後に行われている事例になります(第7回2009(平成21)年6月、第8回同年7月)。

⑤ 船員部会での政策基調
◯ 当局による特殊性把握

 当局の船員労働特殊性の内容は定かではありませんが、その一端は船員部会での当局関係者の発言内容から推察できそうです。
(規制緩和優先の漠然とした特殊性)
  例えば、船舶料理士資格取得に必要な1年間の乗船期間を3ケ月間に短縮するときの説明では、『船内労働環境、食材の長期保存、限定した食材を使った栄養ある献立、貴重な水の節約、狭い船内での調理に関しては3ケ月から1ケ月間でクリアーさせる』としています。
 救命艇手資格や救命いかだのみの限定救命艇手資格要件の規制緩和による制度改正の説明にも類似したものを感じます(第24回)。
 こういった説明は、船員(職業)の特殊性はなんとなく認めるもののそれは漠然としており、規制緩和政策による乗船期間の短縮と外国人船員も含めてその資格を取りやすいようにすることの二点が優先され、しかもそれは日本の成長戦略に呼応しているというわけです。
 第25回部会では、それがよりはっきりします。
 『陸の料理師資格との関連で船舶料理士資格の取得を取りやすくするために内航業界の希望を入れて、規制緩和したこと』つまり、3ケ月または1ケ月間の船上経験で慣海性が満たされるということになって、陸資格の汎用性を優先させる感じになっており、2005(平成17)年度に清水海員学校の司厨科が廃止された理由を想起させます。そのうえで、地方自治体(北海道厚岸)の水産学校海洋資源科の調理師コースの存在を紹介しています。
 結局、特殊性を持つ船舶料理士資格への真正面からの取り組みよりも、既存の陸上での料理師資格に少しの乗船期間をプラスすることで、揺れ動く船上での料理づくり等は勤まるという考え方が当局を支配しているといえそうです。
(海そのものと船員職業の同レベル化)
 第2回の船員部会(2008(平成20)年11月)では、船員職業に関してのアンケート調査結果が紹介され、当局の説明内容は、海という自然そのものとは別次元の船員(職業)という人間を同レベルにみたうえ、限りなく海陸一体化視点になっていることが指摘できます。
 さらに「船員職業に関するイメージはマイナスである」ことが読み取れるにもかかわらず、それに立ち向かうべき船員政策には言及していない点にも注目したいところです。
 これは、船員(職業)の特殊性把握が体系的になされず、独自の船員政策を打ち出せる状況にはなっておらず、条約や他省庁の外・内圧への対処作業が主な流れになってしまっているといえそうです。
 このアンケートは、国民の海に関する意識状態を把握し今後の海事思想の普及に向けた糸口を探ることが目的で、2008(平成20)年に全国の15歳から69歳までの男女1000名(男:502名、女:498名)を対象に、インターネットによる意識調査を(公財)日本海事センターに依頼して実施したもので、その集計結果とその解説(部会での当局説明の要約)は次のようになります。

*海が好きと答えた人の割合は男女とも7割以上で、国民は概ね海に親しみを持っている。しかし、若年層(10代)については、他の年代に比べ海が好きと答えた人の割合が低く、嫌いと答えた人の割合が高く、若年層の海離れが進んできていると言える。
*海のイメージの著名人としては、全体では加山雄三が抜きん出ているが、10代ではサザンオールスターズがトップ。今後、新たなカリスマ的著名人が生まれることが望まれる。
*海の日や海の月間行事への関心は比較的高いものの、実際に参加している人の割合は低い。今後の広報活動次第では、さらなる盛り上げは可能である。
*日本にとっての海運の重要性は基本的に認識されているものの、日本の貿易量に占める船舶輸送の割合など海運にかかわる知識は不足し、特にその傾向は若年層に顕著。今後は、海運にかかわる情報提供を教育現場も含めて継続的・重層的に行って、国民への知識の浸透を図ることが重要。
*海の職業の代表格である船員については、プラスのイメージよりもマイナスのイメージの方が大きい。そのイメージアップなど関心を高める取り組みが必要。
  船員になり手がないので、学校数も減ってきた。しかし、国交省は一昨年くらいから、船員の確保・育成の方向へ舵を切ったところ。予算と制度は今年くらいから追いついたため具体的対策がとれるようになった。
文科省の商船系大学・高専へは、国交省が強い指揮官にはなれないが、国交省関連の学校へはどしどしやり、イメージをプラスに持っていくためにいろいろ試していきたい。

 このように、アンケート内容の組み立ては、海という自然が好きかどうかから始まり、最後に船員という職業への見方に及んでいくかたちをとっています。集計結果の説明では、海そのものは好きで関心もあるが、職業として船員を見たとき、それはマイナスイメージになっています。つまり若い人ほど船員(職業)とは距離感があり、海運の重要性認識は弱いということを指摘しています。
 このアンケートは、船員(職業)と海そのものを同じように括っていること、加山雄三を通して海や船員(職業)を考えたりしています。
 しかし、海そのものの評価と職業としての船員評価の違い、そして、歌手・俳優等と海との関り、彼らの海運業や船員(職業)との関りは各視点が全く異なり、集計結果の解説も異なってくることには留意しなければなりません。
海と人との関連で船員(職業)政策に関わるアンケートを作成し、その結果を解説する場合は、海という自然や歌謡曲・映画のマドロス観と職業としての船員とが同レベルの見方にならないように配慮することが重要です。つまり人間論や職業論から、船員(職業)が持つ長所と短所の両面へ接近しなければならないということです。
(アクションプラン)
 国交省当局が、紹介・説明した上述のアンケート結果への対応としてのアクションプランは、「海事産業人材育成推進会議の5本柱:海のブランド化、体験型イベント、海の仕事.comでの情報提供、教育関係者との連携・副読本づくり・海のまちづくり、総理大臣の表彰」等々になりそうです(2017(平成19)年度から検討が始まると同時に具体的活動の予算措置が行われている)。
さらに、文科省の小学校から大学については、海に関わる授業展開が必要であることが指摘され、船員部会で、各委員が自らの〝“海に関わる授業展開の諸事例〟を紹介するなどして、そのような時の船員部会は大変な盛り上がりを見せます(第2回)。
 こうしたアクションプランや部会での盛り上がりには疑問を感じます。その理由は、日本人船員の確保育成策のためには、船員(職業)の特殊性(不利益性)を少なくする船員政策をいかに展開するかということを柱に据えて、その具体策を提示するための議論が特に重要だからです。
(次号へ続く)