伊藤 敏(元外航船員)

 年を明けてからも、京丹後市や金沢付近の砂浜などへの遭難船と遺体の漂着が後を絶たない。海上保安庁の発表では、2017年はこうした漂着船が104隻にのぼるという。
 小さく簡素な構造で、しかも古い木造船での航行や操業は極めて厳しく、結果として多くが遭難したものと思われる。漁船員であることを疑う余地はそもそもない。
 ところが先ず「武装難民の可能性」にふれたのが、麻生副総理である。 11月23日の宇都官での講演で「朝鮮半島からの大量の難民が押し寄せてくる可能性がある。武装難民かもしれない。警察で対応するのか、自衛隊の防衛出動か。射殺するのか」と述べた。
 11月29日の講演で「工作員の可能性」に言及したのが菅官房長官である。12月9日には「軍所有の船が漂着している」との認識を示し、その上で「警察、自衛隊、海上保安庁が連携しながら、工作員とかいろんな可能性があるから徹底した取り締まりを行っている」と強調した。
 北海道松前町の無人島に接岸した木造船の乗組員が、島の避難小屋にあつた発電機を盗んだとして逮捕されたことについては、「上陸していろんな物を持ち去ろうとしている。まさに窃盗罪にあたる。その意図を含めて徹底して聞き取り調査をしている」と述べた。
 発電機の盗難について朝鮮総聯が弁償することで代理人が松前漁協へ赴いたが、漁協側は「筋を通す、窃盗罪は譲れない」として交渉は決裂した。
 荒波に翻弄されながら、舵の故障した船内で、死を覚悟しながら幾夜となく過ごした船員の心情を想像したことがあるだろうか。
 彼らにとつて粗末な避難小屋とはいえ天国であったであろう。暖かい部屋で暖をとり、貪るように眠ったであろう。日覚めて小屋に残されていたメシを食い、酒を飲んだであろう。そのことを誰が責められるだろうか。
 乗組員には病人もいて一刻も早く家族の元へ帰りたいと思ったであろう。そのためには時化で傷んだ船体や舵の修理が欠かせなかったであろう。私がカン船長の立場なら同じ事をしたと思う。
 松前小島で漂流船を保安庁のヘリが上空から発見したのは11月28日。だが、起訴内容では発電機などの窃盗があったのは11 月10日〜28日と伝えられる。(12月29日、毎日新聞)。早い時期から海保や警察は遭難救助をせずに監視をして漁船員たちが「何かをしでかす」のを待っていた疑いが強い。
 われわれ船員は、UNCLOS条約(1982年の海洋法に関する国連条約)により、他の遭難を知った場合は「遭難者のもとへ全速力で向かう」ことが求められている。同時に船員法14条で「船長は他船または航空機の遭難を知ったときは、人命の救助に必要な手段を尽くさなければならない」とされ、これには罰則がつく。
 更に「海上における捜索及び救助に関する国際条約」(SAR条約)が適用される。この条約の勧告に基づき、沿岸国同士でSAR協定を結び海難救助体制を確立しなければならない。
 これらの国際法の基本になるのはブラッセル条約であり、そこには「たとえ敵国人であっても、海上で生命の危険にさらされている全ての者を救う義務を負う」とされる。沿岸国へ漂着した漁民を放置し、又は領海外へ押し戻す事は、明確に国際法違反である。
 遺体が漂着した場合、2年前の青森下北・牛滝漁港では手厚く火葬され寺院が引き取り、その後に朝鮮側に引き取られていったという。だが今は「漁民か武装難民か分からず言葉も通じない人と海上や海岸で出くわすのが怖い」と沿岸住民の反応も様変わりした。
 「国難」が煽り立てられ、素朴なヒューマニズムもこの国から消えようとしている。
(元外航船員)