高知・ビキニ国家賠償訴訟、元マグロ漁船員証言

 ビキニ水爆実験では第5福竜丸以外にも約1000隻の日本の漁船・商船が被災した。
 厚生省は、「第五福竜丸以外の漁船の実態、数字はつかんでいない」との国会答弁を続けていたが、大量の資料が外務省・厚労省に保管してあることが判明した。
 資料隠ぺい。虚偽答弁により治療や補償の機会を奪われた元船員と遺族計45人が、2016年5月に高知地裁へ、約6500万円の賠償を求めて「国家賠償訴訟」を提起(本誌19号)。昨年12月14日、元マグロ漁船員ら5名と、32年間国家の壁に立ち向かい調査を続けてきた大平洋核被災支援センターの山下正寿さんが法廷で証言。
 5名は、「ひめ丸」の増本和馬さん8‐歳、「第七大丸」の故大黒藤兵衛さんの娘、下本節子さん66歳、「第十二光栄丸」の谷脇寿和さん田歳、「第十一高知丸」の故武政昭善さんの妻・弘子さん78歳、「第二幸成丸」の桑野浩さん85歳。

 元船員らは初めての裁判にも関わらず、苦しみ先立つた仲間の無念の思いを力に堂々と思いのたけを語り、傍聴者は胸が打たれたとのこと。また3人の裁判官は終始真剣なまなざしで聞き入る一方、国の代理人弁護士は原告らの証言に対してまともな質問さえすることができなかったという。
 山下さんは証言後の記者会見で、『あまりにも壁が厚く、今日みたいな日を迎えるとは思わなかった。一つ一つ資料を積み上げて、風穴が開いたのではないか。どんなに権力が強くても、事実には勝てない』と語った。
 裁判は2月16日に結審し、7月20日に判決が出されることになった。国側は「故意の隠ぺいはしていない。」と主張している。
(編集部)

(毎日新聞12月15日版より抜粋)
ビキニ訴訟
「悲しみ言い表せぬ」
6原告水爆被害への思い吐露

 原告の増本和馬さん( 81)=高知市=はこの日、「『被ばく』を隠したことが多くの悲劇を生んだことを国は知るべきだ。亡くなり、現在も苦しむ仲間たちのことを伝えたい」との思いを胸に証言台に立ち、被害に向き合わない国の姿勢を問うた。
 日本統治下の朝鮮・釜山で生まれた増本さんは、敗戦後に父の故郷・土佐市宇佐町に帰った。昭和南海地震の被害もあり、家計を助けようと17歳でマグロ漁船「ひめ丸」に乗り遠洋に出た。高波の中、昼夜の区別なく必死に働いた。
 増本さんの記憶では、54年春に船はビキニ環礁近くで操業。増本さんは機関員で船内におり、水爆実験には気付かなかった。船が東京・築地に入った際、自衣の職員が待ち構えていた。機械を体に当てられ、「ガー」という音が鳴り針が振れた。後になってそれがガイガーカウンター(放射線測定器)であることを知り、不信を抱いたが年月の中で過去のことになつていた。
 それから60年。新聞報道で国賠訴訟の動きを知り、記憶がよみがえった。
 「自分の力が役立つなら」と訴訟の原告となり、被害の証言を集め始め、ひめ丸に乗り組んでいた仲間を探し歩く日々が始まった。室戸市で存命の元船長をようやく見つけた時には、その言葉に衝撃を受けた。「あの時、光を見た。甲板で作業していた者ならみんな見たはずだ」。水爆実験の光だと確信した。
 弁論には毎回出廷し、原告席に座ってきた増木さんは、国側の主張を聞くたびに怒りと無念の思いが募ってきた。
 1番目に立つた証言台では、自身が集めた自血病などで亡くなつた仲間や遺族の声、今も病に苦しむ仲間の証言を赤裸々に語り「なぜ訴訟に参加したか」の問いにははつきりと「国が犯した犯罪をはつきりしたい」と述べた。
 裁判後、記者会見で増本さんは「仲間たちを代弁する気持ちだった」と改めて語り、「矛盾がまかり通る国であってはならない」と力強く訴えた。