雨宮洋司(富山商船高専名誉教授)

Ⅳ 海陸職業を同一視する諸相と抗いの視点
1.同一視の諸相と疑問点
(1) 同一視する人たち
(2) 商船学校の混迷
(3) 船員の夢を断ち切る指導
(4) 手荒な女子への門戸開放
(以上前号まで)

(5)中学・高校の職業指導と船員(職業) 
① 船員職業指導の難しさ

 船員(職業)を陸上にある多種類の職業の一つぐらいにしか見ようとしない風潮は、中学や高校での職業選択の指導内容にも、大きな影響を及ぼしていることに触れておきましょう。
 たとえば、商船高専の商船学科PRで中学校に出向いて説明しているとき、進路指導の先生から発せられる言葉に〝船員に向いている人はどのような人間でしょうか〟〝私たちの周りにある陸上の職業に近いものがあれば教えてください〟があります。
 特に、こういった質問は一人息子(娘)を持つ親からの意を受けてなされることが多く、以前は、船員出身地域が存在していたので、そのような対応はそれほど必要ではありませんでした。しかし現在、船員地域コミュニティーは消滅して、日本全国バラバラになりましたので、出身校での職業指導内容は大変重要になります。
 進路指導担当の先生も、教え子が船員を希望しているとはいえ、船員コース関係の学校への入学が即船員になるわけではなく、長い修業年限を終えてようやく卒業しても、経済動向や外国人船員採用との関連で、船会社などに入って船員(職業)になれるかどうかをその教員が言える道理はないわけ
です。まして、以前、商船船員教育機関に入った生徒が路頭に迷ったことを知っている先生の場合、なおさら慎重になります。たとえ希望通り船員になっても、すぐ辞めて陸上へ転職してしまう人も出てきます。しかしながら、その職業が子どもの適性に合致しているかどうかを知りたい一心で、中学校の担当教員から、そのような質問が発せられます。
 富山県の中学校の場合は、〝14歳の挑戦〟と称して、一定期間、近隣の会社に生徒を預けて、その職業を体験させて、自らの職業について考えさせる指導がなされていますが、そこには船員(職業)体験の選択枝はありません。他方、大学進学を目指す生徒が多い高校の場合は、近くの大学の先生、医者、公務員、警察官、福祉士などに来てもらって、進路指導と職業指導を兼ねたミーテイングを開くことが多いようです。
 より積極的な高校の場合、キャリア教育としてきめ細かな指導もやっているようです。ただ、いずれの学校でも、船員(職業)紹介の場合は、生徒全体を対象にすることは稀有であり、大半は、商船系大学・高専等の先生が学校訪問をした際、希望の生徒が面会できるようにすることが精いっぱいの感じです。
 一般に、学校での職業指導の傾向は、数多くある種類の職業の一つを選ぶ力を養うために、保護者の職場や学校取引先さらに卒業生が就職している場所での体験やインターンシップ、職場訪問、会社見学などが特別授業の形で行われることが多く、自分に合った職業選択ができるきっかけづくりの指導が強化されています。船員(職業)の選択もその線上に位置づけられることになるのですが、通常の授業枠では、船員(職業)の職場体験などは不可能です。
 数は少ないですが、船員(職業)を知る機会としては、せいぜい数時間の乗船体験イベントが近隣で行われるとき、それに参加させることがあります。それも1日がかりになるので、クラスの生徒全員を対象とした通常の授業のなかで行うわけにはいかず、せいぜい授業のない日を当てることになります(夏休みなどが考えられますが、それも、部活や対外試合、さらに補習などとの関係でなかなか参加できない日が多いため日程の設定には大変苦労しているようです)。
 このように、学校における年間授業計画としての職業指導の枠から、船員職業の指導は最初からはみだしてしまう傾向にあり、親が船員の場合や知り合いに船員がいる人以外は、その職業も陸での一般の職業と同様に考えてしまう傾向が強まっていると言えます。こういう現実は、単に、船員(職業)を知る機会の乏しさにとどまらず、日本国民が、海人の基礎的知識を学んで海洋市民として育まれていくことの障碍にも通じることになります。
 そこで、一般の学校で行われる、海そのものを知る授業の組み立ては、もっぱら「海岸での漂流物探し」「海の生物」「海の環境」「海と森の関係」等々が授業単元のテーマになり、そのほうが先生にとっても主体的に取り組みやすいのです。それを、B&G財団などの支援で実施している学校も存在しており、近辺にある商船系や水産系学校が校内練習船や小舟艇を提供して実施する場合もあります。
 ただし、通常45分から1時間程度の中学校の授業時間内では乗船体験は不可能で、意欲ある先生が何回かの授業をまとめて1日全部を使って乗船体験を入れた特別体験授業(総合的学習の時間に対応させる)を組み立てても、当日、荒天で船が出られないときは、その準備がまったく無駄になってしまうので、先生はそういった取り組みに躊躇する傾向があります。
 さらに、海事関係機関がPRで行う無料乗船体験イベントを授業に組み入れて行う場合も、別の切実な問題が浮上することがあります。それは生徒の船酔いへの危惧であって、クラスの子どもや親からは拒否反応が出てくる場合があり、それを押し切って実施した時、生徒が船酔いをして担当者の説明を聞くどころではなかった場合、その子には苦しさだけが思い出に残ることになります。
 そのほかに、安全面や保険付与との関係で、学校責任者や保護者と十分に詰める必要が出てくるわけで、ともすると、そういった海に関わる面倒なプランづくりは出来るだけ避けて、希望者だけに、親の責任で自主参加させる傾向になってしまいます。
 つまり、船員(職業)を身近なものにするための体験授業の組み立ては、海の知識をもった者が、きめ細かな計画でやらない限り、現状の学校教育の中では至難であり、効果がないどころか、悪印象を与えるだけになる恐れもでてきます。さらなる理由をあげてみると、船員職業にはさまざまな特殊性があることから、本来はそれをふまえた職業指導のノウハウを入れなければならないのに、陸上への職業指導並の計画では無理が生じるのです。こうしたなか、船員教育機関を選択してくる生徒が、一定数存在している現実は驚くべきことであり、そのような人たちをいかに大切に扱うかということこそが肝要になります。

② 進路指導の理念と現実のギャップ
 次に、中学・高校における進路・職業指導の理念と現実の経済社会の中で、親子が考える進路・職業選択のギャップ問題についても触れておきましょう。子ども自身が選びたいと考える同種の職業に就職できる力を育むということよりも、自分に合った職業の選択力を育むことが学校教育の指導では強化されてきております。なぜかというと、大企業や公務員志向等、親の願いに子どもが振り回されて進学・就職先が固定化されないようにすること、真に子どもの自由意思で自分に合う学校・職業選択ができるように教育指導を強化すること等の建前からきているからです。戦前の国家有為の人材育成という全体指導ではないので、子どもの個性を尊重した学校教育の展開のためには至極当然のことになります。
 しかし、そのことは、現実とのギャップに当事者は、苦しむことになります。本人が将来就きたい職業の選択が、確実に実現するだろうという幻想を生徒に抱かせてしまいがちになるからです。しかし、就職活動の際、希望通りの職業のところに採用されるかどうかは疑問で、採用者(企業)側の強さを改めて思い知り、多くの生徒・学生は、結果的に、意に沿わない職業選択になりがちになります。したがって、適性に基づく職業選択になるという自己の希望が反映されるのは、進学する学校の種類に関係してきます。
 普通高校や一般大学の場合、具体的な職業選択は先延ばしとなる傾向になりますが、船員教育機関の場合、これまでは、入学と卒業後の進路の一体感があり、かなり希望がかなうところでした。しかし、最近では確実な職業選択に結びついている学校とは言えなくなっているきらいがあります。
 さらに、良くない事態としては、その学校の就職や進学状況が芳しくない状態がしばらく続くと〝選択と集中の行政改革〟で、当該校の縮小や統廃合が行われ、早くも負け組に入ってしまう恐れが出てくるので、そのような学校は嫌われる傾向にあります。
 要するに、子どもの適性に基づく指導云々と言いながら、実際は市場動向が優先になり、かつ企業の採用数は短期の市場動向(景気の良し悪し)に左右されるため、たとえ長期間の座学と航海訓練を受けた卒業生であっても、彼らの意に沿わないところへの職業に選択の幅を広げていかざるを得なくなる傾向があります。ただし、陸の企業を選択した海技資格持ちの卒業生たちが、再び海に向かうことは、ほとんどないことには留意しておくべきです。
 したがって、特殊性を持つ船員(職業)に敢えて挑戦しようとする学生・生徒を突き放して路頭に迷わせる事態だけは最小限にする工夫と知恵を海事関係者は持たなければなりません。次の2で述べる〝海陸同一視策に抗う〟と〝四面環海の日本・日本人船員の新役割〟という視点は、特に重要であることを強調しておきます。

2 海陸同一視策に抗う
 いままで述べてきた〝同一視の諸相〟を打破するために、商船教育の再構築に必要な点を(1)(2)で、市場至上主義の船員政策批判を(3)で、アジアの一員としての政策期待を(4)で、四面環海の意義と日本人船員(職業)の新役割を(5)で述べたく思います。

(1) 商船船員教育補完策の必要性
 旧商船大学と商船高専の一般工学系学科への接近策は、商船系学生自体の一般学生化を促していくことを意味するために、それ以前の卒業生に比べて、大変なギャップが生じることは当然です。つまり、商船学科(船員コース)を選択した学生も、陸にある多種類の職業選択の一つとしてその学科を選ぶことになり、多数派となった工業系の学生達と同様の考え方にならざるを得ません。
 それと並行して、当該校の教員や事務職員もそれまでの日本人船員の育成に燃えていた伝統的仕事意識(学寮での奉仕的指導を含む)が、一般学校で行われている普通の仕事内容に戻っていったことになります。そのうえ、カッターや校内練習船実習さらには国交省の海技教育機構航海訓練部へ委託する練習船実習は工学系学生の育成に比べて手間がかかり、高コストになることが強調されるようになります。
 その結果、それに見合う料金(使用料)徴収を船員コース選択の学生達から行う考え方、あるいはカネと手間のかかる海洋実習などは縮減してしまうという考え方が浮上してくるわけです。それは、船員(職業)に誘導する特別の政策的思いやり、つまり、船員(職業)特殊性への配慮どころか、海・船に向かう学生やそれを支援してきた教職員たちの心を痛めつけ、萎えさせる方向をたどることになります。このようなことが背景となって、船員(職業)を陸上の多種類の職業の一つぐらいにしか考えない傾向が教育現場でも強まってきていることは確かです。
 こうした政策的流れの中で、それまで、単科の旧商船大学・高専ということで、教職員による伝統的な船員(職業)育成に対応したきめ細かな人づくりノウハウに代わる対策が、船社や国の機関などで用意される必要があるのです。
 しかし、その準備が皆無のまま、選択と集中政策がなされ、若者と関係教職員の海・船離れが大きくなっていったことは確かでしょう。これまで当該教職員が、主として学寮やクラブ活動の中で実施してきた教育指導の内容に劣らない制度の代替案を準備しておく必要があったことを関係者は知っておくべきです。
 四面環海の日本であるのに、こうした配慮や代替策も講じられないままでは、海・船に向かおうとする若者に、ますます個人的犠牲を強いることになり、海・船離れを加速させていくことになるでしょう。国交省の海上技術学校や短期大学校が文科省の商船系大学・高専の代替をしていくことを主張する人もいますが、次に述べるように、それには、かなりの無理があります。

(2) 商船教育の再出発点
 1980年代以降行われてきた、旧商船大学・高専などへの一連の行政改革を猛省して、商船学の形成と充実の考え方にいったん戻るべきだと思います。
 そのうえで、商船学の文系学科(国際流通学科)や商船学修士・博士号の海事関係者による尊重、船舶運航技術学を船員(職業)の特殊性分析と融合させたうえでの特色ある学術成果をアジア及び世界の海事分野へ日本から発信していくことが重要です。
 日本海側では、商船学のエッセンスと地域色を取り入れた学科を設置した旧富山商船高専(現富山高専射水キャンパス)が、日本海域の再度の雪解けと環日本海地域発展のために、一定の役割を果たさなければならないでしょう。
 そのためには、富山工業高専との合併後、国際ビジネス学科へと改名した学科ですが、当初設定した海と船を念頭に置いたカリキュラムに再設定すること、そのための教員の確保・維持はぜひ必要なことです。
 戦後の旧商船大学・高校(高専)の諸成果をないがしろにするような政策展開がなされていくとき、一時的には、国交省管轄の海技教育機構の諸学校と航海訓練部は、行政目的に沿う効果を発揮するかもしれませんが、旧商船大学・高専の他大学・高専との合併過程で、伝統的船員教育指導を行う教職員が少数化するなかで、国交省の船員教育機関だけが充実していくことには限界があります。
 その理由は、受験競争の中での国交省関係の諸学校の位置づけに絡むもので、それを学校教育法上の1条校と同じレベルで、中学・高校の生徒やその親たちが考えていくことはありえないし、国交省管轄の船員教育機関への教員供給についても、現商船系大学・高専の出身者に頼らざるをえないでしょう。
さらに、船舶運航技術学の諸科目と一般教養科目の充実を内容とするカリキュラム編成や教育指導理念の探求についても、文科省所属の商船系大学・高専における船員教育を踏まえた研究成果に依存することにならざるを得ません。
 国交省の海上技術学校卒業生が文科省の1条校へ編入するために、学歴認定を受けることに至った現行制度の経緯を考えてみても、両者は相互依存関係にあります。ただし、政策的に国交省所属の船員教育機関の方が第二海軍的学校に位置づけられ、日本の若者の一部を取り込んでいくことの可能性はありますが、そのような学校は中立性が維持できないわけで、長期的には、受験生や親から背を向けられる可能性は大きいと言えるでしょう。
 戦後70年の積み重ねを考えたとき、第二海軍的位置づけは、国交省の機関といえども絶対に避けなければならないことであり、そうならないためにも必要なことは、海の職業に就く人の特殊性をしっかりと押さえ、それを軽減していくような日本独自の海運・船員政策と商船教育政策を展開することこそが喫緊の課題であると思います。商船系の大学・高専にまだ残っている船員教育に理解を示す教職員が在職しているうちに、そうした政策転換へ踏み出す必要があるのです。

(3) 市場任せの船員政策批判
 船員教育機関における伝統的指導体制の破壊が、代替措置のないまま、じわじわとすすんでいったことを随所で述べてきました。その過程で、私たちが耳にしたことは次のような発言です。

*最近の商船系大学・高専の卒業生は以前に比べてレベルが下がった。
*上級の海技資格(一級など)に合格した学生は採用試験で有利になる。
*外国人船員と同じ条件でも頑張る学生を採用したい。
*コストの安い外国人船員への切り替えを進めたい。
*船社がフィリピンに商船大学を設立した。
*優秀な一般大学卒業生を採用して船舶職員を育成することにした。

 等々で、日本の商船系大学・高専の学生や卒業生、関係教職員の気持ちを逆なですることばかりです。
 このような考え方の施策展開によって、海運企業内では物事が順調に進んで、それなりの成果も上がっているように見えるのかもしれません。
しかしながら、船員(職業)の特殊性を尊重しない政策展開とそれに支援された船社経営の活動が長期にわたるとき、海に囲まれている日本はどのようになっていくのでしょうか。はたして、アジアの一員としての日本は、船員(職業)や海事関連分野で、主導的役割を果たしていけるのでしょうか。
 〝米国との関係を強化して日本の軍事力強化とその行使の容認を右手に握り、米国の息がかかった便宜置籍船とフィリッピン船員利用の安定性を左手に持っていれば、何とかなるだろう〟と楽観視する人もいますが、果たしてそうでしょうか? それは、強大な米国の力を相変わらず過信し続ける政策展開のように感じられます。その結末が、アジア人どうしの不信を増長させていくことにつながりかねないことを心配し、その悪影響が何倍にもなってはね返ってくることを危惧します。
 世界の経済社会と軍事面で強大な存在であった米国(パックス・アメリカーナ時代)の地盤沈下は、70年代始めのドルショック(金とドルの交換停止)で明白になり、それ以降、緩やかな下降線をたどり、ついに保護主義的言動の強いトランプが大統領になるに及んで世界の警察官的立場からの撤退が政治的にも具体化してきているのです。アジアにおいてもフィリピンのドウテルト大統領の誕生があり、アジアの一員としての日本こそが、海の部門で共生のために独自の政策展開へ向けた歩みを開始する時期だと思います。
 ある人は〝将来を見据えての日本人外航船員数が明示されて、船社が日本人船員の採用をやりやすいように、トン数標準税制の制定という世界標準化を行ったので、状況は良い方向へ向かっている〟というようなことを学生たちに説くことがあります。
 しかし、実際には、日本籍船数と日本人船員数は、関係者が決めた(平成20年度から日本籍船を5年間で2倍、日本人船員を10年間で1・5倍にすること)ようには進んでいないことは明らかで、またまた若者の期待を裏切り、社会的責任の放棄になりそうです。
 市場至上主義者は、そのことも、〝市場がそうなのだからやむを得ない〟と言うかもしれません。しかし、 〝経済活動は生身の人間のために存在する〟という当たり前の経済学の原理原則へ戻るべきではないでしょうか。とくに、船員(職業)への道は一方通行になる(陸から海への転職はほとんどない)ため、船員教育機関で学ぶ学生や船員(職業)在職者を市場任せにしない特別の配慮が必要不可欠です。
 さらに〝一定数の優秀な外航日本人船員の確保は、縮小された現商船系大学・高専の船員コース卒業生からの厳選と一般大学からの選抜で行い、内航船員の確保は国交省の海技教育機構でやれば良い〟という主張をする人がいます。
 この考えは、商船船員教育がこれまで果たしてきた広範な内容に目をつぶり、多くの学生(非エリート層)の中でこそ、真の優秀者(エリート)が育つこと、その結果もたらされる社会生活と仕事の日本の社会的安定と同様に、船舶内の平和も保たれてきたという戦後日本における教育の成果を無視するものです。
 また、現行の内航船員の確保育成策は、当面の内航船員問題対処の短期的行政手法に近く、長期的視点による学校教育の基本原則としての〝可能性を最大限に引き出し得るような礎を育むこと〟の原則には遠く、問題点が多いと言わざるを得ません。

(4)重要なアジアにおける歴史的視点
 無人化船をにらんだトータル自動化技術開発とその導入をしないまま、海陸の職業を一体化しようとする考え方とその政策展開は、やがて行き詰ることになっていくと思います。
 ここでは、日本人船員(職業)が果たすべき〝共生〟(次の(5)を参照)という新役割を念頭において、アジアの中で日本・日本人こそが持たなければならない歴史的視点から、海陸職業の同一視を批判しておきたいと思います。
 漁民を含む海人についての社会的地位の低さと陸(農業)を主体とした政策遂行の歴史は中国や朝鮮半島を中心にアジア地域ではごく一般的なことかもしれません。そのことに関して忘れられない一つの思い出があります。鄧小平による中国での改革開放路線の開始時期(いまだ人民帽・人民服が一般的であった頃)、北京で行われた研究者集会で、船員不足問題を、現地の学者が問題提起したことがあります。
 その際、私が〝船員を得難い理由を教えてほしい〟といった質問をした時、会場を埋めていた多数の中国人から〝そんなことは当たり前のことだ〟といったブーイングに近い言葉が発せられたことがあり、それが、彼らの答えであったようです。想像の域を出ませんが、いまほど経済発展がない当時の中国でも、それは船員職業の社会的位置づけの低さを示していたのではないかと思っています。その後、中国大連海事大学と交流するなかでも、船員(職業)の魅力づくりに苦労している点を色々と知ることが出来ました。
 大日本帝国はアジアの盟主になろうとして大東亜共栄圏の建設に失敗した教訓から、平和憲法に基づいて、アジア及び世界に向けて日本的平和政策の展開を宣言して、曲がりなりにも今日まで進めてきたと思います。しかし、近年、歴史見直し発言の勢いが増して、その政策転換が始まっているように思います。
 そして、中国の経済発展に伴って、米中の駆け引きが、金融システム面でも火花を散らしています。たとえば、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)制度づくりへの参加を表明したASEAN、G7とEUの有力国、隣国の韓国も参加を表明するなど、いよいよ第二次大戦後のIMF・世界銀行やアジア開発銀行の米主導の世界金融システムと中国主導のAIIBとに多くの国々が二股をかけ始めたことは印象的です。
 このような情況下で、アジアの一員である日本が、日米軍事同盟を強化し、経済面ではもはや発効が不可能になったTPPを推進して、中国が打ち出す案に拒否を貫くことで良い結果がもたらされるのでしょうか。
 むしろ、日本は、例えば海事分野では、船員(職業)の人権尊重による地位向上策を打ち出しながら、アジアにおける真の平和的海のインフラづくり(海の環境や資源に配慮した漁場づくりや海の道づくり)へつなげていくような政治手腕とその姿勢をアジア諸国に寄り添って、長期的視野でその力を発揮してもらいたいものです。
 それは、バンドン会議の精神を尊重することでありますが、船員(職業)の特殊性に配慮した船員の人権保護政策の積極的主張になり、中国との対峙になる可能性もあります。
 武力の提示ではなく、文字通りの平和的モデルの提示を日本は行いたいものです。海事分野でそれを主張したい根拠の一つは、日本船社と荷主が便宜置籍船とフィリピン船員をこれまでと同様に、長く使い続けられるという保証に一抹の不安が出てくるように思えてならないからです。とはいえ、海上自衛官の商船船員への転化を考えたり、日本の商船船員を予備自衛官補に位置付けたり、商船船員教育機関を第二海軍的位置づけに誘うことを主張したり、等といった考え方では、商船船員獲得の不安解消には逆効果となるでしょう。
 アジアにおける日本の立場を考えたとき、戦後70年間の商船教育研究の歴史と丸腰の中での日本商船船員による現場での貴重なこれまでの歩みの蓄積を全否定することになり、最大の愚策と言えます。
    (次号に続く)