元海員組合執行部  藤丸 徹

 本書は、今まで7回にわたって本誌に連載してきたものと未掲載論文の完結版である。全文の掲載を終えてから更なる推敲を経て書籍として発表することが多いのだが、著者は「はじめに」で「諸般の事情を考慮して早めに書籍の刊行に踏み切ることにしました」とある。
 著者のいう「諸般の事情」とは、「羅針盤」発刊の趣旨で「海と船員を取り巻く社会そのものが崩壊の危機に向かっている」こと、「こうしたなかで海員組合は、現場船員から遠ざかり、海上労働運動の原点を見失っている」と指摘していることと通底するのではないかと推測する。
 本書は、第Ⅰ部「商船船員へのこだわり」、第Ⅱ部「船員(職業)の特殊性とシーマンシップ」、第Ⅲ部「船員(職業)特殊性の軽減策を探る」、第Ⅳ部「新船員政策のために」で構成されていて、全編を通じて「船員職業の特殊性分析視点からの海運・船員政策批判」を展開している。
 各部の論旨は一貫して、戦後新制された商船大学で船員問題研究の創始となった小門和之助教授やその後継者である笹木弘教授の学説、さらには主に海上労働科学研究所で独自の論説を展開した篠原陽一氏などの研究を演繹し、「先進国型の新しい成熟した社会・経済を目指す時代に相応した魅力あるもの、つまり海へ向かう若者が夢を持てるような時代にしていかなければならない」との思いで貫かれている。
 その理由・根拠を「四面環海の日本」としていて明快である。

激変が続いてきた船員社会と船員教育機関
 著者も含めかつて船員を志した者の動機はおしなべて、自然の猛威と闘い、家族・社会と離れて暮らすハンディはあっても国際社会で活躍することを夢見る青少年は多数いた。
 海運が戦後日本の復興と経済成長のカギを握る基幹産業であると位置付けられ官民挙げて注目され、船員教育にも一定の助成と期待が込められ、外航船員だけでも5万人余を超えていた時代があった。しかし高度経済成長を経て経済先進国に到達した頃から、海運とりわけ外航海運社会は激変した。技術的には専用船化、大型化、高馬力機関の出現、クイックディスパッチが進行し、コンテナ船の出現などによって船員の労働環境は緻密・高度化を余儀なくされていった。
 同時に国際競争力論が跋扈する中で、競争力確保の名目で定員の削減、賃金の抑制を始めとして期間雇用、外国人船員との混乗、そして「近代化実験」という名の前近代化、そして究極の船員削減となったキンコタイ(緊急雇用対策)へと続き、今日では外航日本人船員は日本商船隊運航定員の5%に満たない。
 著者の長く携わった商船教育機関においても、海運界の激変に振り回され学科の改変に次ぐ改変、無定見な入学定員の増減、就職困難な状況が続く中で志願者の激減、志願者の確保に忙殺しながらやっと入学を迎えた学生たちへの進路指導の変更など、教員時代を述懐する著者は「当時の若者に申し訳ない気持ちでいっぱいです」と述べる。

船員の特殊性を軽減した新しい船員政策の確立に向けて
 船員(職業)の特殊性として著者は、「海の自然環境、長期の連続航海、大量貨物・多数の旅客輸送」の三つが同時並行的に人間(船員)に影響し続け、総じて「人間性の疎外現象に置かれている」と指摘している。過酷な「人間性の疎外現象」から逃れるためには、個人的には陸上に転職するしかないが、「四面環海の日本」では一定数の日本人船員の確保は不可欠であることから、船員の特殊性の軽減策は国民的課題であり、よって海運政策・船員政策の柱でなければならないと断ずる。
 そして特殊性の不利益性軽減の実現のためにも船員を代表する海員組合の存在と活躍に期待するが、現実は前述した「現場船員から遠ざかり、海上労働運動の原点を見失っている」ことや組織内の訴訟や混乱、海運界での発信力の低下の現実などを挙げて危惧している。
 著者は、新しい船員政策の確立に向けて始めに行うことは「過去に失敗した船員政策の最悪事例から学ぶこと」とし、一例として官公労使学が一体となって進めた船員制度近代化政策の厳しい総括を求めている。航海と機関の仕事を合体化する近代化実験は、それまでに培われてきた船員労働の特殊性の分析・到達点と軽減策を反故にし、船員の労働現場に未曽有の犠牲と混乱を与えただけでなく、教育現場にも深刻な影響を与えた。
 船体、人命、貨物の安全が至上命題の船舶運航にとって「実験」の失敗は命にかかわることから失敗は許されず、船員の強いられた多大な協力と奮闘で何とか推移した。しかし船員制度近代化政策は、関係者の反省も一片の謝罪もなく終了したと指摘し、ここでも犠牲を被った船員を代表する海員組合こそが総括して、今後の船員政策の対案の一翼にすべきとしている。
 新船員政策の要点として、第1に「支援体制の充実と外内航一体化」を挙げ、第2に「船員(職業)の特殊性の軽減策」を詳細に展開している。内容については省略することとし、筆者から著者へのお礼のメールの一部を引用することでご了承願いたい。

◯ 著者へのお礼のメール

「著作への感想で、『先般、教え子に会ったので聞いたところ、どうやらその内容は彼らの意には沿わないものであったらしいといった感じで受け取りました』とのことですが、私の受け止め方は少し違います。
 先生が繰り返して述べている船員像と現実社会で進行している船員社会はあまりにもかい離しすぎていることからくる『叶わぬ理想論』と受け止めたのではないでしょうか。キンコタイの後遺症か近代化実験の後遺症か、国際競争力論にさらされた、ここ30年来の政府と船社の船員への処遇と冷たい扱いの結果、地位と待遇は地に落ち、現役船員はとにかく自信とアイデンティティーを喪失しています。
 船長職で神戸支店長クラスの駐在員と話していても、本社勤務の部長クラスと話していてもそれを感じます。国際競争力論の呪縛から脱出しきっていない海運社会に於いて、現実のマリン出身者は『スマートで、目先が利いて几帳面、負けじ魂これぞ船乗り』であるべき自律・自主決定を入社以来封殺されて育った船員が大半です。」

 生半可な感想を送信したものと恥じ入るが、いずれにしても船員の労働問題に特化した著作の刊行は久しい。本著は船員を志す若者だけなく、現役船員、船員を代表して発言する海員組合執行部員、船社の幹部さらには国交省役人や海事関係団体に勤める多くの関係者に読んでもらい、今後の船員政策の参考にしてもらいたい。

◯著者略歴: 東京水産大学漁業学科中退の後、東京商船大学航海学科卒業。川崎汽船航海士、航海訓練所教官、富山商船高専・富山大学教授、同大学附属小学校校長など。専門は海運経済学、港湾論。風詠社発行(☎06-6136-8657)、A5版・319頁、税込2160円。アマゾン、楽天ブックス等のネット通販でお求め可能(送料無料)。