(産別組合の強さと危うさ)
元国際マリン・トランスポート船長 高橋 二朗

 羅針盤24、25号掲載の、「海風気風」インタビュー・堀内靖裕氏「緊雇対の頃」を読んである種の感慨があった。
 私の職場委員時代に一番印象に残ることは、32年前の夏に組合汽船部内に急きょ招集された緊急雇用対策委員会(以下、雇対委という)での出来事である。
 そこで産別組合の強さと危うさの双方を経験し実感した。
 雇対委が招集されることになった1986年の円ドル相場は、前年250円台から160円台に急激な円高となり、外航海運業界は全社が赤字で、その対策に各船社は右往左往していた印象がある。
 1986年7月中旬に急遽招集された雇対委は、8月中旬までのひと月の間に6回連続して開催される異常な日程で中執への答申がまとめられた。中執で汽船局長の故田尾憲一氏が議長であった。

組合中執からの諮問内容
 中執から出された雇対委への諮問は次の三点であるが、雇用打開策の諮問ではなく、中執方針を追認させられる場となった。  
諮問内容を要約すると、①指名解雇はしないが、雇用縮小に取り組む、②中小労務協会所属の会社を縮小再編する、③雇用縮小により退職する組合員のために雇用安定機構をつくる、というもので、  
背景として以下の説明があった。
★船主は外航船員2万4千人の4割・1万人が余剰だと言っている。★不況の原因は船舶過剰と急激な円高で船員に責任はないが、現状のままでは組合員の雇用を守れない。また、この危機は労使間の自助努力では守れない。
★公的機関である海造審で、組合
が雇用縮小の姿勢を明確にすることで政策要求を引き出す必要がある。しかし、政策要求実現のために予算措置が講じられる見込みは分からない。

雇対委での職場委員の発言要旨
 雇対委では、第1回目から外航大手N社の職場委員が諮問内容に猛烈に反対して会議は紛糾した。
N社職場委員:『田尾局長は雇用縮小の方針を言っているが、我が社もその方針に含まれて対象になるのか?』
田尾局長:『横断の産別組合の方針を検討しているのであって、当然貴社も対象である』
N社職場委員:『当社は頑張って大手船社で唯一今年も配当しているが、その会社が何で雇用縮小の対象になるのか?』
田尾局長:『海造審で産別組合としての姿勢を明確にすることから貴社も当然組合方針の対象になる』
N社職場委員:『他社はともかく、何で我が社も雇用縮小の組合方針に従うことになるのか納得できない』と、真正面から反対意見を述べた。
 主として中小労の職場委員も次のように反論した。
中小労職場委員:『雇用縮小の組合方針に反対だ。苦しい会社に対しては、既に各社個別交渉で対応しているではないか』
田尾局長:『各社対応ではダメだ、政策を引き出すために自らも血を流す姿勢でなければ政策など出てこない』
中小労職場委員:『組合員が手足を切って血を流したら、救急車が来るのか?』(手足を切ることを雇用縮小、救急車を海造審の政策になぞらえた)
田尾局長:『救急車が来るかどうか、それは分からない』
中小労職場委員:『救急車が来るかどうか分からない状態で手足を切るなどと馬鹿な話は有りえない』
田尾局長:『それは切ってみなければ分からないではないか』
中小労職場委員:『たとえやむを得ず手足を切らざるを得ない場合でも、救急車が直ぐ傍に来たことを確認した後からだ』
 雇対委は、幾つかの付帯条件を付けたが諮問内容を大筋で認める答申を出した。組合は雇用縮小の方針(緊雇対)を決定し、実施した。結局、組合員は自ら手足を切ったが、救急車は来なかった。
 
臨手交渉と緊雇対(産別の脆さ)
◯外航大手N社の臨手交渉

 ところが、7月の1回目と2回目の雇対委で田尾局長に猛烈に反論していたN社の職場委員が、8月からは一切発言しなくなった。 
 私を含め、多くの職場委員は、N社の職場委員が一切の発言を止めた背景に何があったのか想像したが、分からなかった。
 その頃、年間臨手交渉になると組合東京支部には各船からの激励FAⅩが張り出され、壁一杯になるのが通例であった。
 7月末にN社が昨年実績を大きく下回る率で年間臨手に妥結した時、その船社の3隻から妥結額に不満というFAⅩが貼りだされた。東京支部の執行部員らは、N社からこのようFAⅩがきたことは過去になかったと驚いていた。
 翌年(1987年)正月にその外航大手N社の社長が雇用縮小を明言し、その職場委員は横浜で会社方針に猛烈に反対する予備員集会を開催したと聞いている。
 これは私の勝手な推測だが、N社職場委員は、臨手を抑える代わりに自社の船員は雇用縮小しないという担当役員との暗黙の了解があったので、雇対委での発言を一切止めたのではないか。臨手は一回だが雇用は一生の問題なので、私も部分的にはその考えを理解できる。しかしN社も結局緊雇対を実施することになり、職場委員は裏切られた。
 考えてみると、このN社こそが横断の産別組合の方針を利用して、自社船員の雇用縮小を狙ったのではと思われる。
これは対応を誤った産別組合の持つ危うさの一面であろう。このようにして外航船員が海上から去って行った。

中小労の臨手交渉(産別の強さ)
(一)各社の職場委員の怒り

 私の所属した中小労協の集団交渉では、業界の好不況に関係なく生活給としての年間臨手であり組合は例年と同率程度を要求した。
 その集団交渉の最中に中小船社の社長が自社内で『なぜ船員にもボーナスを支給するのか?』、『わが社の船員全員を一旦解雇して期間雇用で再雇用すればわが社もなんとかなる』と言ったと職場委員の間で話題になった。 
 社長の給料はダウンせず、高い賃料の東京に本社を置いて日本人の陸上社員を雇用しておきながら、船主側交渉委員の社長達は、『日本人船員のコストはフィリピン人船員と比較して8倍高い。これが会社経営が苦しい原因だ』 と臨手ゼロ回答を繰り返す。
社長の暴言に我々職場委員は怒り心頭となった。

(二)交渉経過とストライキ
 6月中旬に集団交渉が開始されたが船主側はゼロ回答を続けた。中執が雇用縮小方針を諮問した7月に入り、やっと船主側は22割を回答したが、交渉は決裂した。
 その後、進展はなく、組合はスト権を確立して船主側に争議行為を通知。船主側が船員地方労働委員会に斡旋申請を行ったが、斡旋不調に終わった。直ぐ中小労の職場委員は自社に戻って、斡旋不調という結果から24時間後に自動的にストライキが実施されることを労務担当役員や社長に知らせた。
 臨手交渉の場で組合側は、『ストを実施する時は慎重にやる』と言ってきたので、実際にストが実施される段になると会社側も混乱すると思ったからであった。
 ところが、直ぐに中小労協の集団交渉が再開され、22割の低額回答を頑強に主張していた船主側は全ての交渉委員を更迭し、全員新メンバーで交渉に臨み、一気に37割回答を出して妥結した。
 中小労の職場委員は、この妥結額は想像をはるかに超えていたので喜ぶより先にびっくりした。
 船主側が交渉委員の全員を替えた理由は、ストライキを実施されるよりも、応分の金額で早く妥結しろという親会社から中小労船社へ強い要請があったのだと思う。
 年間臨手をゼロまたは少額に抑えるという目標は中小労各社とその親会社の船主側の総論である。
しかし、スト実施で荷主が被害を受けた場合、荷主に釈明に行き、頭を下げるのはその船を運航する中小労船社の社長ではなく、荷主と直接契約している親会社の役員という構図がある。
自社の船が日本に寄港中で実際にストが実施される中小労船社の親会社と、当面日本に寄港する船がない会社の親会社とでは意見は異なり、各論の段階でそれぞれの親会社の意見が完全に割れたのだろう。
 実際にストが実施されるまさに寸前の事態で、急遽臨手が妥結した経験から産別組合の強さを知った。    
(2018、10、15)