ー裁判の経過と組合員の思い1ー

竹中正陽

はじめに
 海員組合大会を控え、組織内の裁判は依然として続いている。
 一つは北山元中執解雇に関する一連の裁判。今一つは井出本前組合長(当時顧問)等に対する損害賠償請求訴訟である。
 前者は最高裁決定で収拾に向かうことを期待したが、「腐ったリンゴ」発言もあり、問題は更にこじれているように見える。
 以下私の知りえた事実を紹介し、組合の将来を案じる皆さんの参考に供したい。また腐ったリンゴ発言で突然名前を出された「当事者」として、意見も述べたいと思う。
 多くの皆さんが事実経過を知り早期解決の世論が高まることによって、長期間続いている重苦しい雰囲気に終止符が打たれ、組合が一日も早く本来の活動にまい進するよう願うからである。


「腐ったリンゴ」発言
 昨年の大会で大内副組合長は突然次のように切り出した。
 『この際、彼のとってきた行動、はっきり一例二例を挙げる。当時、竹中議員は緊雇対で会社から首を切られる。緊雇対でやめない会を作り辛酸をなめ尽くされた。
 そのとき太平洋汽船担当の北山氏は、当時の管理部長、常務、専務となった伊藤氏とグルになって竹中氏をやめさせようとした。このことで発言が嘘だと名誉棄損で訴えるなら受けて立つ。
 彼が関東地方支部長、私は副支部長。そのとき何をしたか。(中略)責任を私に押しつけようと汚いやり方をする。今まで我慢をして言わなかった。もっと汚いことをやった。リンゴが腐った、あるいは腐りかけから周りを腐らすガスが出る。彼はそういう人間。組合員の利益に反する背信行為だ』(海員1月号参照)
 私は突然発せられた言葉に一瞬耳を疑った。内容そのものが初耳の上、仮に事実とすれば、組合が首切りの共犯だったことになる。副支部長も「背信行為」を知りながら、10数年の間黙っていたとは。
『何ということだ。会社だけでなく組合とも闘っていたとは。だから無実の罪が解雇撤回まで7年半もかかったのか。』と苦しかった年月が脳裏に浮かんだ。
 大内氏は代議員の質問に狼狽し興奮したのか、それとも予定の発言だったのか、私には分からない。
はっきりしていることは、当時大会で毎年のように代議員から、『不当解雇と認定しながら、なぜ組合は解雇撤回に取り組まないのか?』と追及されたことを、18年後の今になって、しかも大会の場で公表した事実である。
 当時、船中労委による解雇撤回命令を受け、会社と交渉するよう関東支部に依頼した時が、北山支部長、大内副支部長であった。
 大内氏は最低限の道義として、北山氏がいつ、どのように会社とグルになったのか、その事実をいつ知ったのか、私に説明する責任があると思う。妻子もろとも長期間、翻弄され続けたのだから。

竹中解雇の経緯
 私は「機関部作業手当・時間外手当の不正取得」「会社の誹謗中傷・名誉毀損」を理由に、91年5月に懲戒解雇された。長期自宅待機の後、組合が乗船を要求して交渉中に出された処分だった。
 ありもしない罪状を突然突きつけられ狼狽したが、同乗した機関長や乗組員の証言で、私の無実と会社の不当労働行為が証明され、解雇撤回命令が出された。
 その後東京地裁で会社が命令を受け入れ和解。99年1月に復帰することができた。(以来乗船を続け、今年同社を定年退職した)
 捏造された理由であっても、いったん船を離れた船員は手元に反論する資料が何もない。会社側弁護士の手練手管を前に、復帰するまで7年半を要したのだった。
 解雇の源は87年の緊急雇用対策にあった。急激な円高に船主協会は余剰船員1万人等の大合理化案を発表。外航労使は割増退職金、退職後の職域開発などの緊急雇用対策を中央で協定し、実施の細目は各社協定することになった。
 しかし会社は組合との協定を嫌い、職域開発チームを作り水面下で肩たたきを始める。3百人以上いた船員はまたたく間に減少、月に20人以上の退職者も出た。
 なかなか重い腰を上げない組合に、有志で「船員やめない会」を作って情報を回覧。会社の攻撃から身を守る術を伝え、弱気になりがちな人を励まして行った。
 合わせて肩たたきを止めさせるよう組合に苦情を申し立てた。
 数ヶ月後、「今後は労働協約の主旨に反する行為のないよう、特定船員に不利益を及ぼさないよう約束する」謝罪文を会社は提出、強烈な肩たたきは終了した
 その後、数隻の乗船と陸上出向を終えた私を待っていたのは、「会社に迷惑をかけたことを反省、謝罪しなければ乗船させない」という報復措置。その後長期の自宅待機、解雇と続くことになる。
 緊雇対当時、東京支部で担当班長だったのが北山氏。また、自宅待機の時は三宅氏、解雇時の班長は藤澤現組合長であった。
(「海員」91年以降の大会特集号、95年2月、6月号、支援会発行「海上復帰10年の航跡」参照)

6年前の人事問題
 04年の夏から大会にかけて、出所不明の「怪文書」が大量に出回り、船主や海事関係団体にも郵送された。背景には役員選挙に向けた組合長の「組閣人事」があった。
 小堀・北山両中執と市池沿海部長による役員選挙立候補表明が「役員体制を巡る内紛の発端」(日本海事新聞9月22日号)と報道されたが、以前から中執内部に次期役員選挙を巡る確執のあったことが組合長声明、小堀中執の意見書に明らかであった。
 当初怪文書の内容は、組合長声明や「報復人事」(小堀氏の水産局長更迭、市池部長の依命休職等)に対する批判が主であった。
 また、自由立候補を規定する組合規約と、組合長が事前に組閣を発表する「責任内閣制」の矛盾など、組織上の問題点を指摘するものもあった。
 しかしその後内容はエスカレート。多数の役員が実名で罵倒され、女性関係をスキャンダルにする卑劣なものも出現した。名指しでスパイ呼ばわりされる職場委員や執行部員もいた。
 中執委は「最近の怪文書に関する見解と対応について」声明を出すが、直後の全評で中執委の人事案が否決される異例の事態となった。混乱のうちに大会を迎え、少数差で井出本組合長の三選、藤澤副組合長の就任が決まった。
 大会では役員選挙について、『各候補者の決意表明、抱負を配布して欲しい』、『選挙後の報復人事は相ならん』(海員05年1月号)など代議員の発言もあったが、残念ながら今日の事態に至っている。
以上が前史の概要である。
 過去にも大量の怪文書が出回ったことがある。それは92日スト後の76年、海員民主化懇話会が発足した頃のことだ。
 三役中執を含め多数の人が左翼=アカ執行部と名指しされ、「海員組合を乗っ取る共産勢力」という大キャンペーンが行われた。一般書店にある暴露雑誌にも掲載されたほど組織的なもので、背後に船主側の影が色濃く感じられた。
 しかし当時の人事争いは、曲りなりにも組合の路線を巡る論争が底流にあり、怪文書にも下品なスキャンダルはなかったと思う。
(「海上労働運動50年の航跡」、船舶部員協会「風濤の記録」参照)

二つの裁判の経過
①北山裁判
 08年4月、組合は北山元中執を解雇、組合住宅の明渡しを求めた。
 労働審判で解雇無効の判断が出され、組合が異議申立てを行ったため本訴に移行した。
 本訴では従業員地位確認と組合住宅明渡し請求訴訟が併合して審理され、昨年3月東京地裁は解雇無効、従業員地位を認め、組合に対して月々50数万円の支払いを命じる判決を出した。また組合の住宅明渡し請求も却下された。
 昨年10月の東京高裁判決は慰謝料等の支払いも組合に課し、今年3月の最高裁決定で確定した。
 最高裁決定の後、組合は同氏を復帰させたものの先任事務職員に降格、自宅待機とする人事を行ったが、同氏はこれに対し執行部地位の確認・自宅待機の無効等を求めて提訴。組合は8月より総務部付執行部員・自宅待機とした。
 解雇裁判は確定したものの、08年大会の入場拒否・役員立候補無効措置に対する損害請求、「腐ったリンゴ」発言に対する損害請求、最高裁後の自宅待機等の人事に対する裁判が今も係属中である。
②名誉毀損裁判
 08年6月、組合と執行部員等17名の連名で井出本前組合長(当時は組合顧問)、北山氏、川島元組織対策室員、柳田元総務部長の4名に対して、名誉毀損による損害賠償請求が出された。
 「組織と資産を目当てとするカルト集団(特定の宗教団体)に、組合が乗っ取られようとしている」旨の文章を川島氏が作成、井出本氏はそれを複数人にメール送信、柳田氏は組合OB会で配布。それらの行為により、組合、およびカルト集団の一員かのように虚偽の記載をされた個々人の名誉が毀損されたというもの。
 北山氏に対しては、国交大臣、船中労委員等に送付した文章(解雇に際する労基法違反、労働委員会の委員不適格等を記載)の中で、虚偽の記載をしたというもの。
 その後組合側が北山氏に対する提訴を取下げ、残る3名に対する東京地裁の判決が今年5月に出された。判決は3名による名誉毀損を認定、損害賠償金の支払いを命じた。同裁判は現在東京高裁に係属中である。
 以上が2つの裁判の概要である。

組合員の思い
 一昨年の大会で大内副組合長は『組合の本来業務が山のようにあり、できるならこんな問題に精力は注ぎたくない』と述懐した。
 組合員はなおさらである。長期間北山氏に何の仕事もさせないまま、住宅を貸与し、月々の給料を払い続けている上、裁判にかかる費用と労力も大変である。
 「こんな事に組合費と精力を注いで欲しくない。雇用・労働条件の向上という組合本来の活動に集中して欲しい」というのが大方の組合員の率直な気持ちである。
 最高裁で負けたにもかかわらず、意地を張った結果、解決時の支払いが2億円近くに上った本四海峡バスはわずか5年前のことだ。
 この際、最高裁決定を尊重して北山氏を復職させ、話し合いのテーブルを模索することが、労働組合のあるべき姿であろう。
 また事実関係が組合員に殆ど知らされていない問題がある。
 組織として提訴している以上、理由を明らかにして組合員の了解を得るのが民主主義の基本だが、機関紙・誌や活動報告書にも記載されていない。大会で代議員の質問に答える形で、『怪文書が北山作と判明したので解雇した』旨答弁があっただけで、怪文書の内容も未だに知らされていない。
 名誉毀損裁判に至っては、『17人の個人的な問題。個人情報の観点から答える立場にない』 『プライベートな問題』と答えるのみであった。(海員09年1月号参照)
 頭越しに裁判合戦がやられ、組合員は是非の判断をしようがないのが実情である。組合員に事実関係を周知し、論議する場を設けるのが先決ではないだろうか。
 最終的な判断は組合員にゆだねるのが組合民主主義の原点である。組織内で解決せず、裁判などの外部に依存する傾向は労働組合にとって決して好ましいものではない。

組合規約は産別の英知
 海員組合の規約は分裂の危機を乗り越え、産別組織を守ってきた先輩方の英知の結晶である。
しかし今回、異様なことに規約に基づく処分は行われなかった。
 組合員は規約の下、平等に扱われなければならず、役員といえども同様である。
 仮に北山氏や井出本氏が、背信行為を働き、また組合や組合員の名誉を著しく傷つけたとすれば、中執委は即刻給与停止の措置を取り、統制委員会が査問を開始しなければならなかったはずである。
 給与を払いつつ、他方で提訴する矛盾もさることながら、規約の軽視は組合自治、自己規律の喪失に繋がるからである。
 他方、処分される側にも、組合員として平等の権利が保障されている点に規約の特徴がある。
 かつてリコール裁判(67年、組合は、組合幹部リコール運動の責任者・東海運堀次機関長を組合員権停止処分。処分無効裁判の高裁で組合が敗訴し和解)で、海員組合の規約は実に良くできていると高裁の裁判官が感心したという。
 それは現場組合員にも統制違反を告発する権利が与えられていること。また、統制委員会は、「組合のどの機関からも独立して」任務を遂行する権限を有すること。
 更に重要なのは、統制委員会での弁明に加え、不服の場合は全評、なお不服の場合は大会へ抗告し、代議員の前で弁明し判断を仰ぐ権利も保障されていることである。
 そうすることで、審査の公平性と合わせ、透明性(=組合員への周知・公開)も確保される構造になっている。また、大衆的な論議により懲罰効果が生じ、再発防止にも繋がる。
 このような手順を踏んだ上で解雇、提訴することが規約の精神であり、内部規律がおろそかにされれば組合員の心は離反し、団結が損なわれる事態を招きかねない。最終決定は外部(裁判所)ではなく、組合員が決めるのである。


おわりに
 6年前の時点で、双方の意見の違いや組織上の問題点が組合員に明らかにされ、大衆的に論議されていれば、また怪文書等に対し、その都度規約に沿った機関(組合員代表の参加=組合民主主義)で措置されていれば、事態はこじれることなく、組合自治の範囲で解決されていたに違いない。
重要なのは主人公である組合員の参加である。
 組合本来の姿を取り戻すために、組合員諸氏が積極的に発言しリードして欲しい。組合員が自由に声をあげない限り、根本的な解決はないと思うからである。
 以上私見を述べたが、読者の意見をお寄せ下されば幸いである。 

 
(2010年9月)