語り継ぐ海上労働運動史13(後編)

商船三井元船長 赤塚浩一さん

1962年神戸商船大卒、商船三井船長、
日本船主協会欧州事務局長を経て、
現在日本船長協会副会長、
国際船長協会連盟第1副会長

(前号より続く)
英国の船員後継者対策
 英国の船員教育は、最初に採用ありきで、船社が訓練生として採用して陸上座学と乗船研修の繰り返しで一人前に仕上げています。
 「トン数標準税制」の導入とともに、1998年より船員(部員も含む)を養成することを目的にSMARTと呼ばれる船員養成支援システムがスタートしました。制度は何度か改訂されていますが、最初の国家資格を取得するまでの訓練費用の36%を海運業界がカバーしているようです。
 船員数は2014年現在で2万3千人弱となっていて、内訳は職員が1万910人、海技資格のない職員が1650人、部員8420人、そして訓練生が1940人。日本人船員より圧倒的に多いですが、それでも近い将来には不足するとされています。
 一般に英国の教育システムは開放的で、一度社会に出てからも目的、資格に応じた再教育・訓練制度が整っていて、多くの人がそうしたチャレンジを経てスキルアップしています。
 海事分野においても例外ではなく、一定の乗船履歴を経て、新たに経済学、経営学、法学その他を学んで資格を取得し、そうした後で海事クラスターの様々な分野で活躍する人が多い。日本のように偏差値一辺倒で閉鎖的にコンクリートされたルートを歩むのではありません。
 船員出身者で船社経営者とか船舶管理業、その他関連企業のトップや中央、地方の行政官になっている人も多い。要は単線ではなく複線であり、多様な選択肢をチョイスすることが可能なシステムとなっています。


ILOの海事統合条約にかかわって
 2006年2月23日に採択された海上労働条約(MLCー2006)には、最初から最後まで関わりました。
 1996年のILO(国際労働機関)海事総会の翌年、船主グループは今後船員労働問題にどのように取り組むのかを議論し、それまでのILOの68本の海事条約と勧告を統合して一本化することを労働側、政府側に提案しました。それが合意されたことから、海上労働条約策定の作業が始まりました。それまでの条約、勧告では、重複したり時代に合わなかったり、明確でないものもありました。
 MLCー2006は、SOLAS(海上における人命の安全のための国際条約)、STCW(船員の訓練及び資格証明並びに当直の基準に関する国際条約)、MARPOL(船舶による汚染の防止のための国際条約)といったIMOの3つの重要な条約と並ぶ国際海事条約で、「第4の柱」といわれます。
 中身は、従来の条約部分に相当する強制規定と、勧告部分に相当する任意規定があり、批准国の基本的な義務と権利や原則を定める条文本文(article)と規則(regulation)、そして規則の実施に関する内容を含む規範(code)の3部構成になっています。
 規範のA部が強制的な基準(standard)で、B部が任意の指針(guideline)になっています。
 船舶で働く船員のための最低限の要件を定めるもので、具体的には雇用条件、労働・休息時間、居住設備、レクリエーション設備、食料・食事の提供、健康保護、医療、厚生、社会保障に関する規定を含みます。  
 商業活動に従事するあらゆる外航船に適用され、旗国による自国籍船の管轄権及び監督義務の明記、船上及び陸上における船員の苦情申立て手続きの整備、船主及び船長による船舶の監督義務の明記、寄港国におけるポートステートコントロールの強化、条約未批准国の船舶が批准国の船舶より有利な取扱いを受けないことを求める規定などを通じ、全世界レベルで条約内容を実施していく仕組みとなっています。
 また外国港間を運航する5百総トン以上の船舶は、「海上労働証書(Maritime Labour Certificate)」と「海上労働遵守措置認定書(Declaration of MaritimeLabour Compliance)」を備え付けるようになっています。
 認定書は、各国の国内法規その他条約の履行に必要な船主の計画を定めるもので、船長は、この明記された船主の計画を実行し、条約遵守の記録を維持する責任があります。同時に、旗国はこの船主の計画を点検し、実行されていることを確認した上で証書を出すこととなっています。
MLCー2006の策定に関わっている頃、海員組合の組合長だった中西さん、井出本さん達と知りあい、打ち合わせなどを重ねたりしましたね。

 ロンドンの船主協会欧州事務局

ITFとISFの対立点  MLC‐2006の光と影
 船員を代表するITF(国際運輸労連)と船主を代表するISF(国際海運連盟)とは、いくつかの点で意見の違いが生じたのはやむをえませんが、決定的な対立には至らなかったと思います。
 やはり対立点が顕著だったのは、最低賃金の保障に関する部分と船長の労働時間の問題の2点に収斂しました。ITFは同一労働同一賃金を主張し、ISFは各国の経済や社会環境に応じた賃金水準を主張する。最終的には、発展途上国や船員供給国の船員の雇用を脅かすことを避けるため、現実的で実効性のある内容で合意しました。
 船長の労働時間を規制の対象とするか否かの問題では、ISF側は、船長は使用者の代表なので労働時間の規制から外すことを主張。一方ITF側は、欧州海域を航行する船舶では多くの船長が当直に入っていることを理由に、規制の対象とすることを主張しました。
 会議で採決まですることは少ないのですが、最終的に政府側とISF側が、「船長の労働時間と休息時間については、フレキシブルに運用出来ると条文から読める」との事務局解釈を受け入れることでITFに妥協しました。
 MLCー2006の批准・発効に伴って改正された、わが国の2013年船員法では、従来より休息時間の分割付与が拡大されたことにより一部後退した感は否定しませんが、労働協約その他の順守でカバーできると思います。
 船員法などの改正作業はまさしく労働組合の出番で、国内法規を国際条約に合わせて向上させることはあっても、改悪されるようなことはあってはならないと思います。
 MLCー2006は、全般的にいって、劣悪な発展途上国海運の船員のための最低限の要件を定めて規制・コントロールの対象としたもので、世界各地の寄港国がワールドワイドで監督することでイコールフッティング(同一競争条件)が整備されたと受け止めています。船員側が「船員の権利の章典」と呼んでいるのも、むべなるかなです。


ILO児童労働専門委員会
 ILOでは、児童労働の条約勧告適用専門家委員会にも日本側代表の一員として参画しました。タイやドミニカ、アフリカの一部の国では15歳未満の児童労働や虐待、売春、略奪などが行われていることが告発され、総会の審議にも参加しました。
 事実報告と審議が進むにつれて内容がより具体的になると、本当に憤りを感じました。今の世の中にこんなことがまかり通っているとは。
 しかし当該国政府の言い分は、戦前のわが国の丁稚奉公以下のような使い方をしている状況を使用者側の見解そのままに「教育、訓練、養育のため」などと言い訳がましいことに終始していました。
 6~7歳ころに中国で見た「人民裁判」のトラウマか、人が集まって声を荒げて団結して事を決することが好きでなかったし、仕事しごとで労働組合とは縁がなかったのですが、あの時ばかりは使用者サイドに腹の底から怒りを覚えましたね。

STCW条約の改定とホワイトリストの作成
 1978年に採択され84年4月から発効したSTCW条約は、1967年に英仏海峡で発生したタンカー「トリーキャニオン号」の重大事故を契機とした、船員に関する訓練、資格及び当直基準に関する国際条約です。
 しかしこの条約の定める資格は、言ってみればある種の「目録」で強制力、実効性が担保されていませんでした。そこで、海難事故の甚大化や環境に及ぼす影響、さらには海難の原因はヒューマンエラーが多いとの指摘や高まり受けて、1995年には包括的な見直しが行われました。
 1995年に改正されたSTCW条約は、船員の最低限の能力の確保と教育要件の達成を義務づけるとともに、条約加盟国政府は、自国の船員の教育機関を監督し、能力証明を行い資格証明書の発給を行うことにしました。また条約に基づく基準をクリアしているとIMOが認めた国は、いわゆるホワイトリストに掲載されることになりました。
 私はホワイトリストに掲載するかどうかを審査する5人の有識者の一人になり、最初の申請国は中国で、二番目がフィリピン、三番目がインドネシアでした。
 商船系学校の教育制度の期間や教育水準、海技資格に関わる試験制度や試験内容、免許制度の全体などを詳細に書き込んだ報告書は、すべて英文で記され、積み上げると肩くらいまで高さのある膨大な書類です。
 他の4人の有識者は米国、豪州、ノルウェーそしてシンガポールの学者や海事関係者でした。ホワイトリストに載るか否かが船舶の安全航行の担保とされるだけに、有識者グループのメンバーはみな真剣で、また初めての仕事なだけに連日ハードな作業が続きました。今となっては良い思い出です。

左は赤塚さん、右端はドイツ船主協会会長

今後の船員教育について思うこと
 最近の船、とりわけ専用船は巨大化し機関出力は大型化の一途を辿っています。また内外の海事ルールも多様で、数も増えて複雑化し、メジャールールも重なってきています。環境規制もますます厳しくなって船員に対応を求めるノウハウは高度化するばかりです。
 そうした現実に対処するには、船に関わる専門教育・訓練以前に、パソコンのスキル、語学、法律、条約、労務管理や経営学や経済学、その他一般教養に4年間くらい力をいれて学ばせ、専門教育はその後続けて2年間はやる必要があるのではないでしょうか。
 例えば薬剤師だって昔は4年で資格が取得できたが、今では6年の教育が必要になっています。飛行機乗りだって歯医者だって、他の業種にも例は幾つもあります。教員も大学院卒を求められている昨今です。21世紀の船員養成を4年やそこらで終わらすには無理があるのではないでしょうか。
そういう意味で今、大手各社が取り組んでいる一般大学卒業生を採用して海技教育を施す「新三級制度」が理に適っているように思います。
 英国の船員教育システムを簡単に紹介しましたが、日本にも開放型の海と陸とを交互に行き来できる教育システムがあっても良いように思っています。海上勤務を重ねながら、自分の適性にあったジャンルを把握し求めていくことが可能となり、結果して選択の範囲を広めることで定着性にも繋がるのではないでしょうか。

船員に対する理不尽な扱いに対して
 まずは船長や船員の犯罪者扱いに対する対応です。
 2002年11月13日、スペインのガルシア地方沖を航行中の重油輸送タンカー、「プレステージ号」が悪天候のため船体が破損し、19日に沈没しました。
 ギリシャ人のアポストロス・マンゴウラス船長は、スペイン当局に救助と避難のために入港許可を要請しましたが拒否されました。殆どの船員を退避させ、船長と機関長と一航士の3人が何とか本船を沖合に出すべく努力しましが、本船は二つに折れ重油の6万3千トンが流出してしまいました。
 船長は逮捕され、3カ月の収監、保釈金3百万ユーロ(日本金で3億9千万円)で釈放されました。10年後に、船長は環境破壊を引き起こした犯罪容疑と不服従により起訴されました。
 遭難し、重油流出による環境破壊を防止すべく、船内に残って格闘・努力し、そのうえで援助を要請、船長としての義務を最大限履行しました。しかし港湾当局が入港も援助も断ったにも関わらずこの不当な取り扱いです。他の2人も同様の容疑で告訴されました。
 似たような船員に対する理不尽なケースは他にも多数あります。(日本船長協会発行「船長」、平成28年3月付第133号3頁参照)
 2012年1月イタリアのジリオ島沖で座礁・横転したクルーズ客船「コスタ・コンコルディア号」の船長が、乗客を残したまま避難したケースや、2014年4月に韓国南西部の海域で発生した大型カーフェリー「セウォル号」の横転沈没の際、船長のいち早い脱船などは論外ですが、それでも船長に対して「死刑だ、無期懲役だ」という前に適切に取り調べを行い法規に則って告訴したかどうか疑問です。
 狂騒するメディアや世論に向けた迎合、見せしめがあったのではないでしょうか。
 ひとたび残念にも海難や事故が発生した場合、船長や船員は海事法規や行政法に適切に照らしてジャッジされ、法の下に罰則が加えられるならやむを得ませんが、感情的に世論に迎合するような懲罰を加えるようでは、船員はたまったものではありません。
 人命救助と海難事故の原因を徹底的に究明し、教訓を得ることが犠牲者、死者への最善の䬻(はなむけ)だと思います。

新たな国際ルールの策定も
 船長の義務、権利、権限の確立に向けた時代に即した国際ルールの策定も必要です。
 ひとたび密航者が乗り込んで来たらどうなるか。飛行機の場合、ICAO(国際民間航空機関、国際連合経済社会理事会の専門機関の一つ)の東京条約で扱いを明記していますが、船には類似のルールはありません。難民問題がクローズアップしており、これから現実的に予想される事態です。
 かなり以前、密航者を洋上に放棄するような無残な事件があり、新たな法整備も必要です。
 その他、洋上で船長が海難や重大アクシデント、密航者の発見や犯罪の発生などで支援を求めているときに、陸上から適切、瞬時に対応できる体制にあるかどうか。そうした事が可能な体制の構築も海事社会に求められています。
 また今後ますます多国籍の船員と乗ることが余儀なくされ、船長の管理技術の向上や法律知識のアップなど、取り組まなければならない課題は一杯あります。

現在の外航海運界について思うこと
 やはり今現在の外航日本人船員2千人台では、海事クラスターの構築、維持は不可能と思います。せめて数千人規模を維持しなければ、早晩枯渇してしまうでしょう。
 然らばこれといった具体的な対策は持ち合わせていませんが、かつてのような国際競争力の有無を船員賃金の格差に求める時代ではなくなってきているような気がします。
 為替レートがより以上に円高に振れると、更に賃金格差は圧縮されます。これからは、国際マーケットで通用する、より質の良い船員の確保と供給が求められてくるのではないでしょうか。
 船員やパイロット、教員や海事に関わる研究者、さらにはサーベヤーや積み付け担当者など海の専門技術者の後継者問題は深刻です。崖っぷちに立たされているという認識を、政府や役人、船社や海事関係者など全てが持たなければならないと思います。

安保法制の成立と 船員予備自衛官補の具体化
 後期高齢者となって有事に駆り出されることなくなった者が軽々とした発言はできませんが、第二次世界大戦中の悲惨な日本人船員の状況は忘れられるものではありません。このことをもってしても軍関係者の国民に対する犯罪行為は明白です。
 全日本海員組合が、予備自衛官補に断固反対することはよく理解できます。一方で、日本の社会インフラを支える海上輸送を誰が担うのかという問題があります。
 尖閣問題では、笹川平和記念財団が主催した「日中海上航行安全対話」に参加し、また日本海洋政策学会の有事における関係船舶の保護などに関わる課題研究グループの一員でもあるので、意見は別の機会にしたいのですが、MLCー2006に関わってからILO憲章(フィラデルフィア宣言)とりわけ前文に甚く感銘しました。
 「世界の永続する平和は、社会正義を基礎としてのみ確立する」とし、労働時間の規制、失業の防止、妥当な賃金の支給、労働者の疾病・疾患・負傷に対する保護、児童・年少者・婦人の保護、老年や廃疾に対する保護など、要は困苦や窮乏からの解放こそが世界の恒久平和を確保すると宣言しています。
 やはり社会正義が維持されなければ、単に平和だ、戦争反対と叫んでも実効はないと思います。

後輩船員たちに伝えたい事
 日本人船員が、日本船社の管理する2千数百隻の乗組員要員のわずか3~4%しか占めていないことを考えれば、日本人船員は船社の幹部として、関係船舶及びそれに乗り組む外国人船員の管理者として生きていかなければならないと思います。
 現実的に、経済安全保障を担保する船員としてわが国の経済社会の一端を担っている以上、真の国際人、責任を伴う管理者として生きていく船員に必要なのは、技術も気力も度胸も必要ですが、最終的には人間力というか人格・包容力ではないかと思います。
 相手は生まれも育ちも環境も、風俗・習慣、宗教も言語も異なる外国人。そうした船員たちの感情や能力、やる気を束ねることの出来る国際的に通用する人格が求められるのではないでしょうか。
 日本人船員のみであれば、以心伝心もありうるが、母国語を異にする船員を相手にするとき、コミュニケーション力、それも英語によるコミュニケーションの能力は強調し過ぎることはありません。
 コミュニケーションあっての人格です。そして英語は単なるコミュニケーションの道具だけではなく、異文化を理解する最も有効なツールであることを理解する必要があります。


(2016年9月)
インタビュー・編集部