伊藤 敏(元外航船員)

第十章 船員制度近代化
   神話の国で働くということ

 福島県双葉郡浪江町。津波と原発、両方の被災地である。いまだに行方不明者の捜索も手付かずのままだ。
 4月7日放映のNHKの「クローズアップ現代」のカメラは、海辺に最も近い地区の区長である安否確認責任者を追う。よく知った顔である。彼は元飯野海運通信長・渡辺文星さんだ。元組合東京支部執行部員でもある。
 国谷裕子キャスターが、今の状況をどう思うかと水を向けると、彼は「確かに浪江は原発で生活している人も多い。それは、原発は二重、三重の安全対策をとっているからと国や事業所が言い続けてきたからだ。今は東電に強い憤りを感じる」と答えていた。私は思わずテレビの前で、ブンちゃん、怒れ、負けるなと呟いていた。
 地元では多くの人が「原発事故の確率より、交通事故の確率の方が高いから大丈夫」と話すという。
原発現場で働く労働者は安全神話が虚構であることは、百も知っていた筈である。彼らを沈黙させる事情を3月29日の朝日新聞は次のように伝える。
 「仕事をもらうためには、被爆するかもしれない制限区域での仕事でも行かなければならない」又、東電の孫請け会社に勤める第一原発の近くで生まれ育った40代男性は、避難所で会社からの呼び出しを待つ。「ここは原発以外に働くところがないから」、と。
 東電と東芝・日立といったメーカーに関電工。その下にある無数の「協力会社」と呼ばれる孫請け。
最も危険で、かつ重要な管理区域へ入っていくのは末端の作業員である。末端の会社は、東電に不利な情報を漏らせば、仕事を即刻切られるという。地縁や血縁を利用しながら、労働者の声を圧殺することで、安全神話は生きながらえてきたといえる。
 原発の開発は、実験炉、実証炉、実用炉とステップアップする手法を用いてきた。これをそっくり模倣したのが船員制度近代化である。船員もまた「近代化」という神話から脱出できなかったのである。


現場の口を封じる近代化
 近代化初期の80年の海員特集「船員制度近代化の歩み」から実験船乗組員の声をひろってみる。
辻本佳照・三航士(商船三井) 
 「雇用安定と底のない少数定員化を短絡させて考えてよいのだろうか。長年の経験によるノウハウを途絶えさせてしまってよいのだろうか。甲板長を機関部員として、操機長を甲板部員として果たしてプラスになるのだろうか。」
石賀正信・甲板手(山下新日本)
 「机上と現場ではかなりの違いがあるのではないでしょうか。「超合理化船」というのはどのような設備以上をいうのでしょうか。どうも人減らしだけの超合理化のような気がします。」
山崎嶽夫・操機手(日本郵船)
 「部員というライセンスのない者にとっては、職部一本化ということが騒がれているが、いよいよほんとに乗れるのかなんて心配しておるわけなんですけどね。」
中川護・三航士(飯野海運)
 「どうしても現在18人で行われている実験は、船主ならびに国(運輸省)の音頭による定員削減の実験でしかないと短絡した(?)考えをもってしまいます。」
 トップランナー達は遠慮がちに、だが正確に近代化の本質は定員合理化であり、実験は隠れ蓑であることを見抜いている。
 「技術革新の進展に伴い、船内職務が大きく変化したため、適合する船員制度を策定する」とした調査委員会の発足が77年。幕引きする95年までの18年、何故これほどの長期化が可能であったのか。
 69年、運輸省により船舶士・員構想が発表された。この年の組合大会で中山副組合長が船舶士は無理だが「員」はできると発言。部員出身の代議員が総立ちになって反対し、南波佐間組合長が、甲機両用は凍結すると引き取った。

「過疎と過密」
中山かおる海洋漫画集より

 以降もスパイラル構想などいろいろなアイデアが提唱されてきたが、いずれも甲機両用の凍結がネックとなり、日の目をみるにはいたらなかった。
 いい合理化、悪い合理化論。合理化協力による分け前論。論議はあっても、具体論となると甲機両用凍結が立ちはだかった。近代化成功のカギはいかに現場船員の口を封じるかにかかっていた。 

 
仕組まれた近代化
 近代化のため編み出されたのが次のような仕組みである。
 一点目は、近代化委員会に最終決定の権限を与え、官公労使の誰も責任を負わない体制としたこと。たとえば組合の技革委答申すら、大衆討議に託されることはなかった。理由は、組織方針ではなく、近代化委に参画する一組織の「私案」の扱いになるからとされた。  
 二点目は職部のカベがなくなり、誰もが管理者(船長)になれるとした船員像も、仮説ではなく仮設とされたことにある。
 18年間近代化委員会の委員長の座にいた谷川久氏によれば、パイオニアシップも混乗近代化も想定外であったと述懐する。そして仮説ではなく仮設だったから近代化が「成功」したと自画自賛する。(海員・95年7月号・船員制度近代化の総括)
 つまり、目的(像)はなく、何でもありなのである。この無責任ぶりを見よ、である。また、近代化実験の進め方については実験、報告、検証、修正、実験とされた。
 だが、現実はすべてが「順調な結果」「一応の有効性が検証された」と評価され、不都合がおきれば「個別ワーキンググループで」と称して隠蔽された。
 例えば、少数定員が原因で起きた白馬丸のビルジ投棄問題も、個人の責任で処理されようとした。 エンジン故障、行方不明者が出ても実験は続けられた。PG湾内の浮遊機雷避航問題では、前檣などの見張りが重荷だとして、実験中止の声が上がったが、「有効」として実験は強行継続された。
 三点目は、幻想の存在である。近代化といっても、設備的にはMゼロプラスアルファである。すでに実験開始時点で外航船舶の44%がMゼロ船であり何ら目新しいところはなかった。  
 だが、近代化の幕引きに至っても、超近代化船の看板を下ろすことはなかった。科学という言葉が用いられたが、社会学、労働医学、心理学といった学問で実験、検証されたことは一度もなかった。
 組合が「安全性の確保」「雇用の安定」「労働条件の向上」等の近代化7原則を掲げることで現場船員に幻想を与え続けたことも忘れてはならない。
 95年3月に組合が発行した「船員制度近代化の総括と今後のあり方」によれば、7原則に関するアンケート結果は次の通りである。
(雇用の安定と職域の確保)
より不安になった:54%
(労働条件の改善)
  より悪くなった :66%
(安全の確保)
  不安全になった :50%
「海運、水産業のなかで船員の地位が向上した」、とするものは僅か3%にすぎない。
 近代化は、「円高で役目を終えた」のではなく、結果において「失敗」だったばかりか、完全に破綻していたことが、組合員の正直な感想から分かる。
 商船大から海員学校に至るまで教育制度を変え、外航2船団船員の殆どが、人生を掛けて取り組んだ船員制度近代化。近代化についていけない船員は、海上を去ることで身をもって決着をつけたが、官公労使の誰かが責任を取ったなどという話は寡聞にして聞いたことがない。
 原発では、専門家と称する学者、国、保安院、東電や原子炉メーカー、労働組合による「原子力村」が存在した。船員の場合も各種の審議会を通じて、また出身会社や学校の同窓という互いが旧知であったりする、狭い「海の村社会」が官公労使の無責任体制を醸成してきた、といえないか。


狙われた部員と通信士
 近代化への危機感から、部員協会と通信士組合が中心となり、発行されたのが「船員近代化ニュース」だ。第1号は81年12月の発行である。航海士や機関士など職種を問わず、現場からの投稿が殺到した。現場船員ばかりではなく、近代化に批判的な識者も立場を超えてインタビューに応じた。
 例えば海洋会の南波佐間氏、海上労研の篠原氏、パイロット協会の荒木氏、三菱重工の原氏、全日空の茂貫氏等々である。
 以下は、部員の状況について寄せられた投稿である。
 甲板手S・M「教育訓練船を下船してホッとしている。EDは他のことはいちおうやったことにして報告しているが実際は操舵訓練が中心。DEになると実際はエンジンルームに入っても、ウロウロするだけでいわれたことをやるしかない。部員も40歳代でも反対職になると、いわれた通りにやるしかない。結局雑用だ。」
 操機手T・B「仕事の量はほとんど変わらないのに、少人数になっただけ仕事の量と範囲が広くなった。作業時間も雑用で長くなり、肉体的に非常に疲れる。また将来性がなく意欲がわかないと若い人もいう」
 81年に労使が選択定年制を協定。84年には海造審が余剰船員対策として首切りを打ち出すに至っては、多くの部員は海上を去らざるを得ないところへ追い込まれていった。部員協会が解散したのは、  99年のことである。

ポンプ整備。汚れ作業は変わらない

 通信士に対する海員組合の近代化方針は航海士や機関士に通信の仕事をやらせ、通信士には航機士の限定免許をとらせる、というものであった。これは職種転換であり、通信士1名体制どころか、これでは通信士ゼロである。一方、船主は近代化という踏み絵を使い、組合員個人への組織脱退工作をはじめた。通信士組合を脱退して、海員組合員となった通信士は次のように語る。
 「通信士が近代化に賛成しなければ、近代化に不熱心だと中核体から見放され会社が潰れてしまうというのが社内の大勢です。2年間悩みぬいた上で通信士組合から脱退しました。会社は、近代化実験は海員組合員じゃなければダメなんだ、それしかないと言い出しました」(近代化ニュース18号)
 FGMDSSという流れの中で職能の存否を掛けた闘いをすべき時期に、更に厳しい組織攻撃にさらされたのである。通信士組合の解散は07年のことである。
 「安全神話」は原発被災者の無念を、「近代化神話」は部員や通信士の無念を生み出した。神話はブレーキという機能を持たないことが問題なのである。
 職場委員やOBも含む執行部員へのアンケート調査(海員95年10月号)のうち、海員組合の改めるべき点として、「近代化は現場にとって、もはやワルであるとしかいいようがないとの大方の意見にもかかわらず、メンツのみで必要だといっている」とする回答が、私の記憶にいつまでも残る。


        (次号に続く)