伊藤 敏(元外航船員)

第十九章 無法の海で働くということ
武城・壷井論争

 日本籍船への混乗導入はもはや「時のながれ」とする無力感と思考停止が、船員の間で支配的な空気の中にあっても、日本籍船への混乗導入に反対する少なくない職場委員・活動家がいた。
 その論拠としてこの時期、熱心に読まれ彼らを励ましたのが、「流動化した船員労働力の需給システム」等の広島商船高専紀要や雑誌「海運88年7月号」の「日本海運の危機と混乗論」といった武城正長氏の論文である。
 特に後者では海運政策方法論への反省として、
 ①混乗論が政策論として呈示される以上、公共性が明確でなければならない。
 ②法は力だけでなく正義も必要であり、混乗政策の方法論には適法性が不可欠であること。
 ③船主協会の要望通り丸シップを船舶職員法20条の特例で実現する場合、丸シップに違法性はないかを法に照らして検証する。
 例えば均等待遇をさだめた労基法3条では、労働者の国籍を理由とする差別的取り扱いを禁じている。従って丸シップで外国人船員専用の就業規則を作るわけにはいかず、違法は避けられない。こうして次々に違法性が明らかにされる。
 これに対して、早速翌月の「海運8月号」誌上で、怒りを露わに激しく反論したのが壷井玄剛氏である。壺井氏の反論は、
 ①船員労働市場が陸上と別である以上、混乗が労働政策的な論点から逸脱していても公共性に反するとは言えない。
 ②武城論文は「合法」を検証しているが「適法」には触れず、形式論理を振り回しているに過ぎない。
 ③労基法3条については「通常居住しない」船員は国籍差別の対象外。また日本の法律に日本船は日本人船員でなければならないと定めているものはない。
 ④外国人の受け入れを制限した閣議了解事項では、船員も陸上同様受け入れが制限されている。これは船員労働の実際を知らない誤った行政指導である。
等々であった。
 壷井氏は本稿へ4回目の登場である(「海民懇」発足のプロモーターとして:「外航船員ゼロへの軌跡」羅針盤2号。失業船員救済には何ら役立たなかった雇用センターの初代会長として:同上、羅針盤3号。「最近の日本船員は働かない。韓国人や東南アジアの船員より劣って船は赤錆だらけ」:「海難と審判」55号発言、羅針盤5号)。

壺井玄剛伝より
 「さまざまのこと思ひ出す桜かな」。この句は、松尾芭蕉が奥の細道へ旅立つ前の45歳の時、故郷の伊賀上野へ帰省する折りに詠んだとされる。
 これを題名にした著作が壷井玄剛伝(粒針修著・日刊海事通信社刊)である。この本を手元に置いたのは、造船疑獄に連座し「日本の黒い霧」(松本清張著・文芸春秋刊)に書かれたように、山下汽船からの贈賄で逮捕され、事務次官の椅子を棒に振った運輸省壷井官房長への興味ではない。
 戦争を経験した世代の官僚として、海運経営者としての、船員とアジア民衆へ向けるまなざしを知りたいと思ったからである。
 著者の質問にユーモアを交え、磊落を装いながらも本音は出る。 
 船員については、「何も高等な学問、技術は要らない。単純な肉体労働であれば、日本人船員でなくても良く、韓国、フィリピンで十分だ」、「海技免状も高等な数学や英語は必要ない」、「免状で一番出来なくて落ちるのは英語。英語と言うのはシェークスピア英語からパンパン英語まである。船で使う英単語は100くらいあるだろうが、部員は50も知っていれば良く、パンパン英語で十分だ」、「船員は何が大事な資質かといえば電気の工事屋が感電しなければいいのと同じように、船に酔わなきゃそれで良いじゃないか、というのが僕の基本的な考え方」と。
 戦前、逓信省海員課の時代、壷井氏は「改正船員法解説」を著した。又、戦争前夜は監督課で海運統制の仕事をした経験をもつ。
 武城氏への反論でもわかるように、壷井氏にとって陸上労働者と船員は明確に区別される。彼にとって依然として船員は管理と統制の対象でしかないのである。差別は蔑視というまなざしを経て成立する。
 開戦と同時に壷井氏は、南方軍総司令部の司政官としてシンガポールへ赴任する。英国軍に代わって占領した当地では、市街の目抜き通りであるオーチャード通りに居を構え、毎週ゴルフ場へ通い、持ち前の運動神経の良さからたちまちハンディ12になったという。
 壷井氏へのインタビューからは、3年住んだ街の様子もアジアの民衆の姿も見えてこないが、唯一語られるのは短期出張で接したフィリピンの印象である。
 「陸軍の参謀本部が一時マニラに移った。印象に残っているのはドロボー。なんぼ物を盗まれたかわからん。それと4月ごろの大雨。3ヶ月の間ながら嫌になっちゃたねえ」。  
 混乗問題をより具体的なイメージで語るとき、そのパートナーは日本関係船の8割超を占めるフィリピン船員であるのは間違いない。
 仮に日本が集団的自衛権を手にし、米国と共に戦争をするとして、日本人船員が枯渇していればその任務を肩代わりするよう圧力を受けるのはフィリピン船員だろう。
 だが、その時の経済格差をテコにした支配・被支配の関係から戦火の海へ追い立ててはならない。ではどのように関係性を構築するのか、TAJIMA号事件の悲劇にその教訓を読み取る。

TAJIMA号殺人事件
 TAJIMA号事件は、海運の無法ぶりと人権蹂躙を白日の下に晒し、非民主的な船員社会の有り様を明らかにした。
 先ず簡単に事件の概要をたどる。(以下、日本船長協会「船長教養講座・海上保安事件の処理と問題点・海上保安大学校名誉教授・廣瀬肇氏講演」2005年3月刊パンフから抜粋)
◯TAJIMA号 超大型油槽船、船籍:パナマ共和国、保有:日本郵船海外子会社、船舶管理:共栄タンカー、乗組員:船長を含む日本人6名、フィリピン人18名)
◯事件の発生日時・場所 2002年4月7日午前3時過ぎ、台湾東方沖公海上を航行中の船橋内の海図室。
◯事件の経過 被疑者アメリト・ラセラ甲板手とノエリト・パビオナ操機手は同船二航士榛葉(しんば)泉さん(52歳)に、事務室で船舶電話の不正使用を咎められ、日本語で「キャプテンに言う。ばか、だめ」と叱責を受けた。
 被疑者アメリト・ラセラは酒の勢いも手伝って、とっさに暴行を決意して海図室内へ追い、手に持った松葉杖で二航士を2回殴打、呼応した被疑者ノエリト・パビオナ操機手は手拳で二航士を数回殴打して転倒させ、殺意をもって襟首をつかみ右舷船橋ウイングまで運んだ。そして被疑者両人はウイング舷縁上越しに二航士を26メートル下方の海面に放り投げ、殺害したとされる。
◯その後の経過 
4月7日 共栄タンカーから「TAJIMA号から日本人二等航海士が行方不明」と第一報
4月8日 船長から「フィリピン乗組員に二航士は殺害されたとの内部告発があった」、「船長権限で容疑者を拘束すると考えているが、抵抗も予想されるので海上保安庁の協力を得たい」
4月9日 在京パナマ大使から「TAJIMA号への海上保安官の乗船を了承する」旨の書簡
4月12日 姫路港シーバース係留完了
5月15日 ペルシャ湾向け出港
 同船は、パナマ政府から外務省宛の仮拘禁の請求が出されるまで一ヶ月以上の長期にわたる停泊を余儀なくされた。その理由は本事件が「公海上」「外国籍船」「外国人による」事件であったため日本には刑事管轄権がなかった事による。従ってこの一ヶ月は船内警察権に基づく船長権限で被疑者を拘束することになる。 
◯パナマでの公判結果
 被告の弁護人は公判で、「日本の当局が日本語で作成した供述調書を両被告人はタガログ語の通訳が付かず理解できないままサインした。被告人の権利が守られていない」などと主張、パナマの裁判所は2005年5月20日無罪を言い渡した。
◯国内法の改正
 2003年7月、国会で刑法3条の2(国民以外の者の国外犯)が追加規定として成立した。これにより類似の事件では、日本人以外の者も刑事管轄権の適用が可能となった。

事件のそれぞれの総括
 船主協会は声明を出して
①ご遺族の方のお気持ちを思うと誠に残念
②この結果は我が国司法当局が捜査に当たり、被告人等の人権に注意を払わなかったと言っているに等しく、国家の信用に関わる由々しき事態。
 船主側の得た事件の教訓は「保有する船舶をどこに置籍するかよく考えなければならないことを痛感するが、早急に第二船籍制度など魅力ある適切な船籍制度を創設すべし、と思料する」というものであった。
 船主にとってTAJIMA号問題とは、一刻も早く被疑者たちを陸上へ収容し出港することに他ならなかったのであろう。
 一方、国交省事務次官は、「便宜置籍船には多くのリスクが付随するが、そのことを承知して運航しているのではないか」、と事件後に表明し、船主側を突き放して見せた。
 だが、丸シップ導入時、「海外貸し渡し方式による日本人船員と外国人船員との混乗が最も現実かつ有効な方策である」、とした88年12月の海運造船合理化審議会の結論を踏襲した点で、両者は同罪である。
 手っ取り早く安手の制度を当時選択した両者は、ともに船籍にはむしろ無頓着であったといえる。
 「海外貸し渡し方式」とは、日本船を海外子会社に貸し渡し、低賃金の外国船員を乗せた上で用船して運航するもので、外国人を低賃金で雇用するための偽装にすぎない。
 船主は外国人船員を日本籍船に差別的労働条件で就労させながら、船員法違反を問われることも無く、日本籍船を保持できるのである。
 コストが全ての船主の政策に対し、無原則に労働政策を追随させてきたのが国交省であることを忘れてはならないと思う。

事件から何を学ぶか
 船員政策を持たない国交省と、混乗船員の生命や安全を軽視する劣悪な労働環境しか用意しない船主。にも拘わらず、事件発生後海員組合は船主、行政に対する要求を明示せず、原因や責任の追及をおろそかにしてきた。
 又、遺族への生活保障も明らかにされなかった。
 FOC化で最大の利益をあげようとしている船主だが、入港しても上陸の機会も与えられない。
船内食料金も日本人船員に劣るなど、自国の生活水準を理由とする差別と生活習慣の異なる文化的な摩擦の中で、搾取は不満を内向させ、ことによっては暴発することもあり得る。TAJIMA号事件はそのことを教えてくれた。
 事件後船主協会は「船内犯罪防止のためのガイドライン」を公表した。その内容は、「外国人船員のマンニング会社起用に際して以下が望ましい」とし、
 ①船員採用時の面接、履歴・資格・訓練の確認、②乗船前の雇用契約・労働協約の確認、③家族の相談窓口の設置、リピーターへの教育、④アルコール管理、⑤乗船前の異文化交流の教育、⑥キーマンへのリーダーシップ・マネージメント教育、等々。
 だが、そのような表面的な方法で到底解決する筈はない。何が船員(日本人船員と外国人船員共に)にとって人間的な権利なのか、という最も基本的な認識が欠けているからである。


実務者の考える船員問題
 NYKシップマネージメントの会長であった石田隆丸氏は、船舶管理の経営の実務に携わった経験から、船舶管理についての日本人海技者の抱える困難について次のように述べる。
 「船舶運航管理の実務においてはありとあらゆる事故トラブルへの対応が考えられる。衝突、座礁、火災、機関事故、傷害事件、脱船、自殺、事故死等々。日本人スタッフだけでは対応に限界をかんじることが多かった。
 相手のバックグランドや考え方について把握が十分できないことがその理由である。問題は言語力だけではない。本質的な問題は、世界の海技者、船員がよりどころとすべき軸が失われていることである」(KAIUN2009年7月号)と。
 生活と労働を共にする船員の場合は、外国人である相手と互いの理解は容易ではないこと。石田氏はその軸として「まともなシーマンシップの存在」を挙げている。


正義・法律・権利
 混乗船の中で外国人も参加した船内委員会の立ち上げが望まれる。より近代的で対等な権利・義務の構築が必要だからである。
 長い植民地時代の経験をもつ国と日本では歴史的な背景が異なる。日本人は人間としての信頼を築くことから始めるしかない。外国人船員と日本人船員の利害が、実はひとつのものとして世界の全船員の権利と結び付けられなければならないのである。
 「ドイツ語のレヒト(Recht)は正義、法律と権利を一語で表す」、とかつて教えてくれたのは、組合幹部リコール運動裁判、ぼりばあ遺族訴訟や竹中解雇撤回裁判等で常に現場船員の闘いを擁護し続け、二機士・船内委員長の異色の経歴をもつ浦田乾道弁護士だった。先生は無法地帯の中で、正義や権利を実現することの困難を言いたかったのかも知れない。あるいは、レヒトへの夢を語り、われわれ船員を励ましたのかもしれない。


  (次号へ続く 元外航船員)