伊藤 敏(元外航船員)

第二十章(最終章) 外航船員ゼロへの道をたどって


新丸シップ導入後の状況
◯国際船舶制度

 「羅針盤13号」で1989年の新マルシップ混乗導入の経緯について述べた。フラッギングアウト防止が目的だった筈が、新マルが導入された結果、皮肉にもコスト競争力を失った在来船や近代化船が消え、仕組船が増えたのである。
 2001年、日本籍船へ日本の海技免状(承認証)を持った外国人船員の乗船が現実のものとなる。 
この船が「国際船舶」とよばれ、日本人船員は船長と機関長の2名だけで済むこととなる。この制度の実現には当初、6項目要求(船員への所得・住民税減税、若年船員プロジェクトなど)とのパッケージが条件と言われたが、注目の若年船員プロジェクトは、訓練終了後の就職保証がないため若者に不人気で、船員にとって得たものは少なかった。逆に、船舶の固定資産税の軽減、海外売船の許可制から届出制への変更など、多くは船主の利益に沿う制度となった。

◯6・13合意からトン数標準税制まで
 2005年6月13日、海員組合と船主協会は「国際船舶制度に適用される船・機長配乗要件の撤廃」について確認書を取り交わし、国交省に対して文書で申し入れた。
 海員組合は、日本人配乗ゼロの日本籍船を認める理由を「海技者の確保・育成のため、他の海事産業関連団体とも共同し実効ある制度作りに取り組む」という船主側の確約が得られたからだ、という。
 2007年6月、国交省交通政策審議会の中間答申が発表され、「非常時」に「経済安全保障」の観点から外航日本籍船450隻、5500人の船員確保が必要とされた。
 翌年、海上運送法が改正されてトン数標準税制が導入され、同時に、国と外航業界の総意として日本籍船を5年で2倍、日本人船員を10年で1・5倍にするとされた。
 2013年10月現在外航会社に在籍する日本人船員は2263名(国交省海事局調べ)、計画期間の2009年から2014年までの5年間の実績は以下の通りである。(国交省によりトン数標準税制の認定を受けた11社ベース)
◯外航日本籍船:(約2・1倍)
 77・4隻から161・8隻へ
◯外航日本人船員:(約1・1倍)1072人から1162人へ
 船機長の配乗義務が外された結果日本籍船は増加したが、日本人船員の確保は退職者の補充程度であり、10年で1・5倍確保は厳しい様子を示している。
 「ゼロへの軌跡」第一章でメルクマークとした1975年の菊池構想・仕組船認知論から40年をかけ、船主は欧州のような第二船籍制度を作ることなく、「日の丸仕組船」を手に入れたのである。


産別組合の基盤の崩壊
◯統一労働条件、統一賃金の放棄

 2002年の労働協約改定交渉で労働協約から最低基本給と本人基本給関連の項目が削除された。 
戦後一貫して続いてきた賃金の中央交渉が廃止され、賃金体系から諸手当までが各社交渉に委ねられることになった。
 それはこれまでの年功型の基本給制度から、各人の能力や業務成果への会社の査定を前提とした賃金制度への変質を意味する。これでは組合員同士が団結できない。
 海上労働者の長い闘いで獲得した産別協約と産別賃金は完全に崩壊することとなった。

◯雇用の産別統一協定の撤廃
 外航の雇用協定は、雇用の一般方針のほか各社、系列そして船団での協議で組合員の雇用を守ることとされてきた。この協定は1972年の90日スト後の海外売船の激増の歯止めとして取り決められたものである。
 協定に従い、雇用不安が生じないよう中期雇用計画の策定や、配乗船の確保が協議されてきた。特に系列親会社の雇用責任が明記されていることは、系列中小の船員にとって貴重であった。
 しかし2003年に協定が撤廃され、雇用の歯止めは失われた。親会社の一方的な都合で減船が強行される怖れが生じ、産別の基盤は更に揺らいだのである。

◯東京船舶問題
 2001年5月25日付けで東京船舶所属組合員16名全員が「陸上労組に加入する」として一斉に組合に脱退届を提出。組合は東京船舶に対して団交の申し入れをしたが、会社は「海員組合員が存在しないので組合と協議する理由がない」として団交を拒否。
 このため組合は、港での抗議行動、本社前集会やITFを通じて海外でも抗議行動を行った。だが、団交の開催には至らず、翌年8月には日本郵船の完全子会社となり会社としての実体を失った。 
 この間、組合員ばかりか職場委員とさえ連絡がつかず、数か月後、弁護士に付き添われようやく姿を現した職場委員は組合との接触を拒否した。結果は海員組合の完敗といって良い。 
 緊雇対は資本が本質的に持つ冷酷さを船員に見せつけ、会社と運命共同体であることがいかに危うく、その末路が惨めかを思い知らせた。船員はカンパニーを見限り、もうひとつの可能性としてのユニオンに賭ける道を選んでも不思議ではなかったが、そうはならなかった。
 現場組合員と組合執行部の間では、連絡手段ばかりか信頼関係も途絶していたのである。生身の人と人の結びつきが労働組合運動の基礎であることを改めて思い知る。

 ここまで緊急雇用対策の嵐が去った後の船員の状況をなぞってきた。それは、海運資本が、本来は監督官庁であるはずの国交省に自らの方針を補完させ、実体を伴わない政策支援をエサに海員組合を屈服させた歴史と言って良い。


外航船員の運動の方向性
◯海上労働条約 MLC2006
 
 2013年8月に発効したこの条約は、船員の雇用条件、居住設備、医療・福祉、社会保障等の海上労働に関する国際的基準を確立し、船員の労働環境を向上することを目的としている。同時に海運市場における公平な国際競争の確保を図っている。
 また実効性を付与するため、旗国による検査体制の確保や500総トン以上の外航船に対する証書の交付。入港した外国船舶に対する寄港国の監督を求めている。
 条約の策定でもっとも手間取り、激論が交わされたのが「遵守と執行に関する規制であり、旗国、寄港国、船員供給国それぞれの責任分担の確定作業だった」(野川忍、明治大学法科大学院教授・船長協会月報第411号)
 今後海員組合は、法の見張り役として発言権を高める必要があるのはこの部分であろう。


◯IMOとILO
 海運と船員にとって特に重要とされる4本柱のうち、海上人命安全条約(SOLAS)、海洋汚染防止条約(MARPOL)、船員の訓練及び資格証明並びに当直の基準に関する国際条約(STCW)の3つの条約は国際海事機関(IMO)の場での取り決めである。
 だが、唯一海上労働条約はILO(国際労働機関)に属しており、そこに希望がある。
この二つの機関の大きな相違点は、労働組合の位置付けである。IMOでの労働組合はオブザーバーに過ぎないが、ILOは官労使の3者構成である。
 ここではIMOの場が必ずしも、安全や環境に対して有益でなかったケースを例示する。
STCW条約は、トリーキャニオン号の事故と大規模な海洋汚染を契機に定められた。およそ規制緩和やコスト論とは無縁なはずだったが、実際には新マルシップ混乗導入や国際船舶導入に際して、船舶職員法の改正、特例新設の道具として利用されてきた。
 1993年、英国シェットランド沿岸でのブレイア号(リベリア船籍)海難の後、欧州議会はFOCの放棄をEC委員会へ要求するという重大決定をした。だが、EU閣僚理事会は、石油ロビーの圧力に屈してIMOに決定を一任した結果、FOCの放棄にはつながらなかった。
 海上労働条約の発効を契機に、今後海員組合は、ILOの場をいかに有効に活用するかが大きな課題となる。

◯ILOとディーセント・ワーク
 ディーセント・ワークとは、「働きがいのある人間らしい仕事」を意味する。ILOは1999年の総会でこれを21世紀の目標として確認している。更に2008年の総会では「公正なグローバル化のための社会正義に関する宣言」を発表し、差別の撤廃を横断的な課題として明示した。
 規則・税制・社会保障の三重のダンピングで成立するFOC偏重の海運がもたらす非人間的な世界と、ディーセント・ワークが希求するより人間的な労働が、早晩衝突することは避けられない。
更にディーセント・ワークの画期的なことは「労働の日常」そのものへ焦点を当て、「働くことの誇り」を求める現場労働者を直接励ましていることにある。

◯職場の発言権の保障を
 海上労働の特殊性について、労働と生活を同一個所で長時間過ごすこと。直接的な資本の介在から遠く離れた職場集団であること等を挙げた。(創刊号参照)
 安全や人権についての欠陥が現われるのは必ず船内である。そして、適切な労働時間の管理要求から通船、食料の改善、作業着よこせまで、職場要求に事欠かないのも船内である。
ディーセント・ワークの実現には「自分の要求」を「みんなの要求」へと変える回路の設定が欠かせない。国籍や船内職務の上下といった属性を超えた〈合同船内委員会・船内大会〉が必要となる。


連載を終えて
◯小さな歴史に込められた真実

 「菊池構想・仕組船認知論」が発表された1975年からワンジェネレーション(30年)経た時期の船員の状況を比較し、外航船員ゼロをもたらした原因を考察して今後の運動のヒントを探ること、それが連載を始めた動機である。
 当初は4回程度で終わると思っていたので6年、16回に亘る寄稿になろうとは思ってもみなかった。
 そのきっかけは、1977年の組合大会で撒かれた失業船員のビラ(羅針盤3号「失業船員の運動」参照)を目にしたときにある。
 そこでは、失業船員発生の原因が仕組船建造への狂奔であることが明らかされ、更には街頭デモの実行や統一労働条件の設定など具体的な要求が列記されていた。ビラの迫力に押された。
 要求の切実さに比べ、短い論証を集め、自己満足して連載を終わりにするという魂胆の浅はかさに気付いた。こうして当初の計画は急遽、変更を余儀なくされた。
 コーヒー色に変色した封筒の中の「失業船員連絡会ニュース」、「日本郵船緊急予備員集会・宮岡社長あて抗議文」、「竹中支援会ニュース」などもこの機会に外部へ向かって明らかにしたいと思った。
 それらの共通点は、海員組合が関知しない自主的な運動だったことだ。海員組合年史では、欄外の注記にすら記載されそうにない「小さな歴史」だが、それぞれに船員の貴重な記録である。

◯東京・芝浦と船員の運動
 最終回のこの機会に、少し自分のことについてふれてみたい。
20歳代の頃の私は、下船すると休暇のほとんどを東京・芝浦で過ごした。当時の芝浦7丁目には海員組合東京地方支部が在った。
 1丁目には船舶部員協会(部協)と船舶通信士労働組合(船通労)の事務所があり、部協と船通労は互いに頻繁に行き来していた。
 航海士出身の私だが、若い頃から部員と通信士に育てられた最後の芝浦育ちのひとりと思っている。 
薫陶を受けた3名の故人、大内義夫さん(船通労顧問)、二宮淳佑さん(部協事務局長)浦田乾道さん(海員組合幹部リコール裁判、ぼりばあ丸6遺族裁判、竹中裁判、船通労の国家補償裁判等の弁護活動)の印象に残る言葉をそれぞれ羅針盤10号、11号、14号で紹介する機会を得たのは幸いだった。

 既に部員と通信士は絶え間ない合理化の嵐に晒され、もはや展望は描けない窮地にあったが、それでも果敢に闘い続けていた。
 生涯、船員の運動を凝視し続けることを心に誓い、この頃から詩を書くときのペンネームに「玖波みつむ」を用いた。久しき先の波の上のさまをみつめる、の意味である。フラフラして何をやっても長続きしない性分だが、この6年間「ゼロへの軌跡」に取り組むことで、40年前の自らへの誓いを何とか守ろうとした。
 1999年に部協は解散し、2007年に船通労(船通協)も姿を消した。かつて組合幹部リコール運動の中心を担ったこのふたつの団体の願いは、「海員組合の民主化」ということに尽きる。
 今、海員組合は民主主義を見失い危機的な状況にあると思う。一日も早い正常化を願ってやまない。
末尾になるが、連載の場を与えていただいた皆様に心から感謝したい。


(終わり 元外航船員)

外航船員ゼロへの軌跡・総目次
第一章 今なぜ過去の検証か
第二章 メルクマールとしての1975年
第三章 現場をつぶせ
(対抗策としての脱日本人船員)
第四章 船員は自壊したのか敗北したのか
第五章 くすぶる現場の熱気
第六章 海民懇と組織分断
第七章 失業船員の運動
第八章 雇用促進センター
第九章 個別対応方針
第十章 船員制度近代化
  神話の国で働くということ
  現場の口を封じる近代化
  仕組まれた近代化
  狙われた部員と通信士
  円高が近代化を潰したのか
  近代化が潰した職能
  海員における職能の歴史
  職能の今日的な意義
  海技の伝承問題
  船員の技能の現在
第十一章 緊急雇用対策
  緊雇対前夜の風景
  選択定年制から緊急雇用対策へ
  本人選択の自由
  泥船論をふりかえって
第十二章 それぞれの緊雇対
  日経新聞へのリーク
  日本郵船予備員集会の決議
  会社と苦楽をともに
  配当・黒字会社へも波及
第十三章 Jライン闘争
  怪物日本興業銀行
  指名解雇をめぐる攻防
  船労委の限界・調停放棄
  交渉妥結と船内大会決議
  組合執行活動の「限界」
  Jライン闘争での展望
第十四章 大日インベスト闘争
  大日闘争の経緯
  行動する海員組合員
  たったひとりのストライキ
  ストライキの収束と成果
  ふたりの現場船員の総括
  人間的な連帯の復権へ
第十五章 昭洋海運船員の闘い
  昭洋職場の特長
  職場委員制度と反合理化闘争
  倒産攻撃を合理化反対闘争へ
  会社清算の申し入れ
  終結、そしてそれぞれの道へ
  産別海員へ残した課題
第十六章 産別海員の雇用闘争
  相互扶助の具現化
  共同雇用提案
  船員のプール化を巡って
  海運版の使用者概念の拡大
  共同雇用の歴史
  組合主導の自主再建
  関ナマ労組の地域ゼネスト
  関ナマ運動の原型は産別海員
  戦前通信士の反失業運動
第十七章 竹中解雇撤回闘争
  史上初の船員救済命令
  緊雇対の職場での実態
  組合員分断と自己責任論
  船員やめない会の運動
  会社の報復と人権
  仲裁か不当労働行為か
  シーコムフェリー不採用問題
  労働組合運動とは何か
  労働協約の仲裁条項
  カギは組合への信頼
  船地労委で完全勝利
  竹中支援会の結成と運動
  なだしお事件裁判の支援
  地労委命令を受けての対組合交渉
  支援会の分裂=闘いの分岐点
  でっち上げられた解雇理由
  太平洋汽船の仲間たち
  陸上労働者との共闘
  船員にとっての課題
  海員組合を変えよう
第十八章 新マルシップ混乗
  中執原案の提起
  闇へ葬られた反対意見
  実録・汽船部委員会
  外航最後の大衆討議
  部員の雇用は
  政策支援は
  中執原案の採決へ
  幻の政策支援
  第十九章 無法の海で働くということ
  武城・壷井論争
  壺井玄剛伝より
  TAJIMA号殺人事件
  事件のそれぞれの総括
  事件から何を学ぶか
  実務者の考える船員問題
  正義・法律・権利
  期間雇用船員の解雇・その1
  Sフェリーの場合
  期間雇用船員の解雇・その2
  外航О社の場合
  2例から見えるもの
  期間雇用船員の人間模様
  期間雇用船員の生活保障
  期間雇用船員と誇り
第二十章 外航船員ゼロへの道をたどって
  新丸シップ導入後の状況
  産別組合の基盤の崩壊
  外航船員の運動の方向性
連載を終えて