伊藤 敏(元外航船員)

第十九章 無法の海で働くということ(続)


期間雇用船員の解雇・その1 Sフェリーの場合
◯解雇に対する苦情申し立て
 F通信長は海員組合事業センターからの派遣船員として1989年にNカーフェリーへ中途採用された。そのとき担当者の口約束として臨時で年金が付くまでといわれた。
 その後5年間にわたって、N社とそれを継承したSフェリーでローテーションへ組み込まれて乗下船を繰り返してきた。Sフェリーへの会社譲渡の際は「覚書」に署名捺印を求められた。
 その内容は、①期間雇用として採用する。②雇用期間は6ヶ月で満了するが、引き続き勤務の意思がある場合は協議する。③賃金や休暇は労働協約による。というものである。
 その後契約更改の話もなく乗船勤務が続いていた。ところが1994年12月、突然会社から「年末の下船をもって解雇」といわれた。Fさんは海員組合に対して解雇は協約違反だとして「苦情」申し立てをしたが却下された。
 その理由は、①同社には以前から期間雇用契約者がおり、組合は改善を求めていたこと。②最近GMDSS関連で通信士の6隻11名体制(減員)の確認がなされたこと。③従って協約にもとづく解雇には該当せず苦情として取り上げない、というものだった。

◯94年12月26日午前 東京本社会議室
 Fさんは下船し、本社出頭命令に従い出社したところ12月一杯での解雇を通告された。会社は解雇ではなく、契約期間の満了にもとづく退職だとして4年前の「覚書」を示した。  
 Fさんは今後も乗船を続けたいとの意向を示したが会社は取り合おうとせず、一方的に退職手続を進めようとした。

◯12月26日午後 関東運輸局支局主席船員労務官室
 Fさんは乗船中の同僚の紹介で船舶部員協会に相談した後、海運局東京支局に船員労務官を訪ねて前記の事情を説明、相談した。
 労務官は、①法や就業規則を下回る個別契約は無効、②同社のように就業規則を届けている会社では、就業規則が適用されるので個人契約書は必要が無い。③解雇が就業規則や船員法に抵触する場合は行政処分の対象になるとの見解を示した。
 労務官は電話で会社海務部長へも同様のことを伝えた。

◯12月27日海員組合関東支部
 Fさんは会社に呼び出された経緯と船員労務官に相談した結果を伝え、組合に解雇を取り消すよう会社との交渉を要請。
 これに対して組合は、①本人が納得して交わした覚書は有効で組合も認めている。②覚書のどこが違法かわからないし、これで長年運用されてきた。③Fさんは最初から籍が無いのだ。④期間雇用者の55歳退職は会社と確認済み。⑤あなたが頑張れば他の誰かがはみ出すと主張し、この解決には時間がかかるので退職を1ヶ月延ばしてその間に解決したいと述べた。

◯95年1月18日 東京本社会議室
 Fさんに対し会社から「労務委員会を開くからオブザーバーとして出席するよう」連絡があった。
 だが出社すると会社側は部長以下4名、組合側執行部と職場委員の4名が出席しており労務委員会ではなく「事情聴取」であると告げられた。
 会社は、①覚書で署名捺印があり有効だ。期間雇用満了として退職してもらう。従って退職金は払わない、②今後乗船の予定はなく2月分の予備給は支給しない、と述べた。
 組合は、①ここで解決しないと裁判しかない。②会社と揉めると年金や失業保険の手続きで困ることになる、と繰り返すだけで何ら解決のための提案は無かった。
 Fさんは、「事情聴取」は会社と組合の計8名が自分一人を取り調べていると感じた。2時間にわたる押し問答の末、止む無く「同意書」に署名捺印した。
 同意書には、①雇用期間は1月18日で終了、②会社は1月末日までの給料と解決金1ヶ月を支払う。
③本件に関して今後異議を申し立てない、というもの。
 こうしてFさんは解雇された。

期間雇用船員の解雇・その2 外航O社の場合
◯解雇への異議申立と組合回答

 K船長は期間雇用船員として4年半前からO社所属船への乗船を続けていた。2003年6月、パナマ船籍S号のフィリピン船員全乗への切り替えに伴い日本人船員が余剰となった。この時最初に解雇を言い渡されたのが期間雇用のKさんである。 
 Kさんは直ちに組合員の身分や労働条件は組合と会社が決めることが原則。個人契約自体が無効ではないか、として担当支部へ異議を申し立てた。
 この問題に対する組合の特徴的な姿勢が表れた回答であるため、少し長いが原文のまま引用する。「先ず組合は基本的に個人契約を是とする考えは持っていません。
 しかしながら近年、組織船にマンニング会社等を通して有期契約(期間雇用)で乗船する人々が多く見受けられるようになりました。  
 組合はこれらの事例に対し、正規雇用すべきとの運動を展開してきましたが、かえってこの事が当事者の職を奪いかねない事態が発生し、これを踏まえ当面の措置として当該期間は組合に個別加入するということで対処しているところであります。
 今までの期間雇用の方々はこのことを理解の上会社と直接契約を結び乗船されており、条件についても不満を述べられることはありませんでした。
 従いまして私共は、残念ながら具体的事例に対して回答できるものを持ち合わせておりません。今の立場で私共組合に出来ることは会社に対して事情聴取を行い当事者間の契約内容に齟齬をきたしていることが判明した場合、これを是正するようアドバイスをすることであります。
 以上の点をご勘案の上、今後担当班と連絡を取りながら対処されるようお願いいたします」

◯Kさんの再度の質問
 ①外国人全乗提案の労使協議中の個別の組合員への退職勧奨は不当労働行為ではないのか。
 ②私は正規採用を求める運動の展開を求めているが、組合の誰がどのような責任と権限で、本人の意向をネジ曲げて再就職先の斡旋を会社へ依頼したか。
 ③組合事業センターでは、国船協加盟会社でも少額ながらベースアップを実現させている。当社で10数年間、労働条件の改善を放置したのは何故か。
 ④当社の労働条件については、組合員との口約束で会社が勝手に決めている。組合員の身分・労働条件は労使の対等決定が原則であり、労基法2条違反と思うがどうか。
 ⑤個別加入(下船中の組合費は免除)を理由に、組合員間の扱いの不均等、不平等を組合は認めるのか。規約上容認されるのか。
 ⑥期間雇用の場合、労働協約の非適用者であることを理由に苦情処理の権利からも排除されるのか。
 ⑦就業規則や労働協約を下回る個人契約は法(船員法・労基法)に照らして違法、無効ではないのか。

◯見切り発車された結末
 組合は「この一件をむやみに先延ばしすることは、将来の会社経営にも影響しかねないとも限らず、大きな判断が必要と思います」として陸上休暇者、陸上勤務者を集めて集会を開いた。そしてS号の外国人全乗への同意を決めた。
 Kさんが求めた同社就業規則の開示は拒否され、組合規約集すら支給されず、前記7項目の質問への回答も示されなかった。
 こうしてKさんは解雇された。

2例から見えるもの
◯よく似た支部対応

 前記2例を見るとき、組合執行部の弁明の苦しさに比べて際立っているのは、船員労務官M氏の法解釈の小気味がいいほどの明快さである。
 2例の組合担当支部はそれぞれ異なるが、その対応はうりふたつである。共に好んで使う「事情聴取」というよそよそしい言葉には当事者責任は負いたくない、という思惑が滲む。
 それぞれの組合支部は「以前から期間契約雇用者がおり、改善を求めていた」、「有期契約で乗船する人々が多く見受けられるようになり、正規雇用すべきとの運動を展開してきた」と強調する。
 しかし、FさんやKさんの件は改善や運動展開の絶好の機会であった筈だが、訴えを斥けた。
 解雇理由はFさんやKさんの落ち度ではなく、「覚書」や「個別加入」という耳慣れない字句に由るが、更に詳細に調べていくと驚くような事情が浮かび上がる。

◯驚くべき解雇理由
 GMDSSの進捗に伴う通信士の職場確保のための「雇用の一般方針」が労使協定され、「通信士の6隻11名体制」が労務委員会で議事録確認された。その結果、在籍者14名のうち3名がはみ出すことになり、整理の対象者とされたのが期間雇用のFさんだった。
 一連の労使協定や議事録確認が存在するから解雇は妥当であり、苦情申し立ては却下したと組合は言明している。  
 Kさんの場合は中期雇用計画の策定が絡む。中期雇用計画とは、緊雇対終了時点で会社と組合が合意した今後の配乗隻数や人員に関する協定である。
 船員を大量解雇した反省として、一度決めたら無闇に改定できないとされたが、現実には、減船や配乗替えを会社が持ち出す度に変更が繰り返された。
 今回の提案は、①現状は日本人船・機長配乗船3隻に対し、乗船者が各3名、予備員が各1名で、予備員率は船機長共に33%と低い。したがって、②S号を外国人全乗とし日本人配乗船2隻にしたい、というもの。
 しかし、この案では乗船者2名に対して予備員2名で、予備員率は100%になる。これでは乗船機会が減少するので組合も呑めないだろうということで、会社は期間雇用であるKさんの解雇と、機関長1名の監督職での陸転により予備員を各1名とする案に変更した。この案だと予備員率は50%なので組合が呑み易い。
 つまり、労使合意の条件作りのための解雇。これが真相である。
 「雇用の一般方針」や「中期雇用計画」のために解雇される本末転倒の事態である。以降、本人の手の届かぬところで、同意もなく勝手に組合員が首を切られる事態が続くことになる。このようなことが果たして許されるのだろうか。

期間雇用船員の人間模様
 筆者は期間雇用の航海士、船長として約12年余、混乗船を転々とした経験を持つ。
 外国人と混乗する上でうまくやる秘訣は?と聞かれることがある。
 その時は「日本人同士が仲良くやること」と答えることにしている。日本人同士の不和に外国人船員は敏感である。その彼らに不協和音の発生源である日本人が、チームワークを説いても信用されない。「船内融和」のためということではなく、キーマンである日本人船員間の不仲が安全に与える影響は小さくないからだ。
 緊雇対以降、終身雇用の職場への期間雇用船員の乗船が増えた。その逆に、元々期間雇用船員の職場であった船へ、用船者である大手オペレーターの船員が派遣されるケースも増えた。そこでは日本人船員の頭数分の、幾通りもの労働条件が存在した。 
 外航労働協約が適用される者とそうでない者、各人毎の個別契約に拠る者、会社を退職した経緯、退職金の上積額によっても労働条件は異なった。
 ある夜の酒席で元同僚を指差して、「会社に協力して退職した俺らが馬鹿を見て、肩たたきを蹴ったあんたがボーナス付きでのうのうと乗船している。それはオカシイ」と、罵倒する場面に出くわしたことがある。
 会社の求めるままハンコを押したことを、いかに後悔しているかを訴えるため、一升瓶をさげて毎夜のように私の部屋を訪れる者もいた。この頃の船内で私が垣間見た人間模様の一部である。
 私も「日本人船員の数が少ないほどラクだ」という想いが何度も脳裏を横切ったことを白状する。

期間雇用船員の生活保障
 船員にとって陸上での休暇は、労働力の再生産のために必要な時間と位置付けられる。だが期間雇用船員にとって下船は失業を意味し、休暇と呼ばれる優雅な時間の始まりではない。
 手取り10数万円の失業手当では生活はおぼつかない。特に大学生、高校生の子女を抱える船員家庭の生活は容易ではない。
 そこでそれぞれが何らかの副業に就くことになる。漁業、農業の手伝いや魚の運搬船乗り。地元で家族の元で働ける者はまだマシで、 
 郷里に荷物を置いて、直ぐ都会へと舞い戻り飯場へもぐりこむ者、違法白タクのドライバー等々稼ぎ先はさまざまである。(羅針盤3号・外航船員ゼロへの軌跡・失業船員の運動を参照)
 私も昼間は警備員として工事現場出入り口での旗振り、深夜は宅配便の集荷場の仕分け作業と、掛け持ちのバイトを余儀なくされた。 
 労基法37条は休日や時間外労働に2割5分以上の割増賃金を定めた規定である。期間雇用船員に、年間120日に及ぶ休日・祝日労働への対価が及ぶ仕組みがあれば、生活が成り立ったと思う。
 船員保険料の負担を嫌う船主からは、年金受給者が歓迎され、現役船員が忌避されるケースも存在したようだ。期間雇用船員の世界では労働条件の改善も法違反も放置されたままであった。

期間雇用船員と誇り
 北米東岸の某港で鉄鋼製品揚げ荷のためG号は停泊していた。私は夜半に目を覚まし煙草を吸いにサロンへ行く。アコーディオンカーテンで仕切られた隣室の声が筒抜けである。全員日本人による「肩ふり」が延々と続いていた。
 船社、商社、サーベヤー、荷受業者そして運送業者。商社の駐在員を除く全員が船員養成大学や高専の出身者である。その中のひとりが「いまどきこんな船によく日本人の船機長を乗せますね」と口火を切ると、同意する発言が重なる。つい先ほどの私の前での「肩ふり」では、日本人船機長とフィリピン人乗組員のコンビがベストということで意見が一致した彼らであったが、本音は違ったのだ。
 こうした謂わば身内からの陰口を耳にするたびに打ちひしがれた気持ちに陥った。
 ファンネルマークの会社(大手船社)に所属する船員かと聞かれることがある。マンニング会社からの派遣だと答えると、一転して見下したような態度を見せる者もいる。
 若い一航士や一機士の多くが期間雇用の職場に定着することなく船を去って行った理由は、賃金などの労働条件ばかりではない。先の見えない将来であり、浴びせられた侮蔑の言葉であり、傷つけられた誇りだったと思う。
 期間雇用という個人契約は黄犬契約そのものである。イエロードッグとは、臆病で卑怯な裏切り者を意味する英語に由来する。
 だが、期間雇用の職場で出会った者の多くは、船員職業にこだわりを持つ人々であった。大手船社に所属する船員に負けない誇り高い船員集団だったと思う。
 産別労働運動の最大のテーマは企業社会の超克であろう。その為には専属雇用以外の雇用形態がもっと追求されてよい。だが、何よりも労働法などに照らして適法なこと、すべての船員に対して公平なことが必須の条件である。
 無法の海は多くの無念を呑み込みながら澱んでいった。澱みの濃度を高めた海に棲む者は、やがて限りなくゼロとなる。


  (次号へ続く 元外航船員)