伊藤 敏(元外航船員)

第十八章 新マルシップ混乗(一)
中執原案の提起

 1987年緊急雇用対策の労使合意があった。同年12月、海造審のフラッギング・アウト問題ワーキンググループで「フラッギング・アウトの防止策」についての審議が始まる。
 船主協会が出した案は、
①海外貸し渡し方式(マルシップ方式。)、②先ず計画造船の新造船から。その後全船へ、③船舶職員法20条特例により日本人職員を4名とする、であった。
1888年11月の組合大会は、土井組合長から、中西新体制を選出した。大会では、「日本籍船への外国人船員導入断固反対」を決議した。論議の中で、本部側は、
「もうわれわれは、二度と出せないほどの血を出した。これ以上自助努力を求められても応じる意思は毛頭ない」とも述べた。
 未だ緊雇対の時限措置の期限内であり、既に外航2船団船員が1万人を割り込む中で、各社で緊雇対終了後の中期雇用計画が労使確認された直後のこの時期、組合本部としても当然の方針であった。
 ところが大会直後の12月、海造審ワーキンググループの報告が出された。中執は、外航雇用対策委員会に対してマルシップ混乗を主体的に取り組む方途について、検討と建議を求めたのである。方針の突然の豹変に誰もが驚いた。
 組合は船協案の日本籍船への外国人導入は断固反対だが、雇用確保のため主体的に取り組む混乗は別物だという強引な理屈である。
 職場委員と全国委員有志22名は、大会決定違反(規約第35条A項)として質問状を中央執行委員会へ提出したが、無視された。
 船協案の日本人職員4名に対して、日本人職員6名、部員3名の計9名として大衆討議に付されたのが、中執原案である。

(注)マルシップ混乗とは
 外国人労働者の受け入れが陸上では閣議了解事項として制限されているのと同様に、海上でも日本籍船への 外国人船員配乗は原則不可であった。唯一認められ外国人船員配乗への道を開いたのが、船舶職員法20条特例による有資格者の低減である。
 日本籍船であっても海外(ペーパーカンパニー)へ裸貸し渡しされているので、閣議了解事項の範疇外とし、運輸大臣の裁量による特例を認めたのである。
 マルシップは、材木船等が近海から総撤退する際急増し、一時は400隻以上に及んだ。しかし、旗国主義を取った改正STCW条約が批准され、へっぐ事件(フィリピン領海での襲撃)や日昇丸事件(米国潜水艦による当て逃げ事件)でマルシップの存在が社会問題化されたことから、特例は5年後に廃止することになっていた。

新たなマルシップとは20条特例を恒久化し、更に外航全体にまで広げようというものである。

闇へ葬られた反対意見
 雇用対策委員会へ提出された「新たなマルシップ混乗導入に反対する意見書」(石附征夫・国際マリントランスポート、柿山朗・新昭マリン、児玉敬一・ジャパンライン、桝本進・日正汽船、浜口省三・新和海運の5名の委員による共同提出)は、付帯意見として位置付けられ中執へ建議された。
 だが、中執原案に強く反対したこの意見書は、大衆討議から除かれ陽の目を見ることは無かった。
 以下紙幅の都合から、特に重要な指摘を抽出して紹介する。


(1)マルシップ混乗に賛成できない理由
 ①緊雇対の失敗を再び繰り返すことになる。
 ②海技の伝承を困難にする。
 ③中小船社の危機を招き、外航海運の再生とは成り得ない。
 ④近代化路線と両立しない。
 ⑤国内法、国際法原則からの逸脱である。
 ⑥外国人船員との差別の中では、日本人船員のみの福祉向上等は極めて困難となる。日本人船員と外国人船員(特別組合員)の労働条件に差をつけることは、国籍差別を禁止している国際条約や国内法(例えば労基法3条)違反に組合自ら手を貸すことになる。又、組合員の平等を定めた組合規約の精神に反する。
 ⑦コスト競争力に基づく特例マルシップ混乗導入は日本商船隊の混乗化を一層加速し、多数が外国人という組織構成となり、外国人との差別を解消しない限り満足な組合運動は難しく、団結権・交渉権が困難化し、ユニオンショップ制の崩壊につながる恐れがある。


(2)マルシップ混乗導入への 対案・政策対応
 ①規制緩和から、助成と規制への政策転換
 ②組織内外の世論を盛り上げる
 ③船員への直接助成
 ④PSCの強化、FOCやマルシップの違法、脱法に対する監督強化
 ⑤安全や環境問題への影響から、マルシップや日本船主支配のFOCに対して真正な関係を求められるのは必至である。従ってこれら船舶の外国人船員に対する労働条件や労働環境の改善、安全教育の充実などで、先進海運国として国際的な規範を示し得るものへ引き上げる。同時に労基法および社会福祉法の「内外無差別の原則」に基づき、国内諸法規との整合を図る。
 ⑥運賃基盤整備のため、ハンブルク・ルールや定期船同盟憲章条約の批准、特恵運賃の積極的支持や海造審の利用により国、荷主、船主の共同によるコスト負担を図る。
 今海員組合の運営に必要な収入の6割は、7割を占める非居住組合員(外国人船員)に負っている。  
しかし、彼らに組合員としての権利を認めていない。意見書はこの歪んだ姿を20数年前に既に予見し、あるべき方向を示している。
 汽船部委員会はこの意見書こそ現場の総意として採用すべきであった。そこには、外航船員ゼロではないもう一つの道があり得たに違いない。

実録・汽船部委員会
 1989年9月7日、東京・六本木の海員組合本部地下大会議室。 
 この日はその後の日本人船員社会の凋落を決定づける最悪の日のひとつとして今なお記憶に留める。
 召集、開催された汽船部委員会は、大衆討議に付されていた中執原案の賛否を問うもので、従来にない激しい論議が交わされた。
 以下汽船部委員会の論議の再現を試みる。公正を期すために発言内容は「海員」89年10月号の記述を引用する。


沖の声は届いたか
 村上一彦(晴海船舶)「現場から寄せられた電報は飾り気のない大事な沖の声だ。担当支部から大衆討議の意見を出すように指導された。ところが全然あがってこない会社もある。なぜか疑問である。 
賃金や休暇とは意味が違う。重大性をおびている。大多数の意見は新たなマルシップ導入は反対だ」
萬治隆生(日本郵船)「職場委員は世の中の動き、海運の動きを理解し、パイオニアの存在になるのが務めだ。今度の混乗はどういうものか、それは海運伝承を踏まえ、なおかつ国際性を要求される職域になっているということだ。その流れの中で、社会の歯車として対応しなければならない」
 村上一彦(晴海船舶)「組織として討議を促進したのに、意見が現場から出ないのはおかしい。それと職場委員の立場は、現場を管理するものではない」
 板東康文(太平洋海運)「わが社の船から電報が届いていない理由は、訪船の度に船内大会を開き、議論し理解されたからだ。現場の考えは、これからは現実を踏まえ、付加価値を高めながら強く生きようということである」
 安藤美雄(商船三井客船)「沖からの電報は片寄っている。沖の声をそのまま取り上げているのは賢明ではない」
 石附征夫(国際マリントランスポート)「外航の20%の船から電報が来た。そのうち80%が反対している。これを無視して決定すると今後の展開はまずくなるのではないか」


外航最後の大衆討議
 各社職場委員へ現場意見の提出を求めたのは、川俣恭平関東地方支部長である。新方針は外航船員にとって重大な岐路、というのが支部長の認識だったと思われる。
 汽船部委員会に先立つ支部での職場委員連絡会では異例なことに、出席した職場委員全員に新たなマルシップ混乗導入についての意見が求められた。総じて出席者の感想は「時の流れ」というものであり、その場は重い空気が漂っていたと記憶する。   
 手元に「どの船も思いはひとつ」という資料集がある。マルシップ混乗について、汽船部委員会へ寄せられた現場意見の綴りである。
 以下に意見を寄せた59隻の船名を列記する。その背後には、職場で新マルシップ混乗導入の是非を論議する千名は優に超える組合員が存在する。集約された意見は地球の隅々から組合へ打電された。「大衆討議」という海員独自の組合民主主義を発揮した最後の例として、59隻の船名は記録される必要がある。
 以降、日本人船員がごく少数乗り組むに過ぎない外航では、船内委員会が機能することは困難となった。少人数配乗の結果、生産点である船内職場での闘いは放棄されたに等しく、労働組合として失ったものは大きい。
 新豊丸、城山丸、鳳丸、翔鵬丸、国東丸、九石丸、もんぶらん丸、新鋭丸、神和丸、らんばーと丸、くろーばーえーす、まーきゅりーえーす、あるぷす丸、ぱしふぃっく丸、コスモジュピター、アトランチック・フォーカス、ALLIGATOR HOPE、じゃぱんでーじー、PRIMROSE、ひまらや丸、アトランチックドリーム、新洋丸、AQUA GARDEN、昭鵬丸、雄洋丸、神東丸、日武丸、熱田丸、建川丸、NADA-V、NADA-3、妙光丸、ろんどんはいうえい、黒滝山丸、れいんぼうえーす、浅香山丸、扇鵬丸、昭隆丸、ベニークィーン、扇和丸、KOHO、ブライトデユーク、コープサンシャイン、リバースター、コンコルドガッサン、神悠丸、コスモアンドロメダ、天栄丸、伊勢丸、宇佐丸、ジャパンリンデン、VASILCOS、音戸丸、産和丸、千城川丸、日信丸、東京ブルークルーズライン出向者一同、富士汽船長崎地区予備員一同、国際マリン口之津予備員一同。


部員の雇用は
 庄島久實(新和海運)「部員の平均年齢は42歳。その人たちが免状を取得して職員で乗船できるのか。取得できない人の扱いは」
 野村汽船局長「部員の職員化を開拓していくなかに、なれない人を切り捨てるようなことは全く考えていない」
 近江徹正(ジャパンライン)「海技免状の軽減措置といわれるが、どう求めるのか。何人の人に免状を取らせるのか。何隻に乗せるのか、具体的には何もない。これでは職域を守れるか疑問だ」
 佐々木政策局長「無資格者への免状交付は無理。まず、無資格の人は四級や三級の限定資格を取得してもらう方向で取り組んでいる」
 浜口省三(新和海運)「配乗基準は9名を守ってくれるのか。部員の新規採用拡大は、マルシップ混乗拡大後ではむずかしいのではないか」
 野村外航局長「部員の新規採用はむずかしい問題だ。フル配乗が守られるのであれば、こうした構想は出てこない」
 近江徹正(ジャパンライン)「これは部員いじめだ。中執原案は組合主導で、部員の職域をなくそうとするものだ。免状を取得しても職員になれるという雇用の確かな裏づけがないから、部員は不安感を抱いている」
 中西組合長「部員の雇用展望は三部協で、近代化に取り組むにあたり、資格を取らなければ残れないということで合意している。労働者が抵抗力をつけるためにはセールスポイントを身につけるべきだ」
 部員の雇用確保について具体策はなく、職員の免状を取って自力で這い上がってこい、というのが組合の唯一の部員対策であった。


政策支援は
 井口真司(正福汽船)「行政に対し施策を求める中で、われわれはどの選択をするのか。海員組合が政府と話し合い、船主に納得してもらわないと、フラッギングアウトは止まらない。困っているのは組合と国である。労使一体というより、政労一体となって対応すべきではないか」
 児玉敬一(ジャパンライン)「これほど重要な問題を今急いで決める必要があるのか。計画造船の維持は焦眉の急だというが、計画造船の意義は?周囲の環境が熟してくれば、次年度以降復活できるのではないか」
 柿山朗(新昭マリン)「若い人は混乗ということでやめていっている。職場の実態をみてほしい。計画造船は運輸省の権益を守るためのものだ」
 萬治隆生(日本郵船)「海運における政策支援は計画造船しかない。マルシップ混乗への取り組みで配乗隻数を増やしていかなければならない。国際化の一環として取り組まないと日本人船員は不経済集団でしかない」
 山口喜春(富士汽船)「以前、計画造船をやるからとして集約をしたが、メリットがあったのは荷主と造船会社だけだ。われわれはすべてをもぎ取られた。1万人の雇用を守るといっても船は出て来ない。緊雇対はそうした状況を作った。弱者を救済するのが労働組合ではないか。計画造船と雇用とどちらが大事か」
 野村外航局長「計画造船には相当批判があり、ゼロから復活させることは容易ではない。大会まで待てばよいとは考えていない。計画造船は雇用を守るためのひとつの柱となっている。無くなればはるかにむずかしい雇用確保の闘いとなる」
 中西組合長「われわれが金融支援をボツにするという方策は賢明な選択ではない。提案には長期的問題もある。短、中、長期の問題を一括して考えると齟齬をきたす」


中執原案の採決へ
 まず、沖の組合員も含めた一般投票で決すべきだ、という議場からの提案は本部により否定された。
 高橋二朗(国際マリントランスポート)「FAX「海員だより」で中執原案が取れない船もあった。これほど重大な問題は全国大会まで待つべきだ」
 伊東寿明(新和海運)「中執原案は時間をかけて検討すべきだ。大会でやるという方向で緊急動議を出す」
 結局、緊急動議は、賛成21名で否決された。この時、手を挙げたのが村上一彦(晴海船舶)さんである。
 村上さんは、「この採決で、部員が消え、中小労も消えるだろう。部員と中小の代表として採決に加わることは良心が許さない」と発言し、採決への抗議の意思表示として、退場した。
 中執原案への無記名投票の結果は賛成84票、反対35票で可決された。8割の沖の声が反対しても、議場での反対は3割に過ぎない。
 今、故郷の南津軽でりんご農家を営む村上一彦さんは、当時を振り返って次のように述べる。
 「部員を30年やっていたが、25万家族送金すると手元には4万しか残らなかった。当時、近代化資格を持たない部員は、乗る船が無く5~6ヶ月も自宅待機している状態だった。働く仲間を大事にする、という肝心なことを忘れ、計画造船維持の論議にすり替わっていったのが、あの時の汽船部委員会の論議だったと思う。結果的に、緊雇対の失敗を繰り返し、船員にとって取り返しのつかないことをしたのではないだろうか」

全員日本人の頃の船内ミーティング

幻の政策支援
 円高と慢性的船腹過剰による長期不況下において、組合は船員への国の政策支援を引き出すための最善の方法であると判断し、「緊急雇用対策」に踏み切った。結果として、組合員の半数に及ぶ大量解雇と引き換えに得られた海運政策・船員政策は無きに等しい。
 今回も運輸省はマルシップ混乗導入について、国家助成を行うとは一度も言ってないのに、マルシップを主体的に取り組んだ結果、緊雇対と同じ道を辿ったのである。
 計画造船=船員政策=国家助成=雇用確保という架空の絵を描き、計画造船イコール雇用確保という
幻想へと現場組合員を誘導し、決定づけたのが、汽船部委員会であった。今なお、怒りとともに心中に渦巻くのは、運輸省や船主は本気で計画造船を継続する気があったのかという疑念である。
 1982年、既に利子補給は打ち切られていた。新マルシップ混乗導入を決めた翌年の1990年には、計画造船という用語すら廃止されている(日本の外航海運の歴史・日本海事センター)。計画造船の運命を察知したうえでの新マルシップ混乗導入論であったとすれば、官労使一体となり、現場船員へ行った欺計というほかない。
 新マルシップ混乗は原則として計画造船の新造にのみ認められるはずであった。だが現実は、近代化船や在来船が混乗化され、その結果部員が放逐されていった。 
 計画造船という架空の絵は、日本人船員の職部一体の労働が織りなす「世界一の海技力」をも破壊したのである。 


(次号へ続く 元外航船員)