伊藤 敏(元外航船員)

第十章 船員制度近代化(続)
円高が近代化を潰したのか

 1985年のプラザ合意は、小さな政府を掲げるレーガノミクスの生み出した双子の赤字を解消するために、アメリカがドル安、円高へ誘導した国際合意である。
 「プラザ合意による急激な円高を契機に、船員制度近代化は国際競争力を失い、日本人船員による日本船の確保は困難となった」、このような記述にしばしば出会う。船員の歴史として、こうした総括が果たして正しいのだろうか。だとすれば、アメリカの国益のために船員は犠牲になったことになる。
 だが、ひとりの現場船員としてそのような総括に違和感がある。
 プラザ合意以降の超低金利政策により、円安で為替相場が比較的に安定していた時期もあった。円高を免罪符に、遠い向こうの国の出来事への責任転嫁の意図を感じてならないのである。
 77年の近代化調査委員会から、97年の近代化委員会の解散までの20年、外航船員に何がおきたのだろうか。
 プラザ合意前年の84年8月に発表された海造審の中間答申では、FOCなどを日本商船隊の一部と認め混乗を導入すること、6~7千名の余剰船員の整理を求めている。87年にパイオニア実験へ踏み出した年に、緊急雇用対策が労使で合意され、88年には新マルシップ混乗が始まり、91年のビジョン検討委員会での近代化船への混乗導入の検討へと続く。
 終わりのないマラソンといわれた近代化の20年の裏側では、船員の整理と総混乗化が進行していたというのが事実であり、現場船員としての実感である。88年から92年までが、バブル景気の絶頂期とされるが、ひとり船員は苦しみの中にあったことになる。
 外航船員暗転のメルクマークは、プラザ合意の85年ではなく、75年の仕組船認知論とした理由がそこにある(創刊号参照)。近代化を潰した主犯は円高ではない。


近代化が潰した職能
 前号で、船員制度近代化は最も弱い立場にある部員と通信士の職能を潰したと書いた。では、職能とは何か?
 海上文化活動家集団のあへっど臨時増刊号・「船員制度近代化批判」(81年9月)の中で吉田氏は
「職能というものをどうとらえているのか。船が危険な状態に陥った時、各職能がどんな役割をはたすのかという位置づけの上に各職能は存在している。それを単なる身分と考え、部員が職員になるとか、誰でも船長になれるということに擦り替えてしまう、そのことによって従来の重大な職能が切り捨てられてしまう。それでよいのか、それで安全が守れるのか。」
と述べている。
 11名の極少定員のパイオニアシップの現場ではどうであったか。乗組員の感想(パイオニアシップ実験評価報告・89年6月)から拾ってみる。
 「少数化が進展すると各乗組員の技能や経験に負うところが大となるので、原職ベースでの就労配置が必要」。これが多数意見である。
 そして実態は、「一航機の反対職へのかかわりと言えば聞こえが良いが、単なる休日代替要員」であるとしている。また将来については、「11名体制ではOJTによる反対職務の技能レベルの向上は難しい」 「専門分野は個人が経験して得た技能で処理されている。今の近代化ではこれらの専門知識は育たない」と悲観的だ。
 そして「強いて一航機のワッチオフィサーを乗せる必要がない」「現状は一航が荷役・運航、機関長と一機が保守整備の実質責任者だが、休日代替で整備を離れ手薄になるから完全なワッチオフィサー化は不要」というのが、大方の結論である。
 現場報告は、頭数を減らせば減らすほど、原職へ帰らざるを得ない近代化の矛盾を訴え、職能が安全な船舶運航の基礎単位であることを明らかにしている。官公労使が職能を否定し、コスト追求を徹底した結果、行き詰ったのが船員制度近代化であった。


海員における職能の歴史
 戦後、海員組合は産別単一組織として出発したが、組合員意識以上に各社毎の職能の結びつきは強く、企業横断的な職能団体が次々と設立された。そして、1964年には航海士会、機関士協会、通信士協会、事務長事務員会、部員協会の5職能団体による職能団体懇話会が結成される。
 手元の職能団体共同ニュースには、5千円一律賃上げ、船舶士構想反対、災害防止、船医乗船要求などの職場要求から、ベトナム戦争反対や政党支持の自由といった政治要求まで、統一要求として並べてある。

熟練・缶前の機関部労働

 職能団体懇話会は、その後の組合幹部リコール運動の核ともなったが、この時点をピークに職能間の結びつきは次第に弱まっていく。
 それは、65年の海運集約を契機に企業基盤が整備、強化され現場船員の企業ごとの囲い込みが始まったこと、各職能団体も「船舶士構想」や「スパイラル構想」を巡って方針の違いが露になり、統一した運動への気運が弱まってきたことによる。
 その中で、唯一職能としての結束を見せたのが船舶通信士である。戦前の無線技士倶楽部からの歴史をもつ職能団体である通信士協会が、船舶通信士労働組合として旗揚げしたのは、72年1月である。
独立のきっかけは4年前の電波法改正に伴う、通信士の定員削減問題にあった。海員組合が少数職能の直接問題を、全組合員投票にかけ、しかも52%という過半数をわずかに超える賛成率で強引に押し切ったことにある。
 「賛否の船内表決を、無線電報によって報告するという業務上の任務を遂行しなければならなかった。減員支持の表決数を自らの手で打電するという、通信士にとって苦悩をきわめた手段を取らせた」ことへの怒りがあった。
 船通協「労組結成準備委員会」は、「産別組織とはいかなるものか。①組織の末端まで組合民主主義が徹底し、組合員の利益が公平に保証される、②政治信条その他の多様な考え方をもつ組合員が要求で統一されたものであるから、政党支持の自由が確立されていること」と説く。
 こうして「わが国で初めての純粋な職能別組合が誕生」(68年1月23日毎日新聞)した。
 船通労結成を契機に、その反省から海員組合では、規約改正が行われ職能の重大問題では一般投票について3分の2の賛成が必要なことや、各部協議会(職能別協議会)の規約上の強化が図られることとなる。職能の権利主張は、「産別を守れ」という掛け声の中では常に職能のエゴとして退けられてきた。欧米で船員制度近代化同様の試みが実現しなかったのは、職能別組合の壁であったと思う。
 「産別とは何か」を一現場組合員として自問し続けた私が長い年月をかけて辿り着いた結論は、「所属する企業や職能の大小、船内職務の上下に拘わらず、一人ひとりの権利が等しく保障されること」であった。
 30年を経た今、眼の前にあるのは、部員も通信士も消えて、実質的に残ったのはN、M、Kの大手3社だけという現実である。


職能の今日的な意義
 私は今、地方都市で非正規労働者や日系外国人を中心とする小さなユニオンへ出入りしている。同じ職場で短期契約を繰り返している派遣労働者は、「正社員以上に仕事が出来ても、いつまでたっても賃金は正社員の3分の1」と自嘲する。別の者は「今日はこっち、明日はあっちでいつまでも仕事を憶えられない」と嘆く。
 彼らに「海員組合の労働協約では他社歴を9割みてくれる。これは会社在籍期間の評価ではなく、機関士や甲板手として他社で働いた職能への評価だ」と話すと目を輝かせて耳を傾ける。新自由主義の結果、実に労働者の4割を占めるに至った非正規の人々にとって職能とは希望であることに気づく。
 原発や相次ぐ製薬会社のデータ改竄、三菱自動車などのリコール隠し、偽装建築から偽装建材、雪印・赤福など食品偽装も枚挙にいとまがない。企業社会そのものが病み、企業と社会の間の傷ついた亀裂を見せつけている。戦後日本を牽引してきた企業別組合、終身雇用、年功賃金が耐用年数を超え、企業への忠誠心と職業的な良心が乖離してきたからに他ならない。
 企業の枠を超えて自らの知識、情報、職業倫理の交流と討論を行い、企業のあり方を批判的に問うことができることに職能の今日的な意義がある。欧米のように職業や職能別の連帯の可能性が、もっとこの国でも追求されて良い。
 日本人船員は殆ど消えたが、大量の非居住組合員やフィリピン、中国、インド、クロアチアやベトナム等々外国人船員は存在する。
 利潤を動機とする企業、更には国益を動機とするナショナルを超えて、船舶の安全や船員の人権についてただすキーワードは「職能への共感」ではないだろうか。

ピストン抜きするフィリピンクルー

海技の伝承問題
 運輸省船員部長の私的諮問機関である「海技の伝承問題検討委員会」から91年5月に報告書が出された。ワイングラス型の年齢別人数の図を示しながら、船員の高齢化が進み、若者の船員志望者が減少し、このままでは日本人船員の将来的な確保が困難になると指摘している。そして対応策として船機長クラスへの早期昇進と定年制の弾力的な運用、若者の船員教育機関への誘致、新卒者の採用と定着をあげている。
 それでは、船員制度近代化が始まった頃就職した若者の多くが、緊雇対を機に船を去った事実をどうみるのだろうか(緊雇対では28~35歳の職員の6割、35歳以下の部員の7割が退職した)。
 近代化は若手職員・部員いずれにとっても両用化であり減員であること、混乗は船機長主体の配乗体制であるから、若手は不要ということである。逆ピラミッド型の人員構成では、若者に技術習得の場がないことは明らかだ。海技の伝承には、各職能が切れ目なく育つ船内職場が必要だが、そういう環境を若者は見出せず、将来性、安定性、働き甲斐、いずれにも絶望したことを意味する。
 同報告書に関連して、服部孝章立大教授は「海運と船員職業のPRに常設機構を設けよ、リクルートに金をかけよ」と提言する一方、「かつて海運はかなりの合理化をした。そのつけが今来ている」とも述べている(海上の友・91年6月)。しかし報告書は、混乗や近代化というコスト主義の結果として、海技という技術を持った「ヒト」の伝承を不可能にしている根本原因については何も触れずに終わっている。
 鹿児島県串木野市羽島地区、この地は多くの船員を輩出してきた。「海交会」という留守宅を束ねる家族組織の堅固さで知られる。91年の頃、海を見渡す「海交会」の集会所での雑談の中、商船・水産系学校など船員養成機関への若者の進学率を尋ねたところ、居合わせた婦人に「父親やオジたちが、首を切られたのに誰が息子を船にやるものか」と、一蹴された。
 おそらく伝統的な船員の出身地である島原半島、能登や新潟・村上でも同様であろう。船員は船内だけで育つわけではない。多くの船員を送り出す風土、文化の中で育まれるのである。近代化の20年は、総混乗化や緊雇対という契機と絡まりながら、海技が「ヒト」の問題であることを置き去りにして、技術、職能、職業だけでなく文化の根をも断ち切ったのである。


船員の技能の現在
 2006年10月、パナマ籍の大型鉱石船ジャイアントステップ号が、鹿島沖で折損、横倒しになり、8名が死亡・2名が行方不明になった事故は、報道写真とともに、依然記憶に生々しく残る。その後もエンジン故障、火災、バラスト操作のミス、不十分な見張り事故とマスコミを賑わすような事故例だけでも列記すればキリがない。
 いずれも外国籍、外国人の乗り組みであるが、日本の船社の支配下にあり、日本商船隊の実像である。天候に対する認識不足、機器の整備不良や操船ミス。その殆どが初歩的な技能不足と推察が可能である。
 今、外航船の状況はどうなのだろうか。船橋へあがって驚くのは図書室と見違えるほどのファイルや書籍の多さと電子海図をはじめとする、数え切れないほどのパソコンである。五感を研ぎ澄まし見張りに専念する、というのは昔のスタイル、といわんばかりだ。
 ファイルや書籍はマニュアルや手順書、チェックリストの類である。
 ISMコード条約よるSMS(安全管理システム)の導入以来、何かあれば先ずは、会社の管理者への報告が優先する。陸に優秀な監督がいれば、船に海技力は不要という発想が根底にはある。船舶の自己完結性は、もはや期待されていない。ここに事故多発の原因があるのではないか。
 2011年6月22日、女性2人を含む16名の3級水先人が誕生した。従来の免許制度に風穴をあける画期的な登用ルートとされ、交付式では三井国交副大臣から直接免許を手渡された。水先業務への競争原理の導入の掛け声のもと、指名制度、料金の上限認可制などとともに採用されたのが新たな水先資格である。船員出身者でなく、つまり航海当直すら経験していない者が水先人になるのである。
 航海の一部である港内や湾内を切り取り、シュミレーターで育てることが可能なのか、外国人船長に水先人が嚮導(きょうどう)を拒否される事態が起きないか、多くの水先人は本気で心配している。
 ここで、海民懇のプロモーターであり、雇用センターの初代会長であった壺井玄剛氏に再度登場してもらう。
 「日本船員は優秀だといわれ、それが唯一のセールスポイントであったが、必ずしも皆がそうおもってくれない」「最近の日本船員は働かない。船の手入れも欧米人にはもちろん、韓国人や東南アジアの船員よりも劣って赤錆だらけである。そのような日本船員を見て誰も日本人船員の優秀さは認めてくれない」 「休暇が多すぎることである。4ヶ月乗船して2ヶ月休み、船内で1週間に1日の休日がある。これでは技術的にも習熟のしようがない、ということだ」(80年海難と審判55号「提言・船員の体質改善」)。
 半年で2千時間に達する労働時間。原油ターミナルで2昼夜ぶっ通しで働く船員たち。日本人船員を評価してくれとは、言わない。ただ真っ直ぐに労働をみてほしい。船員の周囲の悪意が日本人船員を潰して、海技の伝承すら困難にしたのではないか。
最後に部員協会の機関誌「海論26号」に寄せられた、織田洋三氏(元甲板手)の詩を紹介する。

『海の男たちに』
ボイラーの神様や
ボルト増し締めの天才
雲を眺めては気象の激変をピタリ
とあてた超能力者たち。
あの人たちは、世界に誇る海技力を
ズシリとかくしもっている
本ものの海の男たちだった。
今、あの人たちは
どこに、どうしているだろう。
     ◇
名船長や名機関長とは
その、本ものの海の男たちの
海技力を、たっぷりと摂取して
自己の海技力に、人一倍
ヤスリをかけ、磨きあげた
人をたたえる賛辞だった。
あの、名船長や名機関長たちは
いま、どこで
なにを思っているのだろうか。
     ◇
ニセモノの日本商船隊の
ニセモノの日本商船が航く。
神さまも天才も、超能力者たちも
いない
ズタズタにされてしまった海技力。
船長と機関長は
本ものの日本人だが、もはや
名船長や名機関長にお眼にかかることはあるまい。
そして
あの本ものの海の男たちにも…。


        (次号に続く)