(元外航船員 柿山 朗)
第一章 日本人から外国人船員導入へ
➀ 日本人大量解雇
1985年のプラザ合意後、急激な円高で日本の海運は価格競争力を失った。債務超過寸前となったジャパンラインをはじめ多くの海運会社が合理化案を組合へ提示した。いずれの提案も金融資本の主導で、日本人船員の徹底した削減が最大の目的だった。
➁ フィリピン人船員の台頭
労働人口が豊富で英語堪能な人材に恵まれたフィリピン人船員は、世界最多であり、日本国内の海運会社の外国人船員数5万6千人のうち七割を占める。
さらに大手海運会社はマニラ等に商船大学やマリンアカデミーを設立しフィリピン人船員の養成に力を入れる。
※日本商船隊に乗り組む外国人船員(2018年)
➂ 労働市場調査団派遣へ
1990年1月から、船主側は親和汽船・武内道輝社長が団長、海員組合九州関門地方支部・井出本榮支部長を副団長に計10名が調査団へ参加しマニラへ行った。
堀内靖裕愛媛支部長が、取り纏めた調査の概要は、次の通りである。
「フィリピン国の雇用政策は、海外就労により外貨を稼ぐ方針でありPOEAの事務所は活気があった。教育施設が教育の需要に追い付かず、座学に頼っているケースが大部分と思われる。
マンニング会社は、業界の競争もあり、いかにして質的に良質な船員を自社で抱え、安定した供給を行うかに重点を置いているように見えた。
フィリピンの海員組合AMOSUPは広範な組合活動を行っている。その船員の数からも、フィリピンは日本に対する最大の船員供給国と言える。船員行政の発展なくして日本海運の繁栄は期待できない、と言っても過言ではない」
第二章 日本対フィリピン
➀「隣人フィリピンとの80年」柴田直治(ジャーナリスト)
2025年岩波書店「世界」5月号に掲載。「対日感情の変遷を読み解く」との副題が付く。
柴田は「今、フィリピンは紛うことない親日国」と語る。
「フィリピンは終戦から20~30年間、アジアで最も反日感情の強い国だったことを知る人も今は少ない」
➁ アジアで最大の惨禍を受けたフィリピン
日本軍が1941年の末、一方的に進軍したことで、平和だった島々が戦争に巻き込まれた。犠牲者は111万人に及ぶ。
1945年2月、日米両軍はマニラで一カ月にわたって激戦を繰り広げ、東洋の真珠と呼ばれた街は破壊し尽くされた。10万人の市民が犠牲になった闘いでは、自暴自棄となった日本兵が残虐行為を繰り返し、強い反日感情につながった。
犠牲者を追悼する記念碑、メモラーレ・マニラ1945が戦後50年を機に建立された。
「1945年のマニラを記憶せよ」の意味である。
➂ キリノ大統領の決意
日比谷公園の内幸町交差点入口から少し入った所にキリノ元大統領の石碑がある。2016年6月、日本の政財界の支援を得て、フィリピン大使館により建立された。
1948年に前任者の急逝を受けて副大統領から昇格した同大統領にとって、最大の懸案は対日講和、特にモンテンルパの刑務所に服役中の日本人BC級戦犯の処遇問題だった。戦犯105名の運命が彼の手に託されることになった。
当時はまだ、フィリピン人の傷が深く残り、反日感情が強く、次の大統領選挙に再選を期する時期でもあったのだが、キリノ大統領は意外な決断を下した。
大統領選挙を4カ月後に控えた53年7月6日、ラジオ番組の収録に臨み、105名全員に恩赦を与える大統領声明を読み上げたのだ。親族や友人を殺されたフィリピン国民の反日感情を考えれば、明らかに大統領選に不利に作用する声明だった。
この決定のため、キリノは次の大統領選で敗れたが、憎しみの連鎖からフィリピン国民が立ち直るように訴えた。碑に刻まれた大統領声明は言う。
「私は日本人に妻と三人の子ども、そしてさらに五人の親族を殺された者として彼らを特赦する最後の一人となるだろう。私は自分の子孫や国民に、我々の友となり、我が国に長く恩恵をもたらすだろう日本人に憎悪の念を残さないために、この措置を講じたのである。」
➃ 比残留2世に「法の壁」
80歳前後のフィリピン残留日本人4名が、日本国籍取得の許可を裁判所に求めている。
4名はいずれも日本人の父を持ち、戦中あるいは戦後すぐに現地女性との間に生まれた。DNA鑑定で親族と血縁が合っても戸籍は認められないという。「日本人と認めてほしい」という晩年の願いを叶えるため、高裁でも争うという。
(朝日新聞2025年12月2日号より)
第三章 もう一つの石碑
ホセ・リサールの石碑
日比谷公園には、帝国ホテル側に、フィリピンの英雄ホセ・リサールの石碑もある。
1888年、フィリピン独立を働きかけるためにリサールはスペインへ旅立った。旅の途中で横浜に立ち寄り、一カ月半滞在した。日本の風景の美しさ、日本人の勤勉さや清潔感などに魅了された。そして武士の娘と恋に落ち、日本に住むことを真剣に考えたようだ。苦悩の末、母国での独立運動を選び、日本には二度と来ることは無かった。
スペインから帰国後、当局の軍事裁判で反乱者として裁かれ、マニラ湾の沿岸で処刑された。その後、多大な犠牲者を出しながらもフィリピン国として独立を果たしたと思われたが、スペインと米国の二カ国間交渉で、無念にも今度は米国の植民地となったのである。
碑の建立は1961年6月とある。
第四章 トランプの登場
➀ 自国第一主義の台頭
トランプ大統領の主導する「自国第一主義」は、いまや国際政治のスタンダードになった観がある。氏の自己中心の姿は、キリノ大統領が体現する「人間に対する信頼」「相手への尊敬」「地域の調和」の精神とは対極をなす。
精神科医の立場からトランプ大統領を分析した書籍『ドナルド・トランプの危険な兆候』が話題となった。分析自体、新鮮で興味深いものであったが、それ以上に米国の精神科医らが執筆を決断した覚悟に瞠目した。
分析を公表したことによりトランプ政権からの報復の恐れ、政治とは一線を画すべしという倫理観との葛藤にも悩む。それでも専門家として、悪政を証明する証人たるべし、と声を上げた勇気は、それぞれが覚悟を問われていたようで示唆に富む。
米国と対抗する中国は南シナ海の軍事拠点化を進め、ロシアはウクライナ東部への攻撃を続けている。世界のあちこちに米大統領に倣った「ミニ・トランプ」が出現し、自国第一主義が地球を席巻している。
➁ メディアの役割と責任
この情勢に、残念ながらメディアは有効に機能し得ていない。
都合の悪い情報を「フェイクニュース」と断じ、批判を「魔女狩り」と切って捨てる大統領に対し、米メディアの主張はコアなトランプ支持層には響かず、社会の分断だけが拡大すると指摘されて既に3年がたつ。
➂ メディアの原点は権力監視
日本のメディア界にも重なるものがある。長期政権を前に、時として無力感にとらわれ、批判疲れの兆候が表れてはいないか。膨大な情報が飛び交うネットという新たな情報空間の出現を、自らの影響力低下の便利な口実に使ってはいないか。
権力を監視し、問題点を指摘するのが役割の一つであるジャーナリズムの原点を忘れかけてはいまいか、との危惧が頭をもたげてくる。
第五章 台湾有事への日本とフィリピンの警戒
➀ 台湾有事と日本
高市首相は、2025年11月の国会答弁で、中国が台湾に武力侵攻し、「戦艦を使って武力の行使も伴うもの」であれば、日本が集団的自衛権を行使し得る「存立危機事態」になり得ると明言した。
これは、歴代政権が避けてきた台湾有事への踏み込んだ言及であり、中国の強い反発を招いた。高市首相は撤回を否定し、特定のシナリオの明言は慎むとした。
➁ 台湾有事とフィリピン
フィリピンのマルコス大統領は、「台湾をめぐって全面的な戦争が起きれば、フィリピンが巻き込まれずに済む方法が無い。我々は嫌でも引きずり込まれる」と危機感を表明した。
これに対して中国は強く反発する。マルコス発言の5日後、フィリピン船が中国海警局の船から追跡や放水を受けたとフィリピン側は発表した。
フィリピンでは、米国の支援でフィリピン人の避難を想定した港建設計画が進む。工事が済めば、有事の際台湾にいる10万人のフィリピン人労働者の避難が可能だとする。
(この項、朝日新聞2025年12月21日の記事より)
(終わり)


