民事裁判と刑事裁判の現状
高橋二朗(元船長、海事補佐人)
2022年4月23日に乗客乗員20名の死亡と6名の行方不明者という知床遊覧船(以下、会社)が運航したKAZU-Ⅰ(以下、本船)の沈没事故(以下、本件)が発生した。本件の発生後の民事裁判や刑事裁判について、筆者が報道から知り得た提訴の経緯および現状を簡単に紹介する。
一、民事裁判の現状
① 会社への甲板員遺族の裁判
死亡した甲板員の両親は、桂田社長(以下、社長)の安全配慮義務違反が原因として、2023年3月1日に計約1億1900万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に提訴した。
原告は訴状で、社長は実務経験がないのに運航管理者および安全統括管理者に就任し、事故2日前には船首付近のハッチの蓋が閉まらない状態が発覚したが、把握していなかったと主張。経験の浅い船長を乗船させ、悪天候を理由に「行かないほうがいい」とする周囲の助言を無視して出航させるなど、「重過失どころか故意が認められる」と訴えた。
これに対し、被告会社側は請求棄却を求める答弁書を地裁に提出した。同年11月16日に会社が甲板員の原告両親に対し、毎月5万円ずつ130年間で合計8千万円を払うとの和解案を示したという。
その後、2024年12月25日に和解調停が成立して原告が訴えの取り下げをした。
しかし、和解金額等の条件の報道はなく、詳細は不明である。
② 国への甲板員遺族の裁判
甲板員の両親は、事故は国の船体検査が不十分だったことが原因だとして、2023年9月4日に国に対し計約1億800万円の賠償を求める訴訟を東京地裁に提訴した。
国土交通省の運輸安全委員会による事故調査報告書(2023年9月4日、以下、報告書)によると、国に代わって検査を担う日本小型船舶検査機構(以下、JCI)が、本件3日前に本船の検査を実施した際、船首甲板部のハッチの開閉試験を省略して目視だけで合格とした。報告書は、ハッチの蓋が密閉できずに海水が船底に浸入したことが沈没原因としている。
原告両親は訴状でJCI検査員が検査でハッチ蓋の不具合を発見して不合格にしていれば、船は出航できず事故は起きなかったと主張。また、法令が規定する経歴も経験もない被告社長を北海道運輸局(以下、運輸局)が安全統括者および運航管理者の届出を受理した。
そして、本件事故の1年前の特別監査でも運航管理者としての社長の経歴や経験を精査しないままに本件が発生した。なお、JCIに対しても同年12月15日提訴した。
被告国は、本船の船体検査について法令によりJCIが実施していること(船舶安全法第25条)、およびハッチ蓋等の個々の設備の具体的な検査内容と方法については、JCIによる届出であって認可ではないことから国には責任がないとし、棄却を求めて全面的に争っている。
③ 旅客遺族の裁判
乗客14人の家族ら計29人は会社と社長に計約15億の損害賠償を求め、2024年7月3日に札幌地裁へ提訴した。今年7月1日に新たに乗客1人の家族4人が原告に加わった。3月13日に続き、6月12日に2回目の口頭弁論が行われた。
1回目の口頭弁論後、知床観光船事件被害者弁護団長は記者会見で、次のように発言した。
「特に本件事故に直結する最も重大な過失というのは、前部の甲板のハッチ蓋が適切に閉鎖できない状態にあったこと、という船の安全設備に関する過失。それから運航基準に定められた出航を中止すべき天候が予想されていたにもかかわらず出航した。この出航の判断に関する過失。この二点が最も重大であると考えています。」
また、「船の安全運航に対する知識も経験もなにもない。報告書が言っているように乏しいというよりも全くない。…本事件は人災なんですよ。誰一人として安全に気を配っていた人はいない。これは事故ではなく事件であるとご家族は思っている。」
これに対し被告会社側は報告書には事実認定に誤りがあると指摘。そして、会社は、そもそもハッチに不具合は認められず、国の検査代行機関のJCIの検査でも指摘されなかったと主張している。また、出航判断については、海が荒れたら引き返す「条件付き航行」を船長が決め、社長に報告したと述べ、この条件を守っていれば事故は「回避可能」だったと主張した。「船長が条件付き航行の趣旨に反して引き返さず、避難港に退避しなかった点」に限って、会社の過失を認めた。
なお、旅客遺族は、検査の甘さなどを批判してはいるが、国やJCIを提訴してはいない。
二、 海保の捜査と刑事裁判
事故から約2年5か月が過ぎた2024年9月18日、第1管区海上保安本部(以下、保安本部)は業務上過失致死の容疑で社長を逮捕し、翌月の10月9日に釧路地検が起訴した。釧路地裁は初公判前に争点を絞り込む公判前手続きを行うことを決めたが、本件から3年が過ぎる2025年4月23日の報道によるとまだ初公判のめどは立っていない。
保安本部の刑事課長は社長逮捕の記者会見で約2年5カ月に及んだ捜査について「沈没メカニズム特定のため、さまざまな鑑定や気象データ解析など、証拠を丹念に積み重ねる必要があった」と述べた。
捜査関係者によると、「1菅本部は、事故原因の解明のため、引き揚げた船体の鑑定などを実施。船首甲板のハッチが悪天候による波の影響で開いたことなども確認し、海水が機関室まで入って沈没に至ったと結論づけた。国の運輸安全委員会も昨年9月、ハッチの蓋に経年劣化や緩みがあり、船内に海水が流入したことが直接の原因だとする最終報告書を公表した。社長についても、船の運航に関する知識や経験がなかったなどと指摘した。」と報道されている。
三、裁判への筆者コメント
① 条件付き運航の誤り
本船は2022年4月23日10時ごろ、知床岬に向け、ウトロ漁港を出航したが、出航時点では海上は穏やかで、実際にウトロ漁港沖で観測された波の波高も10時の出航時点では0・5m未満であった。しかし、「気象庁の予報では、本船の出航前に既に斜里町に強風注意報及び波浪注意報が発表されており、本船が運航予定であった 10時~13時の時間帯には、北西からの風速15m/S の強風及び波高2~2・5mの波が予測されていた。」(報告書144頁)
このように、10時の出航時点で既に10時~13時は運航基準を超えた予報であったことから、運航管理者(社長)が「海が荒れるようなら引き返す『条件付き運航』として出港させた」との説明は、論理的でなく、その主張に無理がある。
② 運航管理者にハッチ蓋の動作点検の義務なし
本船の操船や出航前の安全点検や確認は船長にあることから、ハッチ蓋の正常作動の有無の点検は船長の義務であった。
他方、運航管理者については、「船舶の運航の管理及び輸送の安全に関する業務全般を統括し、安全管理規程の遵守を確実にしてその実施を図ること、また、船舶の運航に関し、船長と協力して輸送の安全を図ること等がその職務とされている。(報告書147頁、安全管理規程第18条)」
このことから、本件沈没の3日前の中間検査による船首部甲板上のハッチ蓋の検査で実際は不具合があったが、検査ミスにより不具合はなかったと検査機関のJCIが検査を合格とし、お墨付きを本船に与えた。
従って運航管理者(社長)が、ハッチ蓋に関して船長に対して特段の注意をしなかったことは過失にならず、刑事責任を問うことは難しいと思われる。

③ 運航基準違反と資格要件のない運航管理者との関連性
出航時は既に強風及び波浪注意報が発表され、本船が運航予定の10時~13時の時間帯には風速15m/S 及び波高2~2・5mの波が予測されていたので、明らかに運航管理者は出航基準に違反して出航させた。
報告書147頁に記載のとおり、「運航管理者は、気象・海象に関する情報等、航行の安全の確保のために必要な事項を把握し、船長からの求めに応じて情報提供を行うとともに、必要に応じて、運航中止措置に関する助言等の援助を行うこととされ、また、運航管理者が運航基準の定めるところにより運航が中止されるべきであると判断した場合には、船長に対して運航の中止を指示しなければならないとされている(安全管理規程第24条、第25条、第29条)。」
このように、運航管理者は、船長による運航可否の判断等にも深く関与することから「船舶の運航の管理に関し3年以上の実務の経験を有する者」と規定されているが、社長はその資格要件に該当しなかった。
しかし、運輸局は社長を運航管理者とする届出内容を本件1年前の特別監査でも後述(四の③)のように精査しなかった。そして、資格要件や経験のない社長を運航管理者として放置した。その結果、社長に運航管理者として安全運航の業務を担わせて本件事故の発生の原因をつくった。運輸局の責任は重大である。
④ 運航基準違反による出航とハッチ蓋の不具合の関係
仮に船首甲板上のハッチ蓋の不具合により船体内部に海水の侵入したことが沈没原因ではないとすれば、運航基準に違反して出航させた運航管理者の注意義務違反(過失)により、天気予報通りの強風と波浪の悪化が唯一の原因で浸水し、本件が発生したことになる。
しかし、強風と波浪が唯一の原因で海水が船内に侵入して沈没することは、元船員としての経験からあり得ないと思われる。
従って、運航基準に違反して出航したという過失がなければ、本件は発生しなかったという単純な「条件関係」に基づく因果関係となる。
他方、ハッチ蓋の不具合がなければ、本件発生の可能性はなかったという因果関係となる。何故なら、同様の強風と波浪に遭遇した場合であっても、厳しい運航には違いないが、ハッチ蓋の不具合がなかった場合は船内に海水が流入する事態を想定しがたいからである。元船員としての経験からそう思う。
つまり、本件事故の発生原因は、運航基準違反による出航と、ハッチ蓋の不具合という二つになる。
四、安全運航は船側と行政側の双方で担保される
海難事故の発生防止は、本船を現場で運航する船側(船長・運航管理者・船舶運航統括者)の積極的な遵法精神と経験と知識、および行政側(北海道運輸局・JCI)の適切な法令の下での指導・監督が必須であり、安全運航の責任は、船側と行政側の双方にある。
本件は船側と行政側の双方の注意義務が同時に果たされなかったことにより発生したことは間違いない事実である。
① 本件発生に至る事実
本件の場合、出航基準に違反して出航させたこと、天気予報通りの強風と波高であったこと、船首部甲板上のハッチ蓋に不具合があったこと、および船体に海水が侵入し沈没したことは事実である。
この4つの事実は、知識と経験がなく法令上の資格要件を欠いた運航管理者の出航の判断ミス、そのような運航管理者を本件1年前の特別監査でも資格要件を精査しないまま認めた運輸局のミス、およびJCIのハッチ蓋の検査ミス、これら三つのミスに因って本件が発生したことを物語っている。
② 運航管理者を届け出る際、会社は虚偽の記載をしていない
事故後の2022年6月16日、運輸局は「有限会社知床遊覧船に対する事業許可の取消処分について」を公示した。
その公示の別紙1に本件の特別監査において確認された法令違反事実の一つとして、「会社は、社長を運航管理者に選任する届出にあたり、社長が運航管理者の資格要件である「船舶の運航の管理に関し3年以上の実務の経験を有する者」に該当しないにも関わらず、該当する旨の虚偽の届出を行っていた。(海上運送法第50条第9号)」と記載されている。
また、別紙2の3行政処分で「特に、社長は虚偽の届出により運航管理の要件を満たさず運航管理者となっており、 安全管理体制の要となる運航管理者の実態が存在しない状態となっており、輸送の安全確保の仕組みを著しく形骸化させた。」と記載されている。
しかし、会社は運輸局に社長を運航管理者として届け出るにあたって、虚偽の経歴を記載したことはなく、全て事実に基づく届出であった。会社は虚偽の届出を行っていない。
届出書の記載内容を2回とも精査することなく、本件発生まで資格要件や経験のない社長を運航管理者として放置したのは運輸局であった。
③ 運輸局の職務怠慢
報告書77~78頁によると、「北海道運輸局の回答書によれば、同局の運航労務監理官は、届出書等の受理時においては、安全統括管理者資格証明書及び運航管理者資格証明書に記載されている「船舶の運航管理補助」及び「小型船舶協議会会長」の経験は、安全統括管理者の資格要件及び運航管理者の認定基準を満たす業務経験であるとの認識であった。」
「しかし、本事故発生後に実施した特別監査(令和4年 4月24日~5月23日)における関係者への聴取を通じて、「船舶の運航管理補助」については、運航管理の実務経験がほとんどなく、「小型船舶協議会会長」についても、実際には「知床小型観光船協議会会長」であり、運航管理の業務実態のない職であったことが分かり、運航管理者の同基準を充足するものではないことを確認した。」と記載されている。
運輸局は、20名の死者と6名の行方不明者が出た後の特別監査により、初めて運航管理者の資格要件を精査し、充足されないことを知ったのである。
運航管理者の資格要件を満たしていると判断し、届出を受理したのは運輸局であり、本件1年前の特別監査でも運航管理者の届出内容の適否を精査しなかったのも運輸局である。その結果、社長が運航管理者のまま本件が発生した。
④ 資格のない社長が運航管理者を続けられた経緯
本件の1年前の2022年3月20日、「船舶の運航の管理に関し3年以上の実務の経験を有する者」に該当しなかったにもかかわらず、運輸局は運航管理者として届出を受理した。
そして、社長が運航管理者となって僅か2か月後、JCIによる定期検査で不合格となり、船舶検査証書が不交付の状態のまま(法令違反)同年5月15日に航行中に旅客3名の負傷事故を発生。更に6月11日には座礁事故を発生させた。
この二つの事故により運輸局は同年6月24日と25日に特別監査を実施したが、安全運航の要である運航管理者の資格要件の適否については精査せずにそのまま放置し、本件発生まで社長が運航管理者を続けた。そして、前記の特別監査から10か月後の2022年4月23日に本件沈没事故が発生した。
⑤ 船舶検査証書ナシの運航と負傷事故への無意味な特別監査
前述のように、本件発生の1年前に航行中に旅客3名の負傷事故を発生させたが、その際に旅客椅子の不具合の改善を指示してJCIは船舶検査証書を交付しなかった。船舶検査証書の不交付は、船が法的に出航不可能な状態となり、会社にとって極めて重大な事態である。
しかし、船長および運航管理者は、船舶検査証書が不交付のまま航行を続け(=法違反:無視か、無知か)、旅客を負傷させた。
このような経緯のなかで、「国土交通大臣は、その職員に同事業者が使用する船舶、事業場その他の場所に臨んで、帳簿書類その他の物件に関し検査をさせ、又は関係者に質問をさせることができる」(海上運送法第25条)に基づいて同年6月に特別監査が実施された。
この特別監査において、旅客負傷事故の発生時に船舶検査証書が本船内に備置されていたか否かについての報道はない。
しかし、定期検査の不合格日、運航中の旅客負傷の事故発生日、そして新たな船舶検査証書の発行日、それぞれの日付が違うことから、船舶検査証書なしに違法に本船を運航し、旅客を負傷させたことが容易に判る。
再度述べるが、船舶検査証書が不交付のまま運航したという極めて悪質な法令違反の事実、および船舶検査証書不交付の理由としてJCIが改善を指示した旅客椅子の不具合が直接原因で旅客を負傷させたという重大な事実があった。
旅客負傷事故により本件の10か月前に特別監査が実施されたが、運輸局は会社への適切で厳しい指導をしなかったこと、および運航管理者の資質・経験・経歴を精査して対処しなかったことが、本件沈没事故発生の原因の一つとなった。
なお、船長は、船舶検査証書を船内に備え置く義務(船舶安全法施行規則40条)があり、違反した場合は20万円以下の罰金(同規則68条1項)となる。この罰金について、実際の支払いの有無に関する報道を見つけることはできなかった。
(2025.8.31)