事故の原因である検査ミスと国の責任
高橋二朗(元船長、海事補佐人)
2022年4月23日に(有)知床遊覧船のKAZUⅠ(カズワン、以下に本船という)が沈没し(以下、本件という)死者20名、不明者6名のままである。
本船の運航管理者である社長と本船船長が杜撰で未熟で無責任であることは弁護の余地が全くない。
しかし、本件事故の直接の原因は、小型船舶検査機構(以下、JCIという)の検査ミスであり、その検査ミスの発生防止を怠った北海道運輸局または国にあると思われる。
本船について、運輸安全委員会の事故報告書は三つあります。
本稿では、2022年4月23日発生の沈没による死亡と行方不明者26名について、2022年12月15日公表のものを中間報告書、2023年9月7日公表のものを最終報告書といいます。また、本件発生1年前の2021年4月21日に発生した旅客3名負傷事故について、2023年12月6日付けのものは単に報告書といいます。
一、本件発生前までの経緯
〇 2021年4月21日
JCIが定期検査で「スカイデッキに設置されている椅子及び柵について、固定が十分でないこと…を指摘し、改善を指示した」(報告書5頁)
〇 2021年5月15日
本船の船首が漂流する定置網型枠ロープの塊に接触して船速4ノット(時速で7㎞半)が急減し、旅客3名の負傷が発生した。
その負傷原因は、「本事故当日の同年5月15日には椅子及び柵は接地されたままの状態であったことから、JCIの改善指示を受けてから本事故当日までの間に是正措置をとっていなか
ったものと認められる」(報告書5頁)
同日、「本船船長は、ウトロ漁港に戻った後、運航管理者であるA社社長に本事故発生の報告を行い、海上保安庁に報告した」(報告書2頁)
〇 2021年6月1日
「本船の2回目の立ち合い検査を実施して椅子及び柵の撤去を確認し、」(報告書4頁)
〇 2021年6月4日
「本船の船舶検査証書を交付していた。」(報告書4頁)
また、「本船船長が作成して北海道運輸局に提出した非常連絡事項報告書 (以下、非常連絡報告書という)によれば、本事故の状況について、乗客が椅子に足を打ち付けたと記載されていた。」(報告書の2頁)
〇 2021年6月24と25日
浅瀬に乗揚げたが、負傷者がなく、自力で帰港した。
〇 2021年6月24日と25日
「北海道運輸局が海上運送法及び船員法に基づき、(有)知床遊覧船に対する特別監査を実施、見張り不十分について指導。7月9日、同社より北海道運輸局に見張り強化に関する報告」 (第1回知床遊覧船事故対策委員会の資料3の5頁)
筆者のコメント
① 船舶検査証書なしの運航を運輸局が放置
JCIは定期検査時にスカイデッキの椅子及び柵の固定が不十分と改善を指示し、船舶検査証書を交付しなかった。しかし、本船は船舶検査証書がないまま運航し、JCIの改善指示箇所を修理せずに放置したことが原因で、その定期検査から20日後に旅客3名の負傷事故を発生させた。
時系列から6月24・25日の特別監査時には5月15日の負傷事故の際に船舶検査証書の交付なく、本船が所持していなかったことを北海道運輸局(以下、運輸局という)は知っていた。
このようにJCIの改善指摘箇所を放置したまま運航したことが原因で旅客3名が負傷した。運輸安全委員会は、「本事故当日には船舶検査証書の交付を受けておらず、本事故当日に運航してはならなかった。」(報告書の5頁)と述べている。
そのような事実があったにもかかわらず運輸局は、その後にJCIと連携して検査を厳しく実施する等の対策をとらなかった。そのことが翌年に本件事故を発生させた大きな要因と思われる。
② 本船船長が事故報告せず
旅客3名負傷事故について報告書には船長は帰港後に社長に事故発生を報告し、社長が海保に報告したと述べている。
しかし、報道によると、「元従業員の男性が海上保安庁に確認したところ、事故を把握していなかったので通報した」とのこと。また、「事故をして客がけがをしてしまった。そこに登録していない甲板員がいた。違法。それがばれると保安庁から指示が来るので(だから通報をしなかった)だと思う」(テレビ朝日、2022年5月2日)。
このように本船の運航管理者の社長が海保に事故報告したのではなく、同社の元従業員であったことが事実と思われる。
そして、たとえ本船帰港後に運航管理者の社長が海保に報告したと仮定した場合でも、「小型旅客船の船長は、事故が発生した際、速やかに海上保安庁に通報すること」(報告書の2頁)の義務が船長にあった。
従って、本件事故の前年の運輸局による特別監査時にはこの負傷事故について、海保への報告経緯もしっかり調査し、会社の安全運航体制を厳しく問うべきであった。
二、検査ミスと沈没事故後の経緯
〇 2022年4月20日
中間検査の際に前部甲板に設置したハッチ蓋について、閉鎖ができず水密確保できない状態で検査に合格させ、JCIが船舶検査証書を交付。(検査ミス)
〇 2022年4月23日
中間検査の3日後に本件事故が発生。
〇 2022年5月26日
本船を海中から引き揚げ。
〇 2022年12月15日
運輸安全委員会が中間報告書を公表。
〇 2023年3月1日
甲板員の両親は、会社と社長を安全配慮義務違反が死亡の原因だとして、計1億円余の損害賠償を求めて東京地裁に提訴。
〇 2023年9月4日
甲板員の両親は国交省が所管のJCIが行った検査が不十分だったとして国に1億800万円余の賠償を東京地裁に提訴。国が船舶安全法に基づいて、JCIが実施する検査を監督することで観光船の安全な運航が担保されていることから、事故の責任は国にあると主張。
〇 2023年9月7日
運輸安全委員会は、最終報告書を公表。
〇 2023年11月30日
国は、第1回目の公判で検査の主体はJCIにあって、国に賠償の責任はないと主張し、全面的に争う姿勢。
〇 2024年7月2日
旅客遺族が会社と社長に対して約15億円の損害賠償を札幌地裁に提訴。原告は、旅客14名(死亡7名、行方不明4名、公表望まぬ遺族3名)の遺族計29人。
〇 2024年9月26日
業務上過失致死容疑などで本船船長は死亡のまま書類送検されたが、不起訴処分。
報道によると罪状は船長が出航前に船体を検査する義務を怠り、沈没原因となったハッチの不具合を見逃した。また、出航や航行継続の中止を判断する義務を果たさなかった。
〇 2024年10月3日
国交省は最低水温が10度未満の海上や一部の湖を航行する旅客船を対象に、救命いかだの搭載を2025年4月以降に義務付けると発表。
〇 2024年11月9日
海保が知床遊覧船の社長を業務上過失致死罪で起訴。
報道によると、同社の運航基準から出航を中止すべき風速や波高が予想され、死傷事故を発生させる恐れを予見できた。しかし、社長は運航管理者として出港や航行継続の中止を船長に指示すべき義務を怠り、本船を沈没させ26人を死亡させた。
海難事故で操船に関与していない経営者の刑事責任が問われるのは異例とのこと。
三、 本件事故に関する説明資料
運輸安全委員会は最終報告書と共に説明資料を公表した。この内容は事故の概要が簡略で理解し易くまとめられているので、紹介する。
① 沈没原因その1
JCIの検査の実効性として、
「JCI検査員は、令和4年4月の中間検査において、JCI細則に基づき、船首甲板部ハッチ蓋外観の現状が良好と判断し、開閉試験を行わなかったことから、同ハッチのクリップが確実に閉鎖することができない状態に気付かなかったものと考えられ、同ハッチの不具合を改善させることができなかった」
(説明資料32頁)。
また、本船の沈没状況について、「…1・0mを超えた波高の波が船首甲板部に打ち込む状態で、船体動揺によって船首甲板部ハッチ蓋が開いたため、同ハッチから上 甲板下の船首区画に海水が流入して、同区画から倉庫区画、機関室及び舵機室へと浸水が拡大し、浮力を喪失してカシュニの滝沖において沈没したことにより発生したものと考えられる」(説明資料35頁)。
更に事故原因として、「船首甲板部ハッチ蓋が確実に閉鎖されていない状態であったのは、経年変化により生じたハッチの部品の劣化や緩みに対し、十分な点検・保守整備が行われていなかったことによるものと考えられる。そして、JCIが本事故直前の検査において同ハッチ蓋の開閉試験を行わず、目視のみで良好な状態であると判断したことが、本船が同ハッチに 不具合を抱えたまま出航するに至ったことに関与したものと考えられる」(説明資料35頁)
② 沈没の原因その2
出港状況について、「本船が出航したのは、運航基準の定めとは異なり、気象・海象の悪化が想定される場合、出航後に気象・海象の様子を見て途中で引き返す判断をすることを前提に出航するという従前の運航方法に従ったことによるものと考えられる」(説明資料36頁)
そして、運航状況については、「本船が、出航後、運航中止の措置をとることなく運航を継続したのは、本船船長が、知床半島西側海域における気象・海象の特性及び本船の操船への影響について必要な知識・経験を有していなかったこと、……によるものと考えられる」(説明資料36頁)
筆者のコメント
① JCIの検査ミスと誤った検査合格が沈没事故の直接原因
本件発生の3日前の中間検査で、JCI検査員が船舶検査事務規程細則(以下、細則という)に沿ってハッチ蓋の外観が良好(実際はハッチ蓋が約2㎝も浮いていて異常)と判断し、ハッチ蓋が水密性確保していなかったにもかかわらず水密性の確認を省略した。
この検査ミスにより検査が合格し、船舶検査証書が交付され、ハッチ蓋が閉鎖不能の状態で出港し、荒天中の運航で沈没した。
この中間検査でJCI検査員がハッチ蓋の不具合と改善を指摘し、船舶検査証書を交付しなかったならば、本船は修理が終わるまで出港できず、沈没事故は発生しなかったと思われる。
以上のことから、検査ミスおよび船舶検査証書の交付の二つの事実が本件の直接かつ直近の原因であると思われる。
そして、船長が運航基準に違反して出港したことは非難されるとしても、沈没原因のハッチ蓋は検査に合格し船舶検査証書は既に交付されていることから、ハッチ蓋の不具合で荒天中の沈没を予見できなかったと思われる。
また、仮に本件と全く同じ荒天中であっても、ハッチ蓋の不具合がなければ水密性は確保されることから、ハッチからの浸水で沈没することを予見できないと思われる。従って船長が運航基準に違反して出港したこと自体が直接的な沈没原因とはならないと思われる。
なお、船舶検査証書が交付されていた状態で、被雇用者の本船船長が出港前にハッチ蓋の不具合を知ったとしても、運航管理者の社長に報告し、社長の意向に逆らって出港を拒否することは困難と思われる。
また、船舶検査証書の交付後に、例えばハッチ蓋の不具合を船長が知って、船主が自主的に停船させて修理し、既に検査合格したハッチ蓋の再検査を申請し、船舶検査証書の再交付を受けるまでの期間を停船することを船主に期待することは極めて難しいと思われる。
② 検査ミスは国の責任
船舶安全法の第2章(日本小型船舶検査機構)のなかで、検査事務規程は国交大臣の認可を受けるが、その細則は国交省海事局長への届け出である。
このことから検査員の判断にミスがあったとしても、ハッチ蓋の検査は細則により実施され、細則は届け出制であることから、「国は責任主体ではないので国賠法上の責任はない」と訴訟で国は主張しているようだ。
しかし、船舶安全法によって本船を含む小型旅客船の安全を担保しているのは、国であって、検査委託先のJCIではない。(後述の参考欄を参照ください)
なお、同じ船舶の人命に関わる検査であっても、外航船の場合は救命艇やハッチ蓋等々の安全設備は国交省の検査官により検査されるが、小型旅客船はJCIの検査員により検査される。
そして、国の検査とJCIの検査の安全検査の具体的な実施内容が異なり、JCIの検査がより簡略化されていた。そのため本件事故後に国の検査と同等の安全検査の実施内容を国交省がJCIに指示した。
※ 参考(船舶安全法)
第1章(船舶の施設)
第1条
日本船舶ハ本法ニ依リ其ノ堪航性ヲ保持シ且人命ノ安全ヲ保持スルニ必要ナル施設ヲ為スニ非ザレバ之ヲ航行ノ用ニ供スルコトヲ得ズ
第2章(小型船舶検査機構)
(目的)第25条の2
小型船舶検査機構は、小型船舶検査事務等を行うことにより、小型船舶の堪航性及び人命の安全の保持に資することを目的とする。
(検査事務規程)第25条の29
第1項 機構は、小型船舶検査事務の開始前に、小型船舶検査事務の実施に関する規程(以下「検査事務規程」という)を定め、国土交通大臣の認可を受けなければならない。これを変更しようとするときも、同様とする。
第2項 国土交通大臣は、前項の認可をした検査事務規程が小型船舶検査事務の適正かつ確実な実施上不適当となったと認めるときは、その検査事務規程を変更すべきことを命ずることができる。
(監督命令)第25条の39
国土交通大臣は、この法律、海洋汚染等防止法又は小型船舶登録法を施行するため必要があると認めるときは、機構に対し、その業務に関し監督上必要な命令をすることができる。
(報告及び検査)第25条の40
国土交通大臣は、この法律、海洋
汚染等防止法又は小型船舶登録法を施行するため必要があると認めるときは、機構に対しその業務に関し報告をさせ、又はその職員に、機構の事務所その他の事業場に立ち入り、業務の状況若しくは帳簿、書類その他の物件を検査させることができる。
※日本小型船舶検査機構検査事務規程 第11章 雑則
11-1 細則への委任 1 この規程に定めるもののほか、
この規程の実施に関し必要な 事項(基本的事項を除く)は細則で定めることができるものとする。
2 機構は、この規程の規定に基づき細則を定め、又はこれを変更しようとするときは、あらかじめ国土交通省海事局長に届け出るものとする。