中尾雅靖(船員の人権を守る会・会員

 内航船員のほぼ大半の給与は、現在でも「手取り額」保障型の定額支給が当たり前です。国交省の「海のハローワーク」の船員募集を見ても、基本給すら提示されていません。陸上のハローワークの募集では、基本給の提示のない募集はあり得ません。内航海運業界ではなぜこんなことが通用するのでしょうか?また、なぜ国交省自らがこんなことを認めているのでしょうか。
 答えは簡単です、今のやり方が人件費は少なく事業者にとって都合がよいからです。事業者は経費が余計にかかることはしません、自から損になることは絶対しないのが彼らの鉄則です。定額給与で働かせ放題のほうが人件費を安くできるからです。
 この悪しき慣習を打破するには、誰かがアクションを起こさないことには、内航海運業界の特殊な労働慣行はいつまでも続きます。
 そこで皆さんに提案です、定額給与で働き放題をやめませんか。働いた時間外労働分はきちんと計算して支払うように声を上げましょう。過去の分は請求して取り戻しましょう。誰かが声を上げ、それに賛成する人が2人、3人と続けば大きな声になります。
 長年の慣習ですから、簡単ではないでしょう、でも今のやり方は法違反であり、船員にとって不利益なことだし、声を上げる船員に理があるのですから、勇気をもって声を上げましょう。


内航船員の労働実態の調査
 国交省が2017年7月から三か月間の内航船員の労働実態調査を行いました、結果は次の通りです。
 調査対象は内航貨物船17隻、船員108人、内航タンカー24隻、船員179人、延べ船員数8`879人(31日分)。1隻当たりの乗組員数の記載はないが、隻数と船員数からすると1隻当たり5名から8名ぐらいの乗組員数だと思われる。
 船員の1日当たりの労働時間は14時間まで、1週間の労働時間は72時間までと規制されていますが実態は次のようです。
 1日の労働時間が14時間越えの船員は、貨物船で8・3%(9人)、タンカーで30・7%(55人)、1週間の労働時間が72時間越え船員は、貨物船で8・3%(9人)、タンカーで16・2%(29人)です。
 この調査からは、内航タンカーでは1日の労働時間も、1週間の労働時間でも船員法違反が常態化していると考えてよい状態です。
 内航船員のこのような「働かせ放題」状態では、まともに時間外割増手当を支給していたのでは高額な給与になります。そこでいかにも賃金が高いように見せかけるための「手取りいくら」の募集なのです。
 手取り○○円を保障しますから、あとは必要な時には何時間でもはたらいてくださいという仕組みです。決められた給与を支給すれば後は働かせ放題です。雇い主にとってこれほど都合の良いことはありません。


内航船員の労働時間管理の実態
 国交省が2018年12月、船員の労働時間の管理の実態をアンケート調査した結果を発表しました。調査の対象は内航貨物船132社、内航旅客船7社、合計139社、平均雇用船員数39・2人です。
①陸上の労務管理部門で船員の労働時間を把握しているか?
*把握している・・・・・96%
*把握していない・・・・4%
②時間外手当は計算の上払っているか?
*計算している・・・・・53%
*計算していない・・・・47%
③計算していないと答えた事業者に対し、みなし残業手当を払っているか?
*はい・・・・・・86%
*いいえ・・・・・14%
 調査対象の139社の平均雇用船員数39・2人は、全内航海運事業者の平均雇用船員数は14・3人であるから、比較的雇用船員数が多い会社であることがわかる。②、③から事業者の40%(56社)は、みなし残業代(固定残業代)を支払っている。
 事業者の約半数は、残業代の計算すらしていないことがわかります。こんな状態を船員労務官は長年どのように指導してきたのでしょうか。


固定残業代を支給するルール
 固定残業代制が、即、船員法違反ではありませんが、固定残業代制をとるには次の条件を満足する必要があります。
 就業規則に次のことを明記すること。
①固定残業代の金額
②固定残業代の労働時間数
③超過残業部分の残業代を別途支給する旨の記載
 先ほどの調査対象の40%の事業主は、上記の条件を満足していたのでしょうか?超過分の時間外手当を別途支給するには、時間外を計算していることが前提です。そうでなければ就業規則で規定した固定時間外の時間数を、超過しているかどうかがそもそも分らないからです。
 調査当時このような結果が判明した時、国交省の内部では問題にならなかったのでしょうか。アンケートの結果が正しいのであれば、内航業界では船員法(給与関係と労働時間)違反が蔓延していることになり、労務監査はどうなっているのだと大問題になるはずですが、そんなことはありませんでした。
 問題にならないのは当然です、なぜなら労務監査の結果は、これまで監査件数、違反件数すら公表していませんでした。運航労務監理官自らが問題にしない限り、誰もデータを持ち合せていないのですから問題になるはずがありません。これが長年の船員労務監査の実態でした。


労務監査結果を初めて公表
 国交省の運航労務監理官が行う監査には、運航監査と労務監査の二つがあります。運航監査は知床半島の遊覧船「カズワン」で度々取り上げられた監査で海上運送法、内航海運業法に基づいた監査です。この監査については、法律で監査の結果を公表することが規定されているため、今までも不十分ながら公表されていました。(海上輸送の安全にかかわる情報で検索可能)
 船員法等に基づく監査を行うのが労務監査で、今までこの監査については、法律で監査の公表が規定されていないため、監査件数すら公表されていませんでした。なんとも不思議な監査で、公表しない監査をするのは何故なのか理解に苦しみます。
 今まで、労務監査については、違反が累計120ポイント以上になった企業が公表されてきました。累計は2年でリセットされるため、監査間隔が2年を過ぎるとリセットされ累計の意味はあまりなく、年間5~7件程度が公表されるのみでした。
 2021年5月、共産党の武田参議院議員が運輸委員会で公表するように要求し、やっと昨年公表されることになりました。給与その他の報酬と労働時間・休日・定員に関する違反件数は次の通りです。
年平均監査件数3840件の内、給与報酬に関係する違反は、2016年から2022年の7年間で勧告と戒告を合わせて12件で年間平均2件にもなりません。労働時間・休日についての違反件数も年間32件と非常に少ない件数です。
 2018年12月の労働時間管理の実態調査では、時間外手当を計算していない事業者は47%もあるのにこの差はどこにあるのでしょうか。まともに時間外手当の計算もしていないのがほとんどの内航海運界で、違反件数がこのように低いのは、まともな監査をしていないからと思われます。
 労務監査の時には、適当に船内記録簿をメイキングし、給与台帳も適当に作成したものを提示しているのでしょう。それを適当に監査して違反はないと判断しているから、労務監査とアンケート調査とが大きく乖離しているのです。


労務監査の実態

 この監査は、外航、内航、旅客船、漁船、その他の船舶の全船員法適用会社を対象にしています。戒告は違反が20ポイント以上、勧告は違反点数20ポイント未満。


商船三井クルーズに労働時間・給与の是正命令
 2023年8月28日と9月18日「にっぽん丸」に、10月20日には、商船三井クルーズの本社事務所に関東運輸局が労務監査に入った。そして、労働時間の上限超過や労働時間の記録改ざん等が判明し、12月6日に是正命令が発せられた。
 法令違反の内容は、
①労働時間の上限(1日14時間、1週72時間)を超えて働かせていたこと。
②次の書類の改ざんをしていたこと。
労務管理記録簿、報酬支払簿、給与支払明細書
③立入検査において虚偽の記載をした労務管理簿を提出し、虚偽の陳述を行ったこと。
 今まで外航の船社に労務監査が入り、是正命令が出たことがあるのかは資料がないのでわからないが、今回のようなことは初めてではないでしょうか。外航のしかも資本金93億円の船社が労働時間の上限を超えて働かせ、しかも、給与支払い明細書まで改ざんするとは驚きです。小規模の内航事業者は推して知るべし。
 関東運輸局のこの報道発表により、他の内航事業者が襟を正し、時間外を計算して支払うようになれば良いのですが、船員との約束が定額の手取り額保障が長年の慣習では、簡単に是正されないでしょう。
 内航海運事業者の時間外管理、手当の支払いは全くのデタラメで、国の労務監査も厳しく追及し是正させようとする気は全く見えません。(商船三井クルーズの違反摘発も単発の打ち上げ花火で終わるのか?)


自分の基本給と時間外単価を調べてください
 皆さんの給与明細書の時間外手当欄は毎月計算された金額が記載されていますか?時間外労働の欄には時間外の時間数が記載されていますか。その時間外労働の時間数は、労務管理記録簿(2021年までは船内記録簿)と一致していますか、正しい時間数ですか?
 給与を比較するとき、基本になるのは基本給です。陸上でも固定時間外制度を採用している会社の基本給は一般的に低いと言われています。時間外をしなくとも時間外手当をこれだけ支給しますといわれると得したように思いますが、このような会社ほど時間外は多く、超過分の時間外手当も支払っていません。
 基本給を低く抑えると、ボーナスも退職金も低く抑えることができ、事業者にとっては一挙両得です。
 まずはあなたの会社の就業規則を確かめてください。固定時間外制を採用していますか?記載がないならば時間外は毎月計算の上支給されていなければなりません。
①基本給はいくらですか
②時間外手当の単価はいくらですか
基本給÷163・5×1・3=時間外単価(平日の単価)、休日の単価は1・4です。
163・5は組合船の月間労働時間数です。各社この数字と大きく変わることはないでしょう。
2022年の船員賃金統計の例でみると、200~499GTの貨物船の船長を例にとると(調査対象30人の平均値)、年齢56・7才、経験34・9年、基本給37万4700円。
〇平日の時間外単価=37万4700÷163・5×1・3= 2980円
〇休日の時間外単価=37万4700÷163・5×1・4= 3208円
 皆さんの月の時間外はどれくらいありますか。仮に40時間とすると月の時間外手当は2980×40=11万9200円となります。ご自身の給与明細書と比較してみてください。
③船員法の改正により、労務管理記録簿を会社は作成することを義務づけられています。そして船員から要求されたときは写しを交付しなければなりません。船長を通じ会社に要求してください。一人では要求しづらいのであれば乗組員全員の分を毎月渡してもらうように制度化するのも良いでしょう。
④労務管理記録簿を毎月もらい、保管しておきましょう。いつかきっと役に立ちます。


不払時間外手当の請求はどうすればよいか
 それでは、時間外手当を正しく支給されていないときにはどうすれば良いでしょうか。
 給与明細書をよく見てください。時間外手当の金額だけが記載されていて、時間外労働の時間数が記載されていない場合は、時間外手当は正しく計算されていません。単に数字合わせの金額でしょう。不払時間外手当があると考えてよいでしょう。このような場合は、毎月の労務管理記録簿を自分で書き、コピーを保管。少なく修正して船に送り返す会社が多いので、できたら航海日誌や機関日誌の写メも保管してください。
 まずはデータを集めることが第一歩です。面倒でもこの記録を続けてください。
 そして「船員の人権を守る会」に相談する、メールもしくは電話をしてみるのもよいでしょう。
あるいは弁護士に相談してください。
 弁護士事務所も最初の相談30分無料とか。60分無料のところもあります。まずは弁護士事務所にメール、もしくは電話をしてみる。
 自分の労働時間の記録をつけることから始め、弁護士事務所に連絡することで時間外請求の第一歩を踏み出しましょう。
 弁護士と相談して一番良い方法をとってください。その方法とは、
①弁護士が会社と交渉する。これで完結する場合もありますが、これでダメな場合は、
②弁護士を通じて運輸局に申立て。
③弁護士が労働審判を申し出る。
 労働審判は、労働審判官(裁判官)1人と労働審判員2人で審理し、原則3回以内の審理で終了し解決を図ります。
 双方が了解すれば、その内容で確定します。労働審判の特徴は短期間で解決することです。
④労働審判で解決できない場合は、訴訟になります。この過程で多くは和解になりますが、判決まで行く場合もあります。


民事訴訟で未払い残業代240万円を回収した事例
(弁護士事務所のHPより)
 Aさんは毎日9~10時間勤務していたにも関わらず、時間外は未払いで、雇用契約書、就業規則も見たことがない状態でした。退職後に弁護士事務所に相談。
 事務所は、勤務先に雇用契約書、就業規則、航海日誌、等の開示を求めるも会社は開示に応じないため、運輸局に弁護士照会行い、就業規則、使用船舶運航実績報告の開示を受け、未払い残業代を算出、地裁に訴訟を提起した。この時点では、賃金請求権は2年で消滅時効になっていたため、直近2年分の未払い残業代240万円を回収することができた。
 その後法改正があり、現在、時効は3年となっている。


労務監査では悪しき慣習は打破できないでしょう
 内航海運で働く船員の労働条件の中核である労働時間、休日、給与について、これほどいい加減なことが長年続いてきたことに驚くとともに、歴代の船員労務官のいい加減さに怒りを覚えます。
 事業者も経営が苦しく、オペレータの締め付けも厳しいためという理由で労働時間、給与もどんぶり勘定にして、業界の矛盾を船員に押し付けて、犠牲を強いることを長年平気でやってきました。
 調理手をなくし、各自で自炊するのが小型内航船では当たり前になってしまいました。(これは、2006年の海上労働に関する条約違反が濃厚ですが、この件についてはいつか発表したいと思います)
 これでは若い人がこないし、定着しないのは当たり前です。事業者自身が自分たちの業界の条件を悪くして、世間からそっぽを向かれるようなことをしているのです。そして船員労務官の監査を何とか切り抜ければ良いと思ってきたのは誤りであったと早く気付くべきです。業界の中で法を守れない企業は淘汰されていくのは当然です。
 悪しき慣習を打ち破るには皆さんが立ち上がる外ないと思います。現場の運動が大きくなり「働き放題をやめよう」の声が大きくなった時、国もその声を無視できず重い腰を上げるでしょう。船員の声に応えられない企業は消えていくほかないでしょう。
 少しでも働きやすい内航海運界、働き甲斐のある職場にするための一歩を踏み出してください。働き放題なんてもう古く、こんな業界は内航海運だけですから、自信をもってやりましょう。
 皆さんのご意見を船員人権の会にお寄せください。


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