運輸安全委員会の船舶事故調査報告書から
高橋二朗(元船長、海事補佐人)
(有)知床遊覧船所属のKAZU Ⅰ(カズワン)が昨年4月23日に沈没し、死者20名、不明者6名の事故が発生した。
この事故から1年4か月半後の9月7日に運輸安全委員会は船舶事故調査報告書(以下、最終報告書)を公表した。
最終報告書には本事故の直近でかつ直接的な原因であった船舶検査機構(JCI)の責任が十分に記載されず、またJCIの検査員数の人的不足による検査体制の不備の問題が述べられていない。
しかし、並列的であるが事故原因および今後の同様な事故防止対策について的確な指摘がなされていると思います。
一、最終報告書のポイント
最終報告書によると本事故に関与した四つの沈没原因が並列的に述べられ、それぞれの事故原因が同等に扱われている。
(1) 悪天候想定下の出港
① 会社に対して
*本船船長が会社の出港基準を無視して出港した。
*安全運航について必要な知識や経験が皆無であった社長が安全統括管理者兼運航管理者であったので、適切な安全運航体制がなかった。
*船長が当海域の気象・海象の特性と本船への影響について、知識や経験がないので悪天候に伴う運航中止や避難港への退避をしなかった。
*船体や通信設備等の物的施設の保守整備が不十分であった。
② 北海道運輸局に対して
*本事故の1年前に会社の安全統括管理者兼運航管理者の虚偽の届け出を見逃した。
*本事故一年前の2回の事故時に実施した特別監査や行政指導、抜き打ち検査が不備であった。
*そのため2回の事故後も会社が脆弱な安全管理体制のまま運航を継続させた。
(2)ハッチ蓋の不具合による海水の流入
① 会社に対して
*ハッチ蓋の不具合を本船船長および安全統括管理者兼運航管理者であった社長も知らなかった。
② JCIに対して
*本事故の3日前に行ったハッチ蓋の検査は、外観検査のみで開閉試験を実施なかったので、ハッチ蓋の不具合を発見できなかった。
二、筆者のコメント(事故の原因について)
最終報告書の内容から、本事故について以下の原因があったことが明白となった。
➀ 直近で直接的な沈没原因
最終報告書は、船首部甲板のハッチ蓋の不具合箇所から海水が船倉内に流入し、それが事故
の直近で直接的な原因となって沈没したことを詳細に述べている。
② 検査のミス
最終報告書は、ハッチ蓋の不具合による海水流入は、経年劣化に対して十分な点検と整備を会社が実施しなかったことが本事故の原因としている。
しかし、会社がハッチ蓋の点検と整備をしなかったことが直接的な原因ではない。
本事故の直接的な原因は、ハッチ蓋の開閉状態と水密性を確認せず、その点検と整備に不具合があったことに検査員が気がつかなかったことである。
そのため、その不具合を指摘せず、会社にハッチ蓋の修理・整備をさせなかったことである。
➂ ハッチ蓋の検査状況
事故調査に関する報告書の案(運輸安全委員会事務局発行、90頁)によると、JCIは本事故の前年に定期検査、および3日前に中間検査を実施した。
検査員は、その2回の検査の際に本船船長にハッチの改造がなかったことを確認し、外観が良好だったので、JCI細則に基づいてハッチの開閉試験を省略したと述べている。
しかし、ハッチ蓋の整備や水密性の状況は、ハッチの改造の有無とは全く関連がない。
外観の目視検査でいかに良好であっても、実際に手動でハッチ蓋の開閉作業を実施し、ハンドルの作動状態やハッチ蓋の裏側のパッキン、ハッチ口端をもチェックしなければ、ハッチ蓋の水密性の状態を確認できない。
本船のようにハッチの改造がなければ、なおさら点検・整備がされず、水密性が保持できなくなっている可能性が高いことから、ハッチ蓋の開閉試験を特に実施する必要があった。
④ JCI検査の目的
JCIの検査員は、船長を含む乗組員よりもはるかに知見と経験を有しており、本船の場合は特に知識・経験のない船長と安全統括管理者および運航管理者の社長であった。
定期的な検査の目的の一つは、JCIの検査員がハッチ蓋の不具合について、その有無と程度を調査し、検討し、整備・修理の必要性の有無を判断することである。
そして、必要ならば整備・修理を会社に実施させる権限と義務があるが、検査員はその職務を果たさなかった。
⑤ 船舶検査手帳と本船出港
検査ミスにより、会社に対して船舶検査手帳にハッチ蓋について特段にリマークが記載されることがなかった。
本船の船首甲板部のハッチ蓋の安全性(つまり堪航性)をJCIが正式に保証したことにより、実際にはハッチ蓋が不具合な状態であったにもかかわらず、本船の出港が可能となった。これはJCIの根本的で重大な過失であった。
JCIは、旅客と乗組員の人命の安全のためにハッチの不具合を発見し、修理が完了するまで本船の出港を停止する権限と義務があった。
もし、ハッチ蓋の不具合を検査員が発見していたなら、その修理・整備の完了および完工後のJCI検査員による再検査の合格までの期間は、本船の出港を停止することができた。
そうしていれば、本船船長が天候等の基準を無視して出港したくても、出港できなかったので、ハッチの不具合による本事故は発生しなかった。
⑥ 筆者の検査体験
定期検査の期日は事前に周知されるので、検査員の乗船前に安全検査項目を乗組員がチェックし、必要な整備を実施した。
しかし、一般に民間会社の従業員である船長以下乗組員は安全設備の検査について、点検・整備・修理に時間を要し、かつ経費も必要となることから、それらが緩くなる傾向があった。
しかし、民間会社の従業員と異なり、国内および国外の検査員は、整備・修理に要する時間やその経費について本質的に無関係なので、安全検査のチェックは乗組員よりも厳しかった。
このように厳しい検査員による安全検査により、人命の安全や船のトラブルのない運航が確保され、結果的に効率的で経済的な運航ができた。
なお、これは外航船の安全検査の個人的な経験である。
本事故の場合、極めて杜撰で安全に無関心な社長と知識・経験に乏しい船長の下で発生した事実から、検査員がハッチの不具合を指摘しなかったことは極めて重大なミスであった。
三、筆者のコメント (行政の権限と責任について)
最終報告書で問題が指摘された国の検査や監査について、二つのコメントを比較する。
① 元海上保安監のコメント
安全は国民の人命を守るという国の基本的な責務であることから法令で事業者を規制し、違反した場合は事業取り消しもできる権限を国に与えている。
海上保安庁の現場トップであった元海上保安監は、9月7日のNHKニュースウェブによると、「運航会社の社長の安全意識の低さ、安全に対する無関心さが非常にクローズアップされた」が、このような認識の社長の安全統括管理者兼運航管理者の下に本事故が発生した。
「安全確保は事業者がみずから考えることが基本で、それを下から支えるのが行政側の制度づくりや体制づくりだ」と述べた。
この元海上保安監のコメントには違和感を持つ。
また、この元海上保安監は、「安全は最大のサービスという意識のもと、事業者全体で安全対策に取り組んでほしい」と述べている。
しかし、この認識は安全について民間の事業者に丸投げしている。国が国民の人命を守ることが最大のサービス(つまり責務)という認識が、この元海上保安監のコメントには感じられない。
② 斎藤国交大臣のコメント
記者会見で斎藤国交大臣は、「国土交通省として、事業者の安全意識の欠如やその実情をしっかりと把握することができず、今回の事故が発生したことは、痛恨の極みです。
従前の監査、検査等のやり方について不十分な点があったことについては、国土交通省として大いに反省しなければならないと考えています。」と述べた。(国土交通省の9月8日のHPより)
この斎藤国交大臣のコメントは、元海上保安監と違って、行政の長として本事故の原因について国の責任をしっかりと認識している発言である。
➂ JCIの検査員数と質の不足
元海上保安監は、「チェックをする職員の質と量を十分に確保する必要があるが、一朝一夕には実現できないので」と述べてもいる。
筆者も、JCIの検査員の量と質の不足が十分な検査時間を確保できない大きな要因となったと思っている。
その結果、検査時間の短縮のためにハッチ蓋の外観検査のみで可とし、手動の開閉試験による水密性の確認作業を省略できるJCI細則につながったのではと思われる。
検査員は、本事故の3日前の中間検査をJCI細則に沿って実施したので、ハッチの不具合を発見できなかった。
④ 特別監査と行政指導
本事故の1年前に本船で5月に浮遊物と衝突、6月に座礁事故が発生した。
そのため北海道運輸局は同6月に特別監査を実施して、7月に文書で行政指導を実施した。
同年7月末に会社から改善報告書が提出されたが、改善の基となる添付資料の内容は事実と異なる虚偽記載であった。
しかし、北海道運輸局は改善報告書の基になった添付資料を精査せず、虚偽記載を指摘しなかった。
このように杜撰な行政指導であったにもかかわらず、会社の安全管理体制は是正されたとして、会社に本船の運航を継続させた北海道運輸局(国)の責任は極めて重い。
最終報告書(154頁)によると、「特別監査の際に指摘した事項について、抜き打確認の際、表面的な評価しか行っていなかったものと考えられ、監査の実効性に問題があったものと考えられる。
そのため、北海道運輸局の監査は、本件会社が定めた安全管理規程及び運航基準を遵守させることによって旅客輸送の安全確保に寄与することができなかったものと考えられる。」と国の責任を明確に指摘している。
(了)