-船員暮らしの終焉を迎えて
         ふなのりさん

 編集子より全国大会の感想などいただけたら・・・と声を掛けられたが、船員としての暮らしも終焉を迎えることから、これまでの日々の中で感じたこと思ったことを呟いてみる。

離島航路の非組織船で船員スタート
 船員となってから、諸々のルールが陸上のそれとは異なることが多くあることを知る。特に労働基準法と船員法の差、メリット・デメリットに興味をひかれることになる。
 初めて乗船した船は離島航路の定期船。日航便の運航で、基本的には在船当直日以外は夜間上陸可能で近郊なら帰宅も出来る。
 陸上サラリーマンに近い勤務体系ではあるが、休日はカレンダー通りではなくローテーションで乗船・下船を繰り返す。もちろん盆・正月も勤務である。このような感じで船員生活がはじまった。
 この航路は港湾施設も整備の途上で、風波があると艀作業も多くあった。船客と郵便の輸送がメインであるが、それこそ島の生活に必要な物は危険物以外何でも積む。食料品や雑貨の他、時にはニワトリや豚も生きたまま積まれる。作業は大変であるが、島のために役立っていることが実感できる時でもある。
 港湾施設整備の進捗と生活様式の変化によりこのような作業はなくなったが、勤務ローテーションは相変わらずで、子供達の入学式・卒業式・運動会などの半数は欠席となった。
 当時は非組織であり、他の地域の離島航路と比べても労働環境はけっして良いと言えるものではなかった。

海員組合加入、全国委員に
 学生時代、船会社でのアルバイト経験や船舶関係者との接点や親交があり、多くの船社の情報を得ることが出来た。そうしたこともあり、社内で条件の改善や組織化を働きかけたが、会社は補助金航路でありこれ以上の経費の増大はあり得ないと言い続けた。
 しかし運航を続けて20年を経過したころ、会社は方針を一転させ組合加入となり組織化された。しかし特に目立った変化もなく、改善されぬまま運航が続いた。
 しかし交渉の土台が出来たことは我々にとって利点であったが、組合の担当者が次々と変わり、どのような引継ぎがされたか判らず困った。本船のような特殊事情が理解されぬまま、時には全内航、時には沿海旅客船、時には大型フェリーの改善要求を引き直した形での交渉が行われた。
 これらの背景から、理解を深めるためには現場の声を組合に届ける事が大切と考え、翌年より全国委員に立候補することとした。

全国大会でのギャップ
 全国大会に出席するようになり機会あるごとに声をあげることが大切と思える反面、大手船社代議員とのギャップの大きさを感じることとなった。モデル協約レベルに達している大きな会社ではプラスαを勝ち取ることや、大手船社代議員の発言が活字になることが主となり、言葉尻の論戦に多くの時間が費やされる。
 私は、せっかくの大会(公開され報道される)のチャンスをもったいないと感じるようになり、発言を躊躇う気持ちが大きくなってきた。
 全国委員在任中、労働協約交渉では幾つかの項目についてはかなりの水準まで近づけることが出来たが、力不足か時間不足か、まだまだ道半ばの部分も多くある。

組合運動の正攻法は?
 私の考え方は、要求は多くの支持が無ければ達成できない。そのためにはこの世界(船員としての生活・海運業界・船舶)を多くの方々に知ってもらい理解されることがスタートと思っている。そのひとつの方法としての全国大会があると思う。
 なぜ船員法があり、船舶が島国日本を支えていることを広く知らしめることにより世論は動き同意する。全国委員は、このエネルギーがとても大切であることを伝える役だと思う。
 多くの船員(のみならず物流関係者・交通関係者)が昼夜関係なく業務に従事して我が国の生活・輸送を支えている事実を、出来るだけ多くの人々に知っていただき、それを伝え(広め)てもらう。
 それは多くの船ファンを大切にし、事あるごとに海洋の大切さ、海の素晴らしさを伝えることから始まる。水産においてはその食卓にならぶ魚介類の獲れた場所・方法、食卓に来るまでのルートなどを紹介することにより、多くの人々が海や水産に親しめる。
このような土壌を創る(提案する)のも、組合としてやっていかなければならないことと思う。
 社会において認知されることが重要であり、その中で声を届け世論を動かすことが組合運動の正攻法ではないだろうか。
(一組合員)