平和運動の重鎮が逝った
戦没船を記録する会の副会長(元旭海運機関長)・小林三郎さんが、本年4月11日に大動脈解離で逝去されました。享年90歳。心からご冥福をお祈りいたします。
小林さんは、長年にわたり全日本海員組合の全国委員として活躍され、全国大会で「平和の尊さ」や、「民主的な海員組合」を訴える誠実で、温厚な、説得力ある発言は、多くの参加者の共感を得ていました。現役を退かれた後も終始現場船員のために活動され、毎年、静岡県焼津市で行われる「原水爆禁止世界大会」の3・1ビキニデー集会では船員グループの世話役を務めて来られました。
昨年暮れのイベントに参加した際に、静岡名産のうなぎパイをご馳走になりながら「仲間を大切にして、味方をいっぱい作らなきゃ=世の中変えられんよ!」の一言が遺訓になりました。合掌
山村健介
高橋潤次さん
元海員組合組織部員・高橋潤次さんが本年3月逝去された。享年98歳。氏は戦時中の43年東京高等商船(現東京海洋大)卒業後、山下汽船に入社し海軍に応召。
沖縄戦で片腕を失い戦後海員組合に。46年の海員ゼネストに専念し、スト終了後中闘派のメンバーとして除名された52名の一人。反省文を提出して復帰することを潔しとせず、病院に勤務しながら傷痍軍人や障害者の医療、生活救済に専念。また、静岡県の平和委員会等を通じて戦争の語り部として戦争の悲惨さ、平和の尊さ、船員自から権利を主張することの大切さを終生説いて廻った。高等商船同期の川島裕さん、斎藤吉平さんとは昵懇の間柄。合掌(T)
本誌4号「海風気風」に小林三郎さん、6号「海風気風」に高橋潤次さんのインタビュー記事。ホームページでも閲覧可能です。