ー 商船船員を魅力あるものにするために 16 ー
雨宮洋司(富山商船高専名誉教授)
Ⅴ 特殊性を克服する諸政策の断片(船員労働団体の混乱と船員部会での議論)
(注:従来Ⅴ章をⅤー1、Ⅴー2と分けていましたが改めました)
1.海員組合の混乱とその影響
2.船員部会(国交省)での議論
(1)船員部会の各種情景
①顕著な当局の強気発言
②〝要望〟事項となる船員側発言
③当局と船員(組合)側委員の激論
④ILO海上労働条約の国内法化論議
⑤船員部会での政策基調
⑥漁船員の地位向上に関した議論
⑦船員確保育成策に関しての議論
(以上前号まで)
⑧船員部会の限界と期待~まとめ~
3.外内航船員経験者からの
問題提起
〈船員社会の再生は可能か〉
竹中正陽
(以上今号掲載)
⑧ 船員部会の限界と期待
~まとめ~
船員部会で行われる船員政策論議を縷々述べてきましたが、そこから見えてくる部会の限界とそれへの期待を次にまとめておきます。
○ 船員部会の限界点
そもそも、船員部会は、海陸別建ての旧中央・地方船員労働委員会を陸の労働委員会に一本化していく行政改革過程で設けられたもので、2008(平成20)年10月からスタートしました。
しかし、船員労働者の国交省管轄は、その特殊性ゆえに厚生労働省が扱う労働者(陸上労働者一般)とは別建てになってきたわけで、そうすることが、世界の常識(ILOが好例)でもあるのに、それが日本では行革対象になり、船員(職業)特殊性の軽視につながっているように思います。
つまり特殊性に起因しているから別建てになっているのに、行革を絡めての海陸同一視傾向を強くして、旧船員中央労働委員会が扱っていた事項は船員部会へ移行したことになっていますが、船員部会では「船員政策に結びつく他の政策審議会にも船員側委員を入れるべきだ」という船員(組合)側委員の要望がたびたび出てきます。
第1回の部会で明らかにされた部会運営規則やその進め方を見る限りでは、この部会で船員政策に関わる重要事項と船員法など船員関係法令に基づく事項が審議されると読み取れるのですが、なぜ船員側委員から不満が出てくるのでしょうか?その理由は次のように考えられます。
第一は、運営に関することで「委員から意見を伺ったうえで、テーマを選定して議論してもらう」という言い方に起因します。結局、テーマの選定権者は当局にあるといえるのです。第二は、船員部会は国交省の設置法で定められたものではなく、あくまで、交通政策審議会令に基づく海事分科会よりさらに下の部会であるという位置づけからくるものです。
そのようなことから、就業規則の変更や上位審議会による諮問事項等は船員部会での決議事項として審議されるが、それ以外の関係事項は当局の判断になるということになるのでしょう。そういった把握からは、船員部会でトン数標準税制導入の是非に関する議論がたとえなされても、上位審議会での結果が優先されることになりましょう。
また、船員の最低賃金制度の業種拡大(漁業の場合、大型イカ釣りや遠洋マグロ漁船、沖合底引き、中型巻き網の4業種船員以外へも広めていくこと)の問題は、諮問事項以外のことになるので、当局の裁量が入ることになります(専門部会での賃金額の決定は労使合意で進む限りでは尊重されると思いますが)。
こういった点に「船員政策を論議する」と言われている船員部会自体は、独立性を有した船員労働委員会とは異なった仕組みになっている点には留意しておくべきでしょう。
ただし、実際は今までのいきさつから、分科会などを設け、臨時委員も上位の審議会委員と同様に扱う等々の当局(事務局)による柔軟な運用で臨む姿勢が第1回と第2回の部会で説明されており、今後ともそれは必要なことです。
ただ、船員部会に複数の船員(組合)側委員が入っていても、その背景にある労働組合の組織が混乱している状況では、個々ばらばらに良い意見が部会で発言されるだけということになってしまいます。旧船員中央労働委員会で演じられた、船員(組合)側委員の総引き揚げのような迫力ある抗議的行動は過去のものになっているのかもしれません。
○ 労使各委員と当局への期待
船員部会における各委員の発言が、船員(職業)の地位向上につながることを願いつつ、船員部会の各委員と事務当局に期待する点を述べましょう。
まず船員側委員への期待は、その出身母体である全日本海員組合が早急に内部の混乱を解決して、労組法上の唯一の産別船員団体として、外内航の船社経営陣と交渉する力量を確固たるものにすることがまず必要です。その際、旧海上労働科学研究所に匹敵するシンクタンク機構の再現はぜひ必要なことです。
そのもとで、賃金はもとより、労働時間、休暇日数、乗組定員、海技免状の質、船内生活を快適に送るための諸設備、健康に配慮した船内調理・供食の態勢等々についての理論的整理を行って、より良い具体的条件の協定締結に結びつける必要があります。そうすることで、船員側委員の船員部会での発言には重みが増していくことになるのです。
その他の委員と事務当局に期待することを一点だけ述べます。
それは、陸上で働く労働者とは全く異なる特殊性を船員(職業)は持っているということに特別な配慮をして臨む必要があることです。
労使交渉の労働協約と同様、それが船員(職業)の仕事と生活をデイーセントにする状況(21世紀のILOの目標に沿って「人間らしい生活を男女ともに船員として継続的に営める就業規則や労働条件の設定」)に至らない場合は、日本人船員(職業)の確保育成は難しいことを覚悟すべきです。そうならないように、各委員と政策当局の指導力が発揮され、船員(職業)が魅力あるものになるようにしていかなければなりません。
船員部会が行政当局の掌にあるとはいえ、日本船社の競争力向上の支援と組合側の円滑な協力を得ることが最重要な部会の存在だという認識のもとでは船員にとって魅力ある政策が打ち出されることにはならないでしょう。
繰り返しになりますが、トン数標準税制や船員派遣業のグループ化に代表される今日の政策のままでは、目標とされる年に、たとえ日本籍船や日本船社支配の船(モノ)は確保されても、外航日本人船員数の確保や内航船員不足解消はなされない可能性があるということです。
今日、ナショナリズム強化策とグローバル化策が同時並行して展開されていますが、それは船員(職業)の特殊性を無視して行われているように思えてなりません。
そして、何とか現状を支えているのはベテラン日本人船員たちと予備群、さらに商船船員教育機関所属メンバーの犠牲的精神に負うところが大きい印象を受けます。このままでは、グローバル経済社会の中で、四面環海の日本という国民国家の最低限の維持は、短期的にはともかく長期的には不可能に近いといえましょう。
○ 国内法化の問題点とILOの利用
海上労働条約の船員関係法への適用に際して、船員(職業)の特殊性を軽減するものであっても、船社負担が増すような条項(例えば、労働時間規制や長い休憩時間の確保、船内生活設備の充実や船舶料理士資格要件の設定など)は極力柔軟な表現にして、船社経営にとって負担増にならないよう配慮されてきたように感じています。
日本の行政府がILO条約勧告適用委員会からお叱りを受けないようにするため、そういった恐れのある諸事項には適用除外条項を使うか、労使協議へ委ねるか、ということが海上労働条約の国内法化にあたって行われてきました(第8、16、29、35、36回)。
ILOはその点にも留意して、各国で批准した条約の国内法化とその実施にあたり、条約の意図を当該国の官民組織が正しく履行していないときは、関係労働組合がILOへの申し立てをして、それを受けたILOの条約適用委員会は、日本政府へ意見書を送って条約の施行・運用が適切に行われるように勧告する仕組みを設けています。
1996(平成8)年の銚子無線局の無線通信士(含船舶通信士)の配置転換事件(銚子裁判)や1987(昭和62)年の国鉄分割民営化における大量解雇事件などで、それぞれの組合がILOへの申し立てを行い、日本政府へILOの意見書を送付してもらい、当該裁判闘争展開や政治決着時の有効策になったことは想起しておく必要があります。
国連の機関では唯一、政労使から構成されているILOの存在、そして陸の労働者問題とは異なる視点からの船員問題の取り扱いがなされている点に関しては、深い理解をしておく必要があります(牛久保・村上『日本の労働を世界に問う~ILO条約を生かす道~』岩波新書 は、ILOについての認識を深めるのに役立ちます)。
全日本海員組合内での調査検討を経て、ILO提訴を覚悟して、船員部会での当局説明に対峙することも内容如何では必要になります。このようなILOとの関連を利用して進められた事例は、すでに述べた〝漁船員の最低賃金制度の拡大〟議論があります。
ただ、遺憾ながらILOにおいても、船員(職業)の特殊性は強調していても、それを論理的かつ体系的に説明しているとは言えないでしょう。その提示には、唯一日本の商船系大学・高専で蓄積されてきた船員(職業)特殊性論こそが重要でILOの場でそれが公的に紹介される必要があると思います(1970年代に、笹木元東京商船大学教授が「日本の海運」を英文で紹介する時、若干それに触れていたように思います)。
欲を言えば、四面環海の日本と日本人船員の確保育成問題を、商船学を背景にして国際機関も含む関係者へ説明していけるようにすべきであり、それこそ、戦後の日本が培ってきた誇りある証になるでしょう。
その延長線上に、次に述べる日本の商船系大学・高専の再建課題があり、後述する共生論及び海洋市民論の展開でも、商船学を探求する教員やそれを修めた卒業生達によって社会的に遂行される必然性があるのです。世界の船員・海運社会における日本のリーダーシップの内容がこのような形で発揮されることに期待するところです。
3.外内航船員経験者からの問題提起
「船員社会の再生は可能か」というタイトルでお寄せいただいた竹中正陽さん(現内航船機関長)の論考をここに掲載して、これからの船員政策のあり方の一助にしたく思います。
筆者の主張と違う点があるかもしれませんが、旧東京商船大学卒業後の長い船員生活を、船員の地位向上を願いながら過ごしてきた足跡には貴重な生の声がたくさんあり、それ自体貴重な資料であり、関係者はそこで指摘されている内容を新しい船員政策の立案時に、ぜひ活かして欲しいと思います。しばしお目を通していただきたく思います。
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〈船員社会の再生は可能か〉
竹中正陽
はじめに
外航会社を定年退職した後、内航に移って6年。主に未組織マンニング会社の小型船に乗船してきた。船員生活も40年が過ぎ、体の節々がギシギシと音を上げ始めた。体は正直なものだ。
〝生涯船員〟と自分に言い聞かせ強がって来たものの、引退の日が近いことを体が語っている。 体力だけが取り柄なだけに、なおさらそう感じるのかも知れない。
中学生の時に、七つの海を航海して世界中を見て回る〝海の世界〟に憧れ、18歳で商船大学の門をくぐった。以来半世紀、日本の船員社会は大きく変貌した。否、〝変貌してしまった〟。日々直面する内航船の「荒れた実態」を前に、『こんなはずではなかった。何が間違ったのか?』と自問する日々が続いている。
学生時代に思い描いていた理想と余りにもかけ離れた現実に自分がついていけないだけなのか。単なるノスタルジアなのか。とにかく、現実を肯定したくない自分がいる。せめてもの抵抗の証に、日頃考えていることを書き留めておきたい。
思い描いていた世界
世界中で植民地が独立し、国境の壁は次第に取り除かれ、貿易交流が盛んになって行く。平和な世界に戦争はない。
最新機器が搭載された自動化船を、ゆったりした人数で操り、世界中の港に物資を運ぶ。居住設備も整った船内にストレスはない。乗船と休暇のサイクルは短く、趣味やスポーツにも打ち込める。船員の社会的ステイタスは高く、応募する若者は跡を絶たない。
そうした船員の世界が、やがてやってくるだろう。自分たちの世代でそれを実現したい。商船大学で学生運動の渦に揉まれ、運動に没頭し、現実の壁に跳ね返され、やがて思い直してこの古い、遅れた船員社会を改革しようと意気込んで船に乗った私は、少なくともそこに向かって改善が続くと思っていた。
しかし現実はどうか。実現したのは休暇が多少長くなった程度で、賃金も仕事の密度や責任の重さの割に高くはない。居住設備も一部大手の外航・内航船を除き、振動・騒音・揺れに悩まされる現実は変わらない。特に全体の9割近くを占める小型内航船は、狭い・汚い・休む時間がない状態にある。
緊急雇用対策という名の船員首切り
私が初めて船に乗った頃、外航船はまだ全員日本人で、船内に余裕があった。
甲板部・機関部・司厨部の各パートに新卒の見習いが乗り、新米の航海士・機関士にも上乗せ研修の期間が設けられていた。古手部員の中には、体が弱かったり技量が劣る人がいても、互いに補い合うことで機器の整備や安全航海が保たれていた。
作業が首尾よくはかどらず途方に暮れることがあれば、ユーモアで和ませてくれる役柄の人がどの部にもいて、誰しも船内に居場所があった。時おり船内にケンカや酒闘が生じても、それを笑い飛ばして船が一つの方向に向かっていた。
こうした〝良き時代〟を奪ったのが船員制度近代化と、それに続く緊急雇用対策(緊雇対)だった。
少数定員を旗印とした甲機両用化は一人の人間に多様な能力を要求し、ついていけない者を振るい落とす。〝余剰船員〟のレッテルを張り、船内での居場所を奪って行く。明治の初頭以来100年を経た日本の船員職業確立の歴史の中で、恐らく初めて、ついていけない者は去ることが前提の競争と分断が各職種内に持ち込まれたのである。それにトドメを刺したのが緊雇対だった。
1975年、日本船主協会会長(日本郵船社長)菊池庄次郎は、仕組船認知論をぶち上げた。「船員賃金が高騰し国際競争に勝てない。実質日本企業が支配するパナマ籍等の仕組船を国が認知し、建造資金に税金を投入して外国人との混乗で動かす」、いわゆる菊池構想である。
「仕組船で得た利益で、最新鋭の設備を搭載した甲機両用の近代化船も建造できる」という甘い誘い水も付加されていた。
構想発表時には既に業界の意思統一が為され、関係省庁への根回しも済んでいたのだろう。運輸省はいち早くこれに呼応し、海運白書「日本海運の現状」で仕組船を認知する意思を表明した。日本籍船育成という戦後海運政策の大転換であった。(近年の、日本企業が支配する外国籍船へのトン数標準税制導入の経緯においても同様な手法が取られている)
菊池構想は同時に、1972年の92日ストで賃上げと休暇増大など「人間性回復」を勝ち取った海員組合と傘下企業に所属する船員たちへの宣戦布告でもあった。船の便宜置籍船化、「近代化船」建造による少数定員化が避けられないという強迫観念が植えつけられ、〝余剰船員〟は誰かと船内で値踏みされるようになり、居場所を失う船員が続出した。
船員制度近代化10年の「準備期間」を経た後、1985年のプラザ合意による急速な円高を機に、翌年、宮岡船主協会会長(日本郵船社長)は、日本人船員1万人余剰論をぶち上げた。
それに呼応した運輸省・海運造船合理化審議会や船員中央労働委員会による、「日本海運を救うための緊急雇用対策の必要性」答申等で外堀を埋められた海員組合は、現場船員の抵抗を抑え、緊急雇用対策という名の船員首切り協定を船主側と結ぶ。船員出身者の多い長崎県島原半島では、子供も知っていたというキンコタイ(緊雇対)の始まりである。
船が日本に寄港すると、ヒットマンと化した労務担当者が乗組員ひとり一人にヒザ詰め談判。札束で頬を叩いて退職願をかき集める。
『お前の乗る船はない』、『後進に道を譲れ』、『会社がいつ潰れるか分からない。今なら退職金も出る』、『今月中なら◯百万円の割増金だ』、『組合に言いつけたらただじゃおかない』等の脅しだ。
辞めない者に対しては、息子と同じ年齢の部下を上司に据える逆転人事や原発への出向、ハンコを押すまで1年でも2年でも干す。
留守家族に電話しては、『ご主人のことで困っている』、『言うことを聞かなければ裁判になり、10年かかる』と、あらゆる手を使って退職に追い込む。
商船大学出身の元船長や機関長が労務担当となり、得意になって手柄を競い合う。そして最後は自分の腹を切らされ、捨てゼリフを残して去って行く。船員出身者が船員の首を切る、当時どの会社にも見られた光景である。
こうして船内の〝和〟は崩されて退職者が続出し、船はパナマ籍に変わり、日本人船員は激減した。ごく一部の大手会社を除き、社内に海技を伝承する後継者はいなくなった。
現在では船会社の海・工務監督はもちろん、船員教育機関の先生や、海技免状試験官、パイロットの成り手にも事欠くようになり、日本の海事クラスターは崩壊目前にある。
陸上産業と決定的に異なるのは、海運界では、運輸省や海事関係団体、船員教育機関も巻き込んで一斉に行われたことだ。それは同時に、産別組織である海員組合の力をも削ぎ、今日の醜態となって現れている。
現在の船員社会の窮状は、船員が自らの首を絞めた結果であることを認識しなければならない。
混乗船での経験
社内に「船員やめない会」を作り首切り反対運動の先頭に立った私は、その〝首謀者〟として懲戒解雇された。
7年後に解雇無効の判定を勝ち取って復職した私を待っていたのは、往時の1割にも満たない船員と、所有する船の全てがパナマ籍となった変わり果てた姿だった。
以来12年間、インドネシア・中国・フィリピン、短期間だったがインド人とも乗船し、港に着けば隣の船を訪問して他国の船を見て回った。定年間際の5年間は、日本人は船長と機関長の2人だけだった。そこで改めて実感したのが、船の構造や機器は世界共通で、恐らくそのためだろう、操るノウハウと船員の技能も世界共通であることだ。
40年ほど前、まだ新米機関士だった頃にインドネシア・韓国・中国人船員と乗り合わせたことがある。鄧小平の開放政策が始まる前だったが、中国人の機関長・電気士・航海士らの知識や中国式の仕事の進め方が、日本と変わらないことに驚嘆した。
近年その傾向はさらに進み、操船や機器の操作手順から始まり、3直8時間制の当直システムはもちろん、船内職種の名称や各パートの人数、航海・機関日誌を始め書類やパソコンソフトに至るまで、世界標準といえるものがほぼ出来上がっている。おそらく19世紀に確立した英国式の〝シーマンシップ〟に基づく海技の体系が、20世紀初頭のILO、近年のSOLAS、ⅯARPOL、STCW等の国際条約を通じて世界の隅々まで波及してきた結果なのだろう。
もちろん国や民族の違いによって多少の文化的、宗教的と思われる船内習慣の違いはある。売船時の引継ぎでインド人船員と乗り合わせた時は、中国人部員に対する差別にア然とせざるを得なかった。
作業の合間のティータイム、中国人は冷房の効いた制御室や事務室に入れず、機関場の工作室や甲板上に転がってお茶を飲む。司厨手やサロンボーイに対するインド人船長の厳格な命令振りは英国の植民地時代を思わせた。それに比べ、インドネシア人船員のイスラム式断食習慣は可愛いものに感じられた。しかし、こうした文化的違いも微々たる相違に思われる程、世界共通の海技体系が確立していることを知らされた。
同時に思い知らされたのが、外国人若手航海士・機関士の優秀さだ。親会社である日本郵船への出向乗船が続いたため、出会った船員はNYKフィリピンなどの一流会社だったせいかも知れない。個人差はあるものの、日本人の若手職員に勝るとも劣らない知識、より以上の向上心は予想を遥かに超えていた。自分も含め、〝日本人船員の優秀さ〟など、既に過去の幻影に過ぎないというのが実感だ。
思えば緊急雇用対策が始まって以降、所属していた会社の海工務の社内体制はISⅯコードの詰め込み教育のみと言ってよい程に貧弱化し、会社からの技術習得圧力の低下に比例するように自分の向上心も萎えて行った。
私は、外国人船員と船内で苦楽を共にした12年間、彼らの歓談の中に飛び込み、洋上で暗くなるまでバスケットボールやデッキビリヤードに興じ、酒を飲み、歌い、上陸して遊び、日本人幹部職員のタブーを意識的に破った。休暇中にマニラの自宅に招待されたり、日本に寄港した彼らから連絡を受けて船に泊まり掛けドライブに行ったりもした。それは楽しい日々だった。
しかし友達関係にはなっても、互いに一人の船員として退職後も付き合える同志的関係は築けなかった。便宜置籍船という植民地では、船長・機関長は宗主国の管理者として、〝サー〟と称号で呼ばれる。表面的には幾ら仲が良くなっても、私は〝サー〟の壁を超えることはできなかったのだろう。
昔取ったきねづかで何とか職務をこなし、少しばかりの経験を若い外国人船員に伝えることで多少の満足感を得ていたに過ぎない自分。恐らく、〝海技の伝承〟の前提である(と自分では思っていた)、より高度の船舶運航を目指して挑戦するチームとしての団結心、一体感のようなものが、いつのまにか自分から失せていたのだ。
内航船のカルチャーショック
外航を定年退職した後、船乗りの道を究めたとは到底言えない自分を感じて、噂では聞く内航の世界に身を投じることにした。未組織マンニングと言われる〝底辺〟も垣間見たかった。果たして、そこは想像を絶する世界だった。
199、499、999、1200トン、船種もタンカー・貨物船・RORO船と乗ってきたが、小型内航船の世界はどの船も似たり寄ったりだった。
居室はあくまで狭くて、暗く汚い。「3畳1間の小さな下宿、窓の下には~♪」といった感じで、ベッドの下は機関室で耳栓を付けなければ寝られないほどだ。トイレはもちろん、手や顔を洗うのも廊下の小さいベーシンで共同の船が多い。機関室のタンクトップは油まみれで手の施しようがないほど汚れている。油の一滴もないよう手で拭き取っていた外航船に比べ雲泥の差だ。機関室ビルジを排出する油水分離器の水を手に取ってみると、基準を満足しているとは到底思えない。これでも運輸局の検査官は許すのだろうか。信じられない気持ちに襲われた。
後日乗組員から、「法令を厳格に守れば船が止まってしまう」ことを検査官はちゃんと心得ていると教えられた。事実、MLC2006が発効して以降、労働時間管理や労働条件が守られているか検査官は厳しく見て回ると聞いていたが、ついぞそのようなことはなかった。
そうした居住設備や職場環境に加えて、499トン以下の内航船は司厨員がほとんど乗っていない。ピストン輸送で寝る暇がなく、自炊のための食料買い出しもままならない。
たまの仮バースがあれば寸暇を惜しんで自転車でスーパーに買い出しに走り、朝はインスタントみそ汁に納豆や卵かけご飯。昼は荷役の合間にインスタントラーメンやレトルト食品。そして船は最少定員で即戦力が要求される。これでは若者が寄り付くわけがない。船員が出稼ぎ業であることをイヤというほど知らされた。
若者の成り手がなく、船員は高齢化の一途にあると20数年前から言われてきた。日本の内航船員は2万人で推移し、年齢構成は60歳以上が27%、50歳以上だと実に55%に上るという。
この数字は私の経験とも合致する。更に危惧すべきは、年配者のほとんどが漁船(200海里問題や漁獲規制)や外航(緊雇対)から移った人達ということだ。今や漁船や外航自体が風前の灯で、内航に送り出す人員はいない。
そして乗船定員は199トンが船長・機関長・一等航海士の3名(16時間以上航海の場合は二等航海士が乗船)、499トンで通常5名(二等航海士と一等機関士が加わる)。999トンでもせいぜい8~9名だ。
かくして若者は、父親や祖父と同年代の中に単身乗り込み、定員に余裕のない船内で、便所掃除やゴミ処理、買い出し等の生活部門を一手に引き受け、ヘマをしては怒鳴られることになる。住む地方も生活習慣も異なる中で船に馴染むのは並大抵の努力でなく、ほとんどの若者が陸上に新天地を求めて、あるいは条件の良い会社、仕事の楽な船を探して移っていく。
しかし、何処も似たり寄ったりで、やがて希望を失っていく。こうして若者の後継者不足が続き、平均年齢は上がる一方という悪循環が繰り返される。これが内航小型船の実態だ。
既に来ているXデー
外国人船員が日本の内航船に進出してくる、〝Xデー〟が危惧されて久しい。
カボタージュ規制(船舶法3条)を撤廃してしまうと、各方面への影響が多過ぎるという理由で、国はカボタージュを維持したまま、当初は外国人研修生制度のような形で導入を目論むのではないかとも予想されている。農業や漁業と似たような形だ。
事実、横浜港の小型内航船で既に中国人船員が密かに働いているのを目撃した人の話を聞いた。荷役中は船内の奥深く隠れ、表には絶対現れないようにしているという。こうした噂が流れているにもかかわらず、摘発されたニュースを聞かないのは、発見したら大騒ぎになることを、当局も十分知っているからかもしれない。
広島県が中心の牡蠣養殖や北海道のホタテ養殖の中国人実習生の存在もよく知られている。
海岸から遠く離れた山奥に住み、3年の出稼ぎ期間を終えれば再び故郷に帰っていく。〝名目だけの船員研修制度〟には、水産庁が深く関わり、実質的に推進しているという。
このような実態を見ると、国は〝業界〟を守ることが最優先で、日本人船員とその職業は二の次にしていると考えざるを得ない。
内航船員の要求
私は若手船員と乗り合わせるたびに彼らの要望を聞いてきた。
意外なことに、〝年寄り〟船員に対する反感は少なく、『父親以上の年齢差の中に一人で乗船しても問題ない』、『色んな経験を積み重ねてきた話が面白い』という意見が多かった。そして一様に、『一生船員を続けようと思い船に乗ってきた。船長・機関長になりたい』と語り、肉体労働や汚れ仕事も苦にならないと言う。
しかし、実際の船長・機関長の姿や船の現実を知るにつれ、配乗や仕事上のトラブル、いたたまれない人間関係の軋みをきっかけに去って行く。
若手船員の要望をアトランダムに並べてみる。
(労働条件、職場環境、仕事内容等に関して)
『短時間荷役のピストン輸送で常に精神的に追いまくられている。年取ってまでやる職業じゃない。仕事を覚え、金がたまったら陸に移りたい』
『休暇を何とかしてほしい。せめて2カ月で休暇を。世の中から取り残されてしまう。交代者がいなくて6カ月も乗っている人の話を聞くと嫌になる』
『船員不足に対応するため、小型内航船の船型を一回り大きくする法改正をして欲しい。そうすれば配乗にも余裕がでる。現状は労働力が持続可能なサイクルとはいえない。夜荷役の制限など法律も再整備して欲しい』
『内航では時間外手当という言葉は死語。幾ら仕事をしても給料は変わらない。労働時間表は運輸局の検査に備えて法律違反がないようになっている。検査官も調べようとしない』
『若い人をどんどん採用しながら次々と辞めさせていく、若者の使い捨て会社がある。船員不足を深刻に考えていない。学校には、就職率だけでなく卒業生の産業定着率を、企業には新卒社員の定着率の公開を義務付けて欲しい。そうすれば問題のある会社が浮かび上がる』
『何はなくても定期的な仮バース。船内で焼肉パーテイーとか、コミュニケーションの時間が持てる。その余裕があれば、船内の難しい問題もほとんど解決する。歳の差は関係ない。要はオペレーターの配船次第』
(生活面に関して)
『どんな船にもコックを!調理もできて一人前とされるのは異常、魅力ある職業とは言えない。せめて食事くらいは健康で文化的な生活を!船員の死傷災害は陸上の5倍、死亡災害は15倍で、死亡原因の多くが病気。この現状を無視して若い船員を船へと言うのは問題』
『自炊体制への不満はあるが、誰に言っても解決しないと思うので諦めた。それよりも実現性が高い、せめて月1回の完全一日休息による上陸体制を!食料の買い出しにも事欠くのが現状』
『どの船に行っても50代~70代の中に一人だから、船内の掃除、ゴミ片付け係。専用岸壁を除いて港にごみの捨て場がなく困りきっている。兎に角処分しろの声に海に投げざるを得ない。せめて各港にゴミ捨て場を!違法行為はもうしたくない』
『離社会性の解消。会社や船員団体など海社会はインターネットの活用に疎い。船員は海運を通して社会に貢献していながら、市民社会から疎外され、陸の情報環境からも置き去りにされている。自分の人間としての成長に心配を感じる。船員の考えていることを社会に伝え、社会からの情報を船に提供する船員独自のインターネットサービスを作って欲しい』
『内航に特化した団体の設立を!せまい海運業界の発想ではダメ。海運業とは別の人を入れ、陸上の感覚と法律に基づいて福利厚生などを改善して欲しい』
最優先は船員法改正
以上述べてきた現実は、各企業はもちろん、船主団体や国もとっくの昔に把握しているはずだ。にもかかわらず、一向に改善されないところに根深さがある。背景には、元受けオペレーター、船舶所有者(一ぱい船主等)、船舶管理会社、マンニング会社、船員派遣会社等の重層構造を前提とし、それを助長してきた内航海運政策がある。
〝海運政策あって船員政策なし〟と言われ、今日までの内航海運政策は、スクラップ&ビルド方式の船腹調整事業にしろ、暫定措置事業にしろ、〝業界〟の保護優先に行われてきた。
「次世代内航ビジョン」に基づいて2004年に成立した、いわゆる海運活性化3法(内航海運業法・船員法・船員職業安定法の一部改正)も同様である。
新規参入業者が許可制から登録制へと規制緩和され、船員派遣業が認められた結果、船を持たず、船舶管理もしない、船員を雇い派遣することのみを〝業〟とする派遣会社が大量に生まれ、従来違法マンニングとされていたものが合法化した。
〝常用雇用型〟に限るとされた船員派遣も、法規制の甘さから実質的に派遣乗船期間=雇用期間と化し、雇用責任もアイマイとなった。船員自身も終身雇用や永続雇用を求める意識が薄れ、売船や返船=解雇を当たり前のものとして受け入れるようになった。
船員法〝改悪〟により、従来原則禁止とされてきた時間外労働規制も緩和され、今日の野放し状態を合法化する道が開かれた。中には飲み食いやギャンブル用に給料の前借りを積極的に奨励し、返済するまで乗船させ続ける会社も現れている。末端船員に利益のおこぼれ(トリクルダウン)はなく、船員職業は出稼ぎ業へ後戻りしてしまったのだ。
法成立の際に国会で付帯決議された「船員の労働条件や職場環境の整備・向上、運賃・用船料の適正化」も、文字通り付帯決議のみに終わった。
海運〝活性化〟3法は、海運業界の重層構造をより推進し、末端企業に〝雇用責任の放棄〟と〝働らかせ方の自由〟の権利を与えることで、船員〝貧困化〟法の役目を立派に果たしたのである。
確かに、荷主隷属からの脱却、適正運賃・用船料の法制化は内航業界にとって依然焦眉の課題であることは間違いない。しかし、適正運賃・用船料とは何か。それを定義するためには、末端企業に雇われている船員の賃金・休暇・定員・必要予備員数に基づいた船費が前提にされなければならないはずだ。
行きつく所は、洋上で人間らしい生活・労働を可能とする設備・賃金・定員・労働時間、週休2日制(有給休暇と併せ年間130日以上の休暇付与)と短期の休暇サイクルを義務付ける法規制、すなわち船員法の労働者保護法としての根本的改正以外にあり得ない。
それは当然、船員最低賃金制度の職種別・経験年数別細分化、陸上のバスやトラックのタコグラフに匹敵する機器の導入による稼働時間制限・上陸体制の義務付け等の関係法令の整備、それを保証するための企業への管理体制義務付けと、運輸局のザル労務官制度の改革が伴わなければ意味をなさない。
そして、結局のところこれらは、〝現場内航船員の要望〟そのものなのである。
おわりに
以上、思いつくまま述べてきて、自分自身のむなしい気持ちを抑えることができない。それは船員の要求を束ね、実現する主体たる船員自身の団体の欠如である。緊急雇用対策以降の海員組合の目に余る凋落、幹部の不法行為による組合運営の私物化、船員のオピニオンリーダーの不在。
現在、海員組合の4分の3を非居住特別組合員(日本の船会社が所有・管理する船に乗る外国人船員6万人)が占め、彼らには要求を出し、活動に参加する権利が与えられていない。また内航の組合組織率は2割に過ぎないと言われ、総隻数5千隻のうち、主流である999トン以下の小型船が9割、うち499トン以下は8割を占め、そのほとんどが海員組合に所属しない、いわゆる未組織船員だ。
すなわち、末端で働く船員には、自らの要求を実現する手立てが事実上存在しないのである。ここが核心であり、すべての問題はここに行きつく。しかし、道は容易ではなく、自問する日々が続いている。
(2017年5月21日)
(最終章)
Ⅵ 新船員政策のために
(次号に続く)