第一章 軍の論理
(1)太平洋戦争の例
(2)戦後の例
(3)海上自衛隊への疑問
(4)米潜水艦による事故
(5)米原潜の事故の特徴

第二章 民の論理
(1)民を律する法
(2)民へ吹く新しい風
(3)米イージス艦とコンテナ船の衝突事故から見えてくるもの
(以上前号まで掲載)

第二章 溶け合う軍と民
(1)軍事機能の民営化
① 武器輸出三原則の廃止と新三原則

 2011年野田政権が、武器輸出を大幅緩和したのに続き、2014年4月第二次安倍政権は、それまで武器輸出を禁じてきた「武器輸出三原則」を閣議決定だけで廃止した。そして名称を防衛装備と言い換え「防衛装備移転三原則」を策定、積極的に海外へ武器を輸出する政策へと転換した。
 その結果、それまで紛争当事国の恐れがあるとして禁輸対象になっていたイスラエルや中東諸国が外され、残るは北朝鮮、イランなどわずか‐2カ国に過ぎない。
 同時に経団連・防衛生産委員会の強い後押しもあり、発足したのが防衛装備庁である。その後ここが、膨れ上がる防衛費に対して可能なものから順次民活への移転を促進するセンターとなる。
 新原則の制定を契機に、「軍と民」が一層溶け合い、産業から学術研究に至るまで広範囲に影響を与え、波紋を広げることになる。民間船と船員の軍事行動への活用というアイデアを企画したのも防衛装備庁装備政策部である。

② 民間フエリーと船員の軍事動員
 民間の資金・能力を長期安定的に最大限活用できるPFI事業方式(プライベート・フアイナンス・イニシアティブの略。民間の資金と経営能力・技術力を活用する公共事業の手法)により、自衛隊が優先的に使える船舶を確保する。
 そして防衛省との事業契約に基づき設立されたSPC (資金を調達する目的で設立する特別目的会社。津軽海峡フエリーと新日本海フエリーの2社、商社双日、日本通運など8社が出資)が、フェリー2隻を所有し運航や維持管理、船員の雇用などの業務を行う。
 SPCが船員を雇用する際、防衛省は、「予備自衛官又はその希望者」の雇用を義務付けている。防衛出動の場合には、予備自衛官補である民間船員を運航に従事させる。こうしてモノ(船)カネ(資金)ヒト(民間船員)の軍による民活が成立する。
 その背景について2016年3月17日の毎日新聞は、「防衛省は九州・沖縄の防衛力を充実させる南西シフトを進めるが、隊員や武器を運ぶ大型輸送艦は3隻のみ。新たな輸送艦の建造は財政負担が大きく、民間の船や人材の活用で輸送力のアツプを目指す」と解説する。

③ 民生技術と防衛装備
 軍事にも応用可能な民生技術はデュアルユース(2通りの利用法)技術と呼ばれる。
 2013年の防衛大綱には「防衛にも応用可能な民生技術の積極的な活用に努める」が書き込まれ、武器と結びつく研究に資金を提供する「安全保障技術研究推進制度」が立ち上げられた。大学や研究機関は国からの運営費交付金が減らされ細る中、防衛省の発表を受け苦渋の選択を迫られる。2015年には戦後一貫して一切の例外なく軍事研究を禁止してきた東大も、軍事研究の容認に踏み切った。
 デュアルユースといえば、元々米軍用であったインターネットやGPSが民生に使われていることが先ず頭に浮かぶ。
 フェライトは、電波を吸収する性質を持つ物質である。発明は日本のTDK社で、家庭のビデオやカセツトのテープに塗られている黒い磁性体だ。これがイラク戦争で米国のステルス攻撃機に塗られたと聞き驚いたことを思い出す。
 思えば、船員の職場はデュアルユースだらけである。レーダー、GPS、ジヤイロ等々の航海計器、無線通信機器、機関室の数々の装備。更には救命浮環、照明、消火設備に至る。軍の艦船と異なり民間船はグレードを落とし、安価にしているに過ぎない。
 先頃打ち上げられた測位衛星「みちびき」にしても、誤差数センチの技術が災害、畑作などの農業、車の自動運転など民生への活用が喧伝されるが、いずれ軍事用に使われるに違いない。

④ 軍事の海洋進出
 小さな島国に過ぎない日本だが、目を海へ転じると大国となる。領海と排他的経済水域を合わせた面積は世界6位である。
 いま北極航路開発、海洋調査、海中ロボツト、無人船、資源探索等々のために最先端の技術と資金が海洋へ次々と投じられている。これらは民生技術だが軍事への転用の歯止めが不可欠である。
 三菱重工、川崎重工、IHI、三井造船。船員にとつて馴染み深い造船会社だが、これらが防衛企業売り上げベストテンに名を連ねる。商船の建造は四国の造船所や韓国、中国(山東省や海南島など)に任せ、いつの間にか収益の主力を軍需企業へと変身させていたのである。さらにベストテンには東芝、三菱電機など、家電メーカーから通信、情報、IT分野に転身した4社が加わる。
 武器輸出三原則撤廃後の最大の商談は、豪州との最新鋭潜水艦開発事業だった。日独仏が競ったが結局、落札したのはフランスである。潜水艦の建造費4兆2千億という受注金額の大きさもきることながら、安倍政権にとつては日米豪、3カ国による中国を囲い込むための実質的な軍事同盟の完成を意味しただけに、落札できなかったのは大きな痛手だった。(「世界」2016年6月号 特集「死の商人国家になりたいか」・杉田弘也論文参照)
しかしこの結果に、意外にも日本国内の技術者から「かえって良かった」と安堵の声も聞かれるようだ。三菱重工などが持つ潜水艦建造技術(鋳物溶接、リチウム電池、音の出ないポンプ)は他国の追随を許さないものがあり、技術の流失を免れた、というのがその理由である。(「武器輸出と日本企業」望月衣塑子著 角川新書)
 海洋の民生技術と軍事的な思惑が結びつくとき、この国は海洋の覇権を目指しかねない。日本の肝いりで始められた太平洋・島サミットが、日米豪、 ニュージーランド、太平洋の島嶼国が参加して来年5月に福島県いわき市で開催される。こうした動きに船員である私たちは無関心ではいられない。

(2)民の「商」への変質
① 見えてくる商(ビジネス)の存在

 ここまで軍と民の溶け合いを追ってたが、見えてきたのは「軍の民」への転化であり、また本来、造船や家電など人々の生活を豊かにする存在であるはずの「民」の「商」への変質である。こうして「軍と民」共通の動機としての「商」(ビジネス)が登場する。
 国民国家では軍は国民と国家を守るために存在し、そのための情報は対外的には機密の壁で守られる。運営には税金が投じられ、愛国心(国家への忠誠心)を核心的なメンタリテイーとする職業軍人がその任務を果たす。
 他方、軍と「商」の関係は、商契約を交わすことで始まり、契約内容は国民に対して公開を原則とする。また、「商」は利潤を得ることを目的とし、そこで雇われる者は生活の糧(稼ぎ)を得るために働く。本来、水と油の関係の軍と商だが、現代では既に融合を果たしている。その典型例が「傭兵」である。

② 民間軍事会社と傭兵
 イラク戦争が長引く中、明らかになったのが民間軍事会社(PMC)の存在であり、その拡大だ。
 大きな理由は湾岸戦争時7‐万人いた米国軍人がイラク戦争時には48万人に減少したからである。
 軍事機能のアウトソーシング化であり、今や戦争ビジネスは10兆円産業といわれる。イラクには2005年末時点で2万人を超える民間武装警備員がおり、要人や通信インフラなどの重要施設の警備、輸送車列の警護にあたっていた。
また、イラクとLOGCAP(兵站補強計画契約)を結んでいた米KBR社は、あらゆる物資の輸送を手掛け、イラクには同社との契約で働く民間人が十万人はいると言われている。
 2005年5月、 ハート・セキュリテイー社で安全コンサルタントを務めていた斉藤昭彦さんが拘束され殺害された。同氏は陸上自衛隊を退職後、フランスの外人部隊に所属し、中東やアフリカでの実戦経験を持つ。この事件についてマスコミの多くは「職業選択の自由」、結果は「自己責任」とした。
(この項、「民間軍事会社の内幕」菅原出著。ちくま文庫に詳しい)

(3)強制と任意のはざまで
① 民間船員の予備自衛官化

 職業軍人でも傭兵でもない民間人が軍事行動や危険海域への航行に携わるとき、絶えず問われるのが「強制か任意か」の問題である。
 2社の船員が、事業契約で対象船舶とされたナッチャンワールドと「はくおう」に引き続き乗船するためには、フェリー会社を退職して、SPCに採用されなければならない。政府は、「予備自衛官になるかは船員の任意」(国会答弁)と言うが、「予備自衛官またはその希望者であることの確認」を迫ら
れたとき、船員は断り切れるだろうか。どの道を選択するにせよ強制と任意のはざまで苦しむことになる。
 今年8月に広島・呉市で開かれた運輸局と内航業者の退職予定自衛官向けのセミナーに100名を超える海上自衛官が集まったという。この5年間で自営隊出身の内航就職者は200名にのばると見られており、「内航未来創造プラン」にも海上自衛隊員の船員就業の促進が明記されている。
 また、不足する水先人対策として、応募資格の船長を艦長と読み替えることにより自衛隊出身の水先人も出現している。民間船員を予備自衛官へという一方通行ではなく、自衛隊員から民間船員へという流れも見ておく必要があろう。
 2隻のフェリーに乗船可能な予備自衛官は僅か8名といわれていたが、瞬く間に大量の「軍民の両用船員」が誕生する。来年は島嶼防衛を名目とする「水陸機動団」が新設されるが、これにより新たに民間の補油船などが駆り出されることは必至であり、やがて軍民両用船員の職場と化すだろう。
 自衛隊は新陳代謝を促すため任期制という特殊な退職制度を持つ。船員への再就職は、生活の糧を得るための自由な選択だが、国家は退職後も「真の自由」は許さない。

② イラン・イラク戦争
 1880年から8年間にわたる長い戦争で、被弾した船舶は390隻、船員の死者は310名。日本人も2名が被弾し、命を落とした。このうちのひとり、AL ・MANAKH号の故藤村操機長夫人に横浜鴎友会(船員と組合執行部のOB会)の懇親会で話を伺う機会があった。近所の奥さんから「ご主人、お仕事で行ったんですよね」と声を投げ掛けられたという。「お仕事(=ビジネス)」の言葉の裏には、本人の同意と結果への自己責任論が張り付く冷たい視線を感じたという。それは「傭兵」斉藤昭彦さんヘマスコミが浴びせた言葉と類似する。
 当時、中東の危険海域へ就航する船の乗組員から海員組合へ多く寄せられた不安は、「下船の自由(昭和58年7月19 日労使確認「乗船を希望しない者はその意思を尊重する」)を行使しなかった時、本人が同意して危険海域へ行つたことにならないか。万一の場合、残された家族はどうなるのか」というものであった。
 ここにも「強制と任意のはざま」での悩みが存在する。
(次号へつづく)