元国際マリン・トランスポート船長 高橋 二朗
2014年4月に韓国の珍島沖で沈没し修学旅行の高校生ら304人の死者・行方不明者を出した韓国の貨客船セウォル号が3月下旬、約3年振りに引き揚げられた。
速い潮流で有名な孟骨水道で海底44mからの前例のないリフティング(解体せず引き揚げ)作業は、困難を極め、幾多の失敗と遅延、大幅な出費が韓国内で問題視されている。
地裁から最高裁までの裁判の経過と筆者のコメント、及び今後の原因究明は進むのか? 現在の状況を報告する。(本誌13~15号、19号に関連記事)
一、船長ら乗組員の裁判確定
2014年4月16日 沈没
2014年5月15日
検察は運航要員15名全員を光州地裁に起訴。乗客に脱出命令を出さないまま先に逃げた等として「未必の故意(放置すれば死ぬと分かっていながら助けなかった不作為)」による殺人罪でイ・ジュンソク船長(以下、イ船長と呼ぶ)・一航士・機関長らに死刑を求刑。
2014年11月10日
光州地裁はイ船長に殺人罪は認めず、遺棄致死罪としては法定最高刑の懲役36年の判決。機関長は同僚を見捨てたとして殺人罪により懲役30年、他の乗員は各々5~20年の懲役
2015年4月28日
光州高裁は一審判決を覆し、イ船長に「未必の故意」による殺人罪を適用し無期懲役、他の乗員は1年半~12年の懲役判決
2015年11月12日
ソウルの大法院(最高裁判所)は高裁判決を支持。乗客を放置すれば死ぬ危険性を認識しながら救助しなかったという「不作為」で船長に殺人罪を適用し無期懲役が確定。他の乗組員も各々有罪が確定し収監された。
二、他の裁判経過
(1)刑事裁判
韓国の聯合ニュースや新聞社のインターネット報道等によれば、計7件の刑事裁判が行われている。
事故当時休暇中だったセウォル号の本来の船長、船主である清海鎮海運の役員に対する裁判(過積載の指示、積載量の書類改ざん)。
荷役を行った港運労組の委員長ら役員、貨物の積載量の出航前点検報告書の責任者である韓国海運組合の運航管理者に対する裁判(過積載、貨物の固定不備)。
救助を怠った珍島海上交通管制センターの海上警察職員、木浦海上警察の救助艇艇長に対する裁判。
他に、救命筏整備業者、船級検査員、船級証書認可の過程で金品授受があった公務員等の裁判。
清海鎮海運の役員と本来の船長・荷役業者には一審・二審とも1年程度の懲役刑の判決(いずれも執行猶予付き)。また、韓国海運組合と港運労組の役員らは、無罪となったと報道されている。
これが事実だとすれば、船員に対する裁判が先行し、しかも他に比べて極端に刑が重いことに懸念を抱かざるを得ない。
韓国人作家の裁判傍聴記録によれば、客室の増築工事が行われた際、セウォル号乗組員たちは重心が上がり復元力が確保できないと抗議したが、会社は聞き入れなかったとのこと。また、コンテナ等の貨物の固縛不備に関して追及された荷役業者は清海鎮海運に言われた通りに行ったと言い争い、最後は両者共に「最終的な責任は船員にある」と主張したという。
(2)損害補償裁判
◯ 遺族らによる国家賠償訴訟
政府による「賠償・補償審議委員会」による補償金受取りを拒否した多数の遺族らが、各地で国家賠償訴訟を起こしている。
◯ 政府による清海鎮海運と元会長一家らに対する求償金裁判
韓国政府は、事故収拾費用や被害者に対する賠償金費用として約1878億ウォン(170億円)を、清海鎮海運・役員・元会長一家・イ船長ら船員26人に対して請求する民事裁判を提訴している。
これに対し清海鎮海運側は真っ向から反論、海洋警察の救助の遅れや積荷や運航管理に関わる政府側の監督・検査業務の不備を主張。
遺族による国家賠償訴訟の動向や清海鎮海運の手持ち資産にも依るため、裁判は複雑化しているとのこと。清海鎮海運の土地差し押さえ裁判で政府側が敗訴していることも報道されている。
その他、清海鎮海運が加入の旅客保険金の支払いを巡り、政府は韓国海運組合(保険者)との間で訴訟・交渉中と報道されている。
三、船体調査が開始される
韓国政府は当初早期引き揚げを計画したが、遺族側が行方不明者の捜索優先を望んだため延期。2014年11月に9名の行方不明者を残したまま一旦捜索を打ち切り、引き揚げ作業検討に入った。
その後、政権維持のための世論操作、保守勢力の引き揚げ反対運動など紆余曲折を経て、沈没から1年後の2015年4月、政府は引き揚げを決定。アメリカ・オランダ系企業等7社の競合の結果、上海サルベージが落札、8月から1年間の予定で作業を開始した。
しかし、船内残油の処理の遅れ、海底土質の予想以上の硬さで、洋上クレーンで釣り上げるための鉄製ビームを船体の下に配置するための掘削作業を失敗、浮力を確保するため空気を注入する予定だったバラストタンク・燃料タンクの欠損もあって当初のやり方を変更。
昨年秋より船体各所に穴を開けるなどして66本のワイヤーを通し、2台のはしけで引き上げる方式に変更した結果、潮の干満差が少なくなる今年3月末に何とか引き揚げることができた。
船底中央部のフィンスタビライザーを切断、最終段階では邪魔になった船尾ランプウェイの一部も切断しての工事だった。
しかし、船体は予想以上に変形・脆弱化していたため、それ以上の移動はできず、埠頭に横たえたまま固縛された。
原因調査は、特別法により船体調査委員会(国会が推薦する5名と遺族が推薦する3名の弁護士や海事専門家で構成され、強制命令権を持つ)の指揮で行われ、今年4月7日から外部調査が、18日から内部調査が開始された。
実際の調査はイギリスの調査鑑定機関ブルックベルが担当し、外部調査の結果「衝突した形跡はなかった」ことが報告されている。内部調査は客室と船橋のある3~5階が優先して行われ、女子高生や教師など4名の遺体(一人は海底から)、携帯電話など多数の遺留品が発見された。
しかし、原因究明に重要なコースレコーダーは未発見のまま、6月20日に第一次調査は終了した。
第2次調査は貨物室のある1~2階を中心に8月まで行われる。
四、原因究明に向けて
(1)事故の原因
船体の急傾斜と横転に関しては、乗客室の増設による重心の上昇、貨物の安全確保の4倍弱の過積載による重心の上昇、積荷を多くするために必要なバラスト水の4分の1という極端な不足、操舵機の電源不良を会社が放置、貨物の固縛不足等々の航海の安全無視が報道されている。
このような運航実態のなかで、新人の三等航海士が減速せずに旋回した等の複合した原因で船体は沈没したとされる。
しかし、新人の三等航海士が減速せずに旋回(5度?)したのが事実だと仮定しても、船長と船員の技量や判断だけでは本事故を防止できなかったであろう。
(2)事故後の本船の救助設備と海上警察の救助体制の不備
本船の乗客救助設備に関しては、救命筏の降下と展張不能および救命ボートの整備不足による使用不能、船員に対する乗客の退船避難誘導教育・訓練不足等々、これら全ては運航会社のコストセーブが原因と報道された。
更に陸上の機関、特に海洋警察(日本の海上保安庁)の訓練不足と不手際等により多くの乗客が犠牲となった。
五、筆者のコメント
(1)乗客への退船命令の時機
本船は最初の救難連絡から約30分間、管制センターとの交信でイ船長は何回も海上警察の乗客救助時機を訊いていた。
イ船長は本船の救命ボートや救命筏が安全規則に違反して使用不能であったことを知っていたと思われる。そのために潮流の早い事故海域で海上警察による救助体制がない状態での乗客の退船命令を躊躇したならば、その時点では適切な判断であったと思われる。
しかし、退船命令も出さず、避難誘導の義務も果たすことなく、いち早く本船を退船したことが事実とすれば、筆者の理解を超えており弁解の余地はないだろう。
(2)海上警察の乗客救助の不備
特筆されることは、イ船長が極めて無責任で本船から逃げ出したとしても、船体が傾斜した現場に到着した海洋警察が救助活動を迅速適切に実施しなかったことであった。犠牲者が304人にもなった原因がここにあり、イ船長の無責任な行為だけではなかった。
また、韓国では海洋事故救助業務等の「国営機関の民営化」が一部実施され、効率化による費用の削減により救助訓練が不足して結果的に乗客の多くを救助できなかったとも報道されている。
(3)船長の職務放棄と倫理観
所属する会社が安全規則を遵守して、本船の救命設備や操舵設備の良好な整備および貨物やバラスト水の適正な積載を船長に保障することが重要である。更に船長の待遇と身分保障が、船長に『自分の船』の自覚をもたせ、緊急時に際しては人命・船舶・貨物の救助に必要な措置を尽すことになる。
このような信頼関係に会社と船長があったならば、どんな船長でも乗客の避難誘導や退船命令も実施せずに『自分の船』から乗客よりも先に離れることはない。
このイ船長の個人的な性格や資質の問題を超えて、雇用体制の問題や会社と関係機関の癒着が、安全運航の阻害と共に、従来の船長や船員の職業倫理の崩壊を招いたものと思われる。
六、イ船長に過大な罰を与えても海難防止に繋がらない
本船の運航会社の清海鎮海運は、その利益のためにバラスト水を過少にして貨物を過積載し、操舵機故障を放置し、乗客の救命設備を整備せずに使用不能の状態で、普段から乗客退船誘導や避難訓練等を実施しなかった。
確かに乗船中の船長は、乗客と積荷と船舶の安全のために、規則に定める船舶の復元性保持や救命設備の良好な整備等々がない場合、乗船している船舶の出港を拒否できる法的な権限と義務がある。
しかし、本件事故時に乗船中のイ船長が仮に正規雇用であったとしても、この会社の場合は乗船中の船長が安全運航の阻害を理由に出港を拒否した場合、即刻に代わりの船長を乗船させて安全規則等に違反した状態で平然と出港させたであろうことは、誰でも容易に推測できる。
海難事故の防止は、運航会社と船舶の安全を監督する政府や関係機関が癒着せず、運航に係る規則を遵守し、そして現場の船員が共同してこそ可能であろう。
2017・6・30 (海事補佐人)
《 備考 》
韓国の船員法も日本と同様に危険時の船長の最後退船義務の規定はない。
※ 韓国の船員法 第11条
(船舶危険時の措置)
「船長は、船舶に急迫した危険があるときは、人命、船舶、貨物を救助するために必要な措置を尽くさなければならない。」